試験の評価がスペシャリストを殺す

六本木の社長がおっしゃるスペシャリティの追求に関して
私にはスペシャリティを持つ子供たちに、のびのびとした環境を与えるための構想があります。


試験の評価方法の総合評価(Sum演算)を廃止して、最大評価(Max演算)にしたらどうですか?

英語と数学と物理の3教科があるとしたら、評定はそれを全部足した300点で高低を争うのが現在の制度です。

3+95+90<70+70+70 なわけです。

頭の良い人は全部100点で300点なのでしょうが、私は昔から多少わがままで嫌いなことはやらない
ので、Sumされると困るんですよ。

Sumは実に不思議な演算で、数を加えながらも、結果的に減点法を導くのです。

ここのサイトの読者は、ALL100点の300点に限りなく近い点しか取ったことのないエリートが多い
でしょうから、私がわかりやすく解説しましょう。

私の配点、英語と数学と物理で、3+95+90となります。

成績を伸ばすために最も戦略的なのは英語の3点を上げることです。
つまり一番苦手な英語をなんとかせいと言われ続けるわけです。

Max演算にすると、95点の数学をさらに磨くという加点法、スペシャリティの要請です。
Sumにするとしたら重み付けをして、100+300+100なんて配点はとてもお洒落ですね。

また、試験を難しくするという方法も有効です。
一般に入学試験は、60%(60点)が合格水準と言われていますが、40%にしたらどうでしょうか?
例えば120×3+80=440点満点の配点の場合
通常の60%では264点が合格水準ですから、10+120+120+10=260点でまだ届きません。
一方、40%では176点が合格水準になるので、10+120+50+10=180点で合格となり、
並外れた120の能力が総合評価にも生きてきます。

逆に簡易な試験はある程度の学力以上の者は全員100点に張り付き、できない・苦手な者は
相変わらず0点近傍なので、差は以前残り、差をつけるべきところが全く差がつかなくなる
のです。
落ちこぼれを嫌ったゆとり政策による簡易化は、スペシャリストを殺すのです。

同時に劣等感は子供の教育に良くないので100点満点制を廃止して200点満点制にします。 

何が違うんだボケ! と怒らないで最後まで聞いてください。

200点満点で平均点が60-80点程度に収まるような試験にします。
100点満点制のまま、子供が30点なんて取ってきたら親が卒倒してしまいます。
200点満点であっても額面60点なら100点満点制に慣れている親は心理的に楽です。

そして教育機関はこう言えば良いのです。
100点満点と思ってください。正確には100点+100点の構成になってまして
Upside100点は特別な人の試験になってます。
ですから試験時間もMin1時間~Max3時間で途中退室を認め、普通のお子様は
1時間で100点分の試験を受けているのです。

平等教育を維持しながら、スペシャリストを育成する方法だと思えませんか?

5σの希少性を100と表示し、分散を小さく見せる偏差値法も反対です。
Fat Tailを可視化するために10000点満点制にし、二乗演算を組み込み�
きりがないので止めましょう。
この前の試験は7,396点って言われても親も困るでしょうから・・・。

Sum制の弊害は大人になってからも、ついてまわります。

私は香港に居た時に、外人のヘッドに言われました。
「その仕事は他のヤツもできる。だけど、この仕事はお前以外にやるヤツが居ない。
お前がもっとも強い部分をやるのがチームとして効率的だと思うのだが、どうだろうか?」

東京から電話がかかってきたら、なんて言われるか想像つきますよね?
「試験受かったのか? 英語は、ちっとは話せるようなったか?」

このような人生経験から、
ジェネラリストを求め、人のあら探しをする減点法のカルチャーの起源はSumと簡易な試験にある
という学説を提唱しようと思うのですが、いかがでしょうか?

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Comments [3]

賛成です、と言いたいところですが、真にスペシャリストたる人は、
相対的に数学が得意な私より断然数学が出来て、当然ながら英語も出来て、
歴史にも詳しくて、文学にも造詣が深かったりするんですよね、残念ながら。

>ジェネラリストを求め、人のあら探しをする減点法のカルチャーの起源はSumと簡易な試験にある

この学説。いいですね。
「学歴無用論」盛田昭夫著書を思い出しました。盛田氏が育てたソニーは、いまは生かされているのかどうかわかりませんが。。。

スペシャリストを育てるためには、
欠点を認め、受け入れることが大事です。
それができないから、それが難しいから、
簡単なほうへ逃げるようにあらさがしをしてしまうんだと思います。

ジェネラリストが氾濫し、世の中、やがて、人間から個性というものが失われ、
さらには、人間から名前がなくなる。名前の変わりに番号で呼ばれるようになる。やがて、感情も失われる。
50年後は、そうなってるかもしれないですね。

みんな同じがいいんですよ。普通がすきなんですよ。
いろいろ書きたくなったので、自分のブログでまとめてみます。
ではでは。

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