東インド会社とアジアの海2

とても勉強になる歴史でしたので前回の続きを。ここ最近読んだ中で一番面白かった本です。

世界初の会社、栄華を極めし繁栄、そして国家への発展�
当ブログのテーマにふさわしい。

会社としての栄華の極みとその衰退について、引用です。

世界初の株式会社としての東インド会社

東インド会社はオランダだけでなく、同じ名前でイギリス・フランスにもありそれぞれが別会社だった。
収益分配は船・航海に帰属していたので、オランダ国内の競争があった。これを統一して一つの貿易会社にした。
取締役会の設立により、各支部の航海の計画・経営責任を持ち、出資に対しては有限責任制を取った。
株主に対しては株券は発行されず、配当受給権が存在し、経営方針に対する影響は持たなかった。

一方、イギリス東インド会社は、単なる支部の寄り合いではなく、中心拠点である本社機能を持った。
株主総会の投票により、取締役が選ばれた。(オランダは終身制)

アダムスミスが指摘した問題

1707年ムガル帝国の皇帝が死去し、インド亜大陸の政治状況が不安定になった。安全確保のため軍事力を
増強する動きが目立ってきた。その過程で、東インド会社は商事会社から軍事力を持つ政治権力へと変身を
とげたのである。

東インド会社がインドを統治するに当たって、依然として商事会社経営の手法から抜け出せずにいるのは問題だ。
主権者として、インドにおける収入増加を目指さなければならない。そのためには生産物を増産し、その生産物の
ための大きな市場を確保し、取引の自由を認めて、買い手を増やし、競争を促し、輸出入の制限を廃止すること
が必要
である。しかし、東インド会社は依然として商品の売買が自分たちの仕事と考えているので、ヨーロッパから
の商品をインドで高く売ること、インドの商品を安く買うことを目指している
。これはインドの主権者としての立場と
根本的に矛盾している。

東インド会社の終焉 会社衰退の原因

徳川の鎖国政策や明帝国滅亡と清の興隆によりアジア海域が争いの部隊となり貿易に強く制限がかかり、
アジア域内貿易が不調だった。
会社社員の汚職、株主による高い配当の要求、軍事費増大で会社の資本を圧迫。

しかし

英蘭戦争やフランス革命軍のオランダ占領により陸地の軍事費がかかっていたこと、
国民に同等の権利を与える国民国家という体制は、独占貿易という考え方とは根本的に相容れない

ことから、新共和国は増資をしなかった。

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