野中広務 差別と権力 ~伝説の男

国労の全国大会が終わって、川端が大鉄局労組の副委員長と酒を飲んでいると店の主人が「二階に女が
居るから遊んで帰って」と言った。酔いの回った副委員長が、「顔だけ見てくる」と言って、冷やかし半分で
二階に上がったとたん、「お、お化けがおるっ!」と叫びながら階段を転げ落ちてきた。川端がおそるおそる二
階に上がってみると、うちわで顔を隠した女がいた。以前、梅田で会ったことのあるケロイドの女だと直感し
た。「あかんあかん、こんなの!」帰ろうとする川端を野中が止めた。「男やないで。いったん上がって、顔見て
帰るなんて馬鹿なことできるか」
野中は女に話しかけた。「あんた気の毒な目にあわれたな。戦災でそうなっ
たんとちがうか」女は戦時中の体験を語りだした。落ち着いた話しぶりからして、相当な教育を受けてきたら
しい。野中は腰を据えてそれに耳を傾けた。「いろいろ苦労してきたんやな。命があっただけでもよかったや
ないか。これから必ずいいことがあるからな」最後にそういって20円ほどの金を握らせた。川端の回想
「40分ほどいたかな。僕は早く出たくて仕方が無かったんだが、彼はいつまでも帰ろうとしなかった。それから
ずいぶんたって、そのケロイドの女と再会しなければ、僕は梅田での出来事を忘れていただろうけど・・・」
上山温泉の飲み屋の二階で再会した女は川端の顔を良く覚えていた。川端は女と少し話して引き揚げた。
それっきりケロイドの女には会っていない。ただ、野中がその後、町長から府議、代議士と選挙に勝っていく
たびに彼女の記憶が蘇り、もしかしたら彼女の一念が野中を勝たせているのではないかと思った。なぜなら
別れ際に、彼女はそこにいない野中に両手を合わせて拝むようにしながらこう言ったからだ。
あの人はきっと偉くなる。だって私がこうやって毎日、あの人が出世してくれるように祈っているんだから

「お前がついておりながら、塚本はなんてことをしでかしてくれるんやっ」塚本とは、笹井が日ごろ相談相手に
なっている京都商工会議所会頭でワコール社長の塚本幸一のことだ。塚本が「野中は副知事時代に京都の
隅々まで押さえたから大丈夫だ。野中が票を取りすぎないよう、谷垣を助けてやってくれ」と府内の各商工会
議所に電話をかけまくっているというのである。もともと野中と塚本は、蜷川革新府政の打倒(1987年)で協力
しあった仲だった。その後、塚本らが出資して琵琶湖につくった水上機の航空会社が倒産した時には野中が
助け船を出したこともあった。塚本と笹井を連れて東京・目白台の田中角栄邸に赴き、飛行場敷地の売却に
力を貸して欲しいと頼み込んだのである。田中は即座に「そんなもん、水資源開発公団に買わせればいいじ
ゃないか」といって竹下登事務所に電話した。「これから野中君がワコールを連れて行くから、頼むよ」結局、
竹下の口利きで敷地は水資源開発が買い取ることになった。笹井によれば、そのおかげで塚本らは出資した
約3億円の7割ほどを回収することができた
という。

普天間基地、野中が作り上げた自公体制は国政のあり方を変えただけではない。在日米軍基地の75%を抱え
て苦労する沖縄の政治状況も一変させた。1995年に起きた米兵3人による少女暴行事件をきっかけに、住民
の抗議運動はまたたくまに広がり、県知事・大田昌秀は米軍用地強制使用手続きに必要な代理署名を拒否
する姿勢を明らかにした。 橋本政権は、こうした沖縄県民の声を受けて、海兵隊の普天間基地返還を米国に
要求した。米国側は96年4月に入って、代替施設の確保を条件に普天間「返還」を表明し、両国政府は名護市
の辺野古沖に海上ヘリポートを建設することで合意
した。だが新たな基地の建設に対する県民の反発は強かっ
た。翌97年、海上基地建設の是非を問う住民投票が名護市で行われた。政府側は賛成派の劣勢を覆そうと、
港湾整備や市街地再開発などの「振興策」を提示し、地元ゼネコンや防衛施設局の職員たちまで大量増員し
て戸別訪問させた。結果は反対派が53%を占め、「ノー」という住民の意思がはっきりと示されたのである。
だが、それから3日後、名護市長・比嘉鉄也は首相官邸に橋本を訪ね、海上基地受け入れを表明した。比嘉
は市長を辞任し、翌年2月の市長選で賛成派が推す岸本建男が当選した。自公連携の効果が大きかった。
市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中さんが自公連携を働きかけたんだ
ろう。

出自を明らかに 全国水平社創立60周年記念集会にて京都副知事の野中はこう挨拶した。
「全水創立から60年ののち、部落解放のための集会を開かなければならない今日の悲しい現実を行政の一端
をあずかる一人として心からおわびします。私ごとですが、私も部落に生まれた一人です。私は部落民をダシに
して利権あさりをしてみたり、あるいはそれによって政党の組織拡大の手段に使う人を憎みます。そういう運動
を続けている限り、部落解放は閉ざされ、差別の再生産が繰り返されていくのであります。60年後に再びここで
集会を開くことがないよう、京都府政は部落解放同盟と力を合わせて部落解放の道を進むことを厳粛にお誓い
します。

93年10月、自民党が野党に転落した細川政権下で野中は本格的な解放同盟批判を繰り広げた。国税当局と
解放同盟側の間で交わされた「秘密覚書」問題を衆院予算委で取り上げたのである。「秘密覚書」は1968年
に大阪国税局長と解放同盟側の間で交わされたもので、同盟とその関連団体である企業連合会に加盟してい
る会社の税務申告は一切の検査をせず、自主申告ですべて認める
という内容だった。70年にはこの確認事項が
国税庁長官名で全国の税務署に通達され、「同和控除」といわれる特別扱いが全国に広がった。「同和控除」を
受けようとするエセ同和団体が続出し、相続税など脱税指南事件が多発するようになった。上田卓三の中企連
問題の背景にあったのもこの「同和控除」である。

【フィクサー・陰の存在】
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