項羽と劉邦 ~広大なる中国大陸

劉邦とその幕僚は、素人だけに気が変わりやすい。米蔵の中に入りかねている鼠が、外壁のそばにこぼれた米を食い散らかして
は他の米蔵に走っていくような具合であった。高陽の町には「狂生」と、町の人々から呼ばれている人物が住んでいる。狂など
というのは、後世、思想家や文人が、みずから現実を超脱する気分をあらわす時に頻用し、いわば姿の良い言葉になったが、
この時代、町の人がそう呼ぶのは、素朴な意味での侮辱語であったにちがいない。姓名は麗(麗+おおざと)食其(レキイキ)
という。(麗+おおざと)などというむずかしい漢字は地名と姓にだけつかわれて、文字そのものに意味はない。名が食其という。
食をわざわざイと発音する例はめったになく。人名の場合にまれにそれがあり、この音は後代ほろび、日本の漢音にも現代中国
語にも継承されていない。食其(レキイキ)は、その姓名からしてすでに偏屈者のにおいがあった。弁才に長じ、たれに対して
も、木で鼻をくくったような態度で接した。彼の学派は儒教である。


この本全般を読んで思うのだが、中国は広い。あまりにも広い。そして人も多く、飢えも多い。これが中国と日本の歴史というか
文化土壌の大きな違い
であろう。兵糧・輸送=兵力と。徴兵だ訓練は必要無い。飯があれば人が集まり、飢えによる本能的な
怒りが最大の士気と訓練と。だから裸一貫になっても、軍の建て直しはあっという間でできたというような記述が随所に見られる。


(官吏(カンリ)というのは、なと弱いものだ)と、劉邦は思わざるをえない。西進する沿道の諸城は、みな南陽郡の太守にな
らって降伏してゆくのである。以前の封建制ならばもし劉邦のような外敵が侵入した場合、その地域ごとの王のもとに家臣団が
結成して防ぎ、領民までがそれを支援して頑強なものであったが、法家主義のもとに封建を全廃して郡県を置き、官僚をもっ
て行政者とした秦の制度の場合、国家がうまくいっているときの運営には最適だがひとたび帝国が危難におち入ると官僚はわが
身を保つのに汲々としその治所を死守しようとはせず、また下僚や人民の側も官僚を主人として忠誠心を発揮するということは
ない
。すくなくともこの段階になって官僚制の弱点があらわれてきた。


>中国の地図が、本についているかと思うが、同時に現代中国地図も見ておいたほうが良いだろう。
咸陽だ中関だって、今となっては話題に上らない山奥の話なんだが、どうやらウイグル、チベットよりはかなり手前、陝西省
(せんせいしょう)あたりだ。山西(サンシー)省の隣なのか・・・。昔、山西の子と遊んだなぁ・・・、英語ができる子だった・・・。

歴史書、『史記』「蒙恬列伝」あたりを読んでみても良いかもしれない。
陵墓 兵馬俑、すげーなぁー、それにしても項羽と劉邦、映画も漫画もあるみたいだし、Wikiでもザクザク出てくるなぁ・・・
サラペイリンよりも有名なんだ・・・、知らなかったよ。


劉邦軍の構成

張良を帷幕の謀臣、全軍の総司令官は韓信であり、後方でいっさいの補給に任ずるのは蕭何。中国史上、それぞれの役割
においてこの3人よりすぐれた者はまれと言っていい。
これらは紀元前206-205年にあたっている。西にローマという、市民性の高い巨大な文明が燗熟期に入っていたが、地球の
他の部分では劉邦のいる中国大陸が右とは異質ながら文明の高さを誇っていた。あるいはひとびとの文明感覚の繊細さにおい
ては比類が無かった。ただ、劉邦の属する中国社会は徹底して灌漑農業社会で、主権者は水を制すれば水の及ぶ限りの地域
全体を制する
ことができたという点、ギリシャ・ローマ世界と異なる。そのことは既に項羽の言動に表れていた。
「古の帝は、その領土は方千里であったといわれていますが、その都はかならず上遊(河川の上流)でありました。」
川上を制すれば川下の農民の水を制せられ、抗うと水をうしない、田畑を枯らし、そのあたり一円のひとびとが餓死してしまう。
項羽の使者のいうとおり、古代の王朝が土地を支配したのはたしかにそういうぐあいであった。中国大陸は、乾田の非米穀物、
水田の米作、草原の遊牧、河川や沿海の漁業、山中での冶金といったふうにあらゆる古代的技術集団が流入し雑居し相互に
影響を与えたために、農民個々が個人として独立せず、その独立性が尊ばれず、ついにギリシア・ローマ風の市民を成立させ
なかった

しかしことのことは文明の進み方が遅れているというものではなく、単に生産社会の事情が異なっていただけに過ぎない。むし
ろ逆にいえば、灌漑農業社会の古代における高度の発達のために、ギリシア・ローマ世界よりも、一定面積の上ではるかに多
くの人口を養うことができた。これらの事情のために地域ごとに農民を密集させ、密集している分人々の個性をすり減らせ、ギ
リシア・ローマに比べて人間の独立性という点を希薄にした
。しかし一面、ことがあればあらゆる地域にいる農民が、地球上の
どの社会常識にもあてはまらないほどの規模で一定の場所に大密集をとげえた。この点は、ギリシア・ローマ世界では考えら
れもしないことであった。さらにこのことはこの大陸にしばしば政治上の奇蹟を生む結果にもなった。例えば易姓革命がそうで
あった。

陳平が劉邦にいう
「賢者や勇者は自尊心が高うございます。このため陛下のもとに集まってくる将領といえば何人かをのぞけばクズのような男ば
かりでございます。みな陛下の気前のよさをいいことに集まった者でございますから、欲ばかりが深く、節義に欠け、陛下のため
なら死ぬという者がすくのうございます。そこへいくと項王の諸将はちがいます。」 范増、鍾離昧、龍且、あるいは周殷・・・
とあげてから、これらの人々は将軍として卓越しているだけでなく項羽の臣下に対する礼と愛に応え、廉潔で私心なく、それぞ
れが人間として大きな峰をなしております、という。
しかし、項王にも病がございます。猜疑心。
楚軍における傑出した四人の将軍が、漢の常識では信じられないようなことだが、実質的な行賞を受けていない。つまり項羽は
この大功ある者に地を割いて王にしていないのである。項羽の吝嗇によるものであった。

項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫)
項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫)司馬 遼太郎

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