世界四大宗教の経済学 ~キリスト教とお金

お金と偶像神の古い関係

お金を最高の価値としてはならない、すなわち偶像神としてはいけないという思想はユダヤ教の聖書から
発せられていたものだったが、キリスト教においてさらに強調されることになった。「貪欲は偶像崇拝と同じ
ことです」ここで述べられている貪欲とは、お金がもっともっと欲しいという熱望するあくなき執着と欲望を意
味している。お金が万能の力を持っていると信じられている
わけだ。それは宗教ではなく一種の現世的価
値観のように思われているだろうが、お金の万能性や力を「信じて」いるということはやはり一種の信仰な
のである。お金という存在が簡単に偶像神になるというのは比喩でもないし、単に人間の心理が勝手に生
む幻影でもない。そもそもお金そのものがその発生からして偶像神と関わりあるものなのだ。マネーという
英語での呼び名がその一端をはっきりと語っている。マネー(MONEY)の語源を探ると行きつく先は女神モ
ネタである。モネタは古代ローマ神話の女神ユノの別名である。ユノはローマの守護神であり、豊穣の女神
でもある。大地からの収穫の豊穣を司るばかりか人間の豊穣にも関わる。つまり、結婚、出産、母性の女
神でもあるのだ。6月の花嫁をジューンブライドというがこのジューンはユノの名前から来ている。この女神
ユノはモネタというな目でお金の豊かさにも関わるのである。

日本神道のアマテラスオオミカミは太陽のことであるから、神道は典型的な古代の偶像神信仰である。自
然物に限らず、ヴィーナス像のような彫像も偶像神となりえる。もちろん、お金も偶像神となりえる。現代の
銀行が、古代ローマや古代ギリシアの神殿に似たような建造物になっているのはデザイン的な理由でも
ないし偶然でもない。古代はモネタの神殿で鋳造された貨幣が地中海世界に流通していた
のである。そ
の伝統を汲んでいるかのようにニューヨーク証券取引所はもちろん、日本銀行の場合はその地方支店ま
でもが、柱など古代のギリシア神殿を模倣する建物になっている。
イエズスが生きていた約2000年前、ローマ帝国の貨幣にはローマ皇帝の肖像と「崇拝すべき神の崇拝す
べき子」という賛美の銘が彫られていた。なぜならば、皇帝は生き神であるとされていたからだ。かつては
貨幣にはギリシア神話に出てくる女神やそれにまつわる動物などが刻印されるのがふつうだった。しかし
いやましに強大になって広大な領土を持つようになったローマの皇帝たちは、自分が神であるとうぬぼれ
るほど傲慢になっていたのだった。数十年前からローマの属領地になってしまっていたパレスチナに住む
ユダヤ人にとって、「皇帝は神の子」と刻まれた貨幣を使わなければならないことはあまりにも屈辱的なこ
とだった。真の神はユダヤ教のヤハウェ以外のどんな存在であってもならなかったからだ。

キリスト教では「お金を自分の神とするな」と教えている。「人は誰も二人の主人に兼ね仕えることはできな
い。あなたがた神とマンモンに兼ね仕えることはできない」マンモンとは古代ギリシア語の方言のアラム語
で「富」という意味だがここでは現代の私たちが手にしているお金という意味で使われている。
「お金を神とすることなんてありえない」とふつうは思われるかもしれない。しかし現実にはお金の奴隷とな
っている人は少なくない。
お金さえあれば何事も何とかなると安易に考えるのはまさにお金に神のごとき万
能性を認めて排危する姿勢なのだ。お金があれば多くの望みがかなうとするのは現代人ばかりではない。
イエズスが生まれた2000年前もそうだったし、さらに古代においても人間はお金に心奪われてきた。

偶像を横文字にするとidolになる。アイドルタレントのアイドルである。アイドルタレントはまさしく偶像である
からアイドルに憧れる若者はそのアイドルの真似をしたり、アイドルの好む物を自らも好む。そういうふうに
偶像は崇拝する者の生き方や価値観を縛る力を持つ
。そして崇拝者はいつか自分も偶像のようになりたい
と思うのだ。けれども偶像の正体は仮像や物に過ぎないものであるため、崇拝者はいつのまにかに同じ物
のようになってしまうのである。すなわち、自由のない物質のような存在に堕してしまうのだ。お金を偶像と
してしまうのも結果は同じである。お金は生活の上では大切なものだけれど、もっとも大切なものだと考え
てしまうと、自分の夫がたんなる給料運搬人に見えてくる。医者、弁護士、パイロットといった高収入の男
性とお見合いするパーティなるものがいくつもあるが、そこに参加する女性たちは当然ながら相手の人間
性や愛といったことについては無関心である。男性はお金を媒介する便利なものとしてしか見られていない
のだ。そのことに気付かない男性の方もかなり鈍感だろう。とにかくお金を偶像としている生き方をする人が
愛、信、正しさ、自由という倫理を大切だとする神をも同時に信じることができないのはあたりまえだろう。
そのことをイエズスは「神とマンモンとに兼ね仕えることはできない」という表現で言ったのだ。

経済社会に生きている以上、金銭は扱わなければならない。だから所有から離れるのではなく、所有の欲
から離れるのである。

プロテスタントと資本主義 反カトリックの潮流

現代の資本主義は、さかのぼれば、中世キリスト教のプロテスタント的禁欲主義から生まれたという説が
ある。この説はマックス・ヴァーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」1905年から来たもの
だ。ヴェーバーの説によれば「キリスト教プロテスタントの中でも特にカルヴァン派とその流れにあるピュー
リタンたちが禁欲的に働くことによって資本主義の土台が形成された」というのだ。ルターのプロテスタント
思想には多くの領主や権力者が賛同した。その理由は単純な信仰心からではなかった。倫理や精神面で
人々が国を超えた国際組織であるカトリック教会に向いているよりも、領地ごとのプロテスタント教会で統率
するほうが管理しやすくなるからだった。自分が救われるかどうかは現世での行いに反映されている。ふだ
んの節約と禁欲や勤勉の態度からも救われるかどうかの一端がわかるという。こういう教えを聞いた人々
は不安と恐怖を抱くことになり、救われることを自分に確かめるために積極的に禁欲的な生活を送って勤勉
にいそしむしかなかった。けれどもヴェーバーの説はどうも強引すぎる。なぜならば資本主義は必ずしもカル
ヴァン派とその流れを汲む信者のみによって促進されてきたわけではないからだ。


【金と金融の意義】
2010.08.16: 株メール Q2.企業業績とは何か?
2010.07.09: 資本主義はお嫌いですか ~大ペテン師 ジョン・ロウ
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2009.04.09: 金(カネ)の重み
2008.10.10: あなたが信じているのはお金だけなの?
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