秘録 華人財閥 ~一族、二世たちの武勇伝

英ケーブル&ワイヤレス・ホンコン・テレコム(C&W・香港テレコム)買収劇

香港対シンガポール

世界最大級の通信事業者、英C&W・香港テレコムは、1990年後半頃から機構再編を迫られていた。独占的に運営していた国際
電話や固定電話などの通信業が自由化されて競争が激化し、大幅な赤字を計上していた。2000年初め、親会社のC&Wはつい
に香港事業を売却する意向を固め大騒ぎになった。C&W・香港テレコム買収に意欲を示す企業として、日本のNTT、ドイツテレコ
ム、米AT&T、シンガポール・テレコムの世界の通信大手4社が浮上した。しかし、その中で 最も現実味のある買収条件を出した
のがシングテルで、「C&W・香港テレコムとシングテルが対等合併する」という提案内容を持っていた。この提案で、香港川経済
界には激震が走った
。香港の通信網をシンガポール企業が掌握することになるからだ。そしてこの時初めてリチャード(李嘉誠の
息子)が動き出す。PCCWも買収に名乗りを上げたのだ。しかし買収には数兆円の巨額資金が必要だ。設立されてまだ間もない
PCCWにそんな現金資産も体力もない。そのためリチャードはPCCWの親会社の株を一部放出したほか、HSBCやBNPパリバな
ど4銀行から約1兆円以上に上るローンをなんとわずか数日で取り付けた。これは香港金融史上最大のシンジケートローン額と
言われる
。しかし、それでもまだ足りない。PCCWはまだ暴落前だった光通信や、NTTにも資金協力を呼びかけた。一方シングテ
ルも粘った。その提案は、C&W・香港テレコムの発行済み株式52%のうち約40%を全て現金で買い取るというものだ。しかもマード
ックのニューズ・コーポレーションをパートナーに共同戦線をはっていた。それに対しPCCWの提案は、現金とPCCW株が半々。
買収資金を多方面からかき集めたとしても、シングテル提案のほうが魅力的だ。しかしこの買収合戦はPCCWが決定的な後ろ盾
を持っていた。中国中央政府である。李嘉誠も中国政府に対し、シンガポールに香港の通信事業を握らせることへの懸念を舞台
裏で伝えていた。何よりもシングテル株は、同国政府系投資会社テマセクが80%保有している。シングテルはシンガポール政府
機関のようなものである。その勝負にリチャードは勝った。

香港マフィアによる誘拐

ウォルター(新鴻基グループ2世3兄弟の長男)は、1997年深水湾の自宅に向かう途中拉致され、約1週間、山中のトンネル近くの
民家に隠し、着ていた衣服を全て奪い、大人が手足を曲げてやっと入れる程度の穴の開いた木箱に押し込め、食事も排泄もその
中でさせたといわれている。この強盗誘拐事件の首謀者は張子強というマフィアの親分だった。張子強はウォルターを人質に新
鴻基一族が住む邸宅に単身で乗り込み、妻のウェンディさんと身代金引渡しで直接交渉した。張子強は当初「20億香港ドル出せ
」と強硬に要求したが、ウェンディさんと2人の弟たちが張子強に対して気丈に対応した。張子強はウェンディさんが支払いを渋った
のを見るや、ウォルターを木箱から出し、めった打ちに殴りつける拷問を与えたという。そうして5日後に身代金6億香港ドルで決着
しウォルターはようやく釈放された。ウォルターは妻と弟たちが執拗に値切ったために、自分の釈放が遅れたとの疑いを強め、そ
れ以来、家族との関係に亀裂が生じた

李嘉誠の長男、ビクター・リーも1996年に張子強に誘拐されていたことが判明した。しかも10億3800万香港ドル(140億円)という巨
額の身代金を奪われていたのだ。張子強は2回の誘拐事件で合わせて16億3800万香港ドルを強奪していた。このうち張子強が
7億3800万香港ドルを受け取り、残りは約10人の手下が分けていた。ビクターを誘拐した理由を「李嘉誠を誘拐しても、長男は親父
ほどの巨額の小切手をきれないからだ」と言ってのけたという。身代金の金額は、長江インフラの証券番号が1038であることをもじ
ったものだった。
大物マフィアの張子強はその後どうなったのか。他の一味が1998年に中国本土で逮捕された直後から海外へ逃亡していたが、そ
の後にバンコクで逮捕され中国に引き渡された。その後仲間30人も逮捕された。張子強が保有していた倉庫の中からは、800キロ
以上の爆薬、200メートル以上の導火線などが発見された。張子強は香港とのボーダーを越えて、広東省で逮捕されたのだが、こ
れには訳がある。というのも、香港で逮捕された場合、死刑にはならないのだ。中国本土での極刑は死刑であるため、李嘉誠や
警察当局は彼をボーダーの向こう側で逮捕するよう画策した
といわれている。張子強の妻や母親は、香港返還前のものも含めて
香港内での事件であり、香港基本法の規定では、中国本土の司法管轄権は香港には及んでいないことから、中国で裁かれるの
は「一国二制度」の原則に抵触すると訴え、これにより中英間の外交問題にまで発展した。だが、中国側で逮捕された張子強は
1998年12月に中国の極刑に則り、処刑された。


【タカリの花道】
2010.03.26: タカリの王道を極めし者
2009.11.19: 「年収は?」聞きにくいことの聞き出し方
2009.10.29: 9651 キャッシュリッチカンパニーのキャッシュフロー計算書
2009.09.28: 財産分与好事例 改善しつつある世論に拍手
2009.09.03: 教育者としての主婦
2009.01.16: 財務諸表と金のありか
2008.05.28: 腐れ社員の告白
2007.12.25: 9955 安いな、出動じゃ

Track Back

Track Back URL

コメントする

公開されません

(いくつかのHTMLタグ(a, strong, ul, ol, liなど)が使えます)


画像の中に見える文字を入力してください。

このページの上部へ

Ad

LINEスタンプ「カバコ」公開されました!

top

プロフィール

投資一族の長


サイト内検索

最近のコメント

Twitter Updates