父親の条件1/4 ~父の冷徹さと過剰期待

親子関係にあんまりフォーカスしてないね。タイトルにだまされて買っちまった。

チャーチル親子

ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル、父親はロード・ランドルフ・チャーチル、母親はジャネット、美貌のア
メリカ人女性でニューヨーク・タイムズの共同社主でもあっと大富豪、レナード・W・ジェロームの娘だった。父ランドルフ
卿は才気煥発と評判が高く、その家計においてはブレニムの名将マールバラ公爵以来の最も傑出した子孫と評されていた。
だが将来を嘱望されていたにもかかわらず、梅毒のために46歳で無くなった。悪ふざけをした友人が薬を混ぜた酒を彼に飲
ませ、あばずれの売春婦の元に置き去りにしたためにこの病にかかったとも言われているが、定かではない。その後、チャー
チルの母親は数々の浮名を流したが、息子には全く無関心だったようだ。子供に余り関心を払わないのはビクトリア朝時代
の親たちにとっては普通のことだった。おそらく父親たちのほうは世界地図を大英帝国の色に塗り替えることに忙しく、一方
母親たちのほうも子供は寄宿学校ということで、子供たちから離されていた
からだろう。ジェニーは浮気に忙しかった。ゴシ
ップ誌は「ハズバンド・ハンティング」「フィアンセ・フィッシング」の好きな「レディ・ジェーン・スナッチャー」と名づけたりして
いたが、チャーチルは後に自分の母親を回想して「妖精のような王女」といっている。この言葉はド・ゴールが母国フランス
を理想化して表すのに用いたものだ。

「父は私をまるで愚か者のように扱い、私が質問するたびに怒鳴りつけた。私が今日あるのはすべて母のおかげで、父は全く
関係ない」 後に「ランドルフ・チャーチル伝」を書き上げたが、そこには父親に恨みがましい記述は全く無く、その正反対
の書き方をしている。
偉人というのは多くの場合、不幸な幼少時代の産物である
ランドルフ卿は、息子が休日に一人で寄宿舎にいるときにそこから歩いてすぐのブライトンにいる知人を尋ねている。
「ブライトンにいらしている間になぜ私を訪ねてくださらなかったのでしょうか。大変残念でしたが、父上は多忙でいらした
のだと思っています。」と書き送っている。

チャーチルは、戦争の危機が迫っているのを察知し、戦争勃発と同時に海軍を出動させる態勢を整えるべく熱心に準備を進め
た。1914年夏に実際に戦争が勃発したとき、英国艦隊は既に総動員体制を整えていた。だがこの当初の成功にもかかわら
ずチャーチルは有力者の反対に逆らってダーダネルズ攻撃を敢行し、その失敗の責任を取らざるをえなくなった。チャーチル
は1915年に辞任した。チャーチルあ中佐としてフランスに出征した。翌年、軍需相に任命、当時開発されたばかりのガソ
リン燃焼エンジンと装甲防御の組み合わせの実用性を予見し、戦車の生産を急がせた。チャーチルは海相時代に既に戦車の
アイディアを考察していたのだ。戦車は両大戦の主力兵器となった。チャーチルはロシアの反ボルシェビキ軍への支援介入推
進、ポーランド援助、ユダヤ人シオニストに一定の役割を与える中東解決、新しいアイルランド共和国とプロテスタントの北
アイルランドとの和平保持、トルコの民族革命の拡大阻止などに努めたが1922年に選挙に破れ、引退を余儀なくされた。


ケネディ親子

4人の息子を含む9人の嫡子の父親ジョゼフ(ジョー)・P・ケネディ・シニアは、ケルト一族の精神的首長だった。彼は自
分自身手にすることができなかったもの、ホワイトハウス入りを長男のジョー・ジュニア(ジョンの兄)に託そうと心に決め
る。しかし勇敢で元気旺盛なジョーは、持ち前の能力も政治的才能も発揮する間もなく第二次大戦中に乗った戦闘機がドイ
ツ軍の攻撃を受け、無残にも若くしてこの世を去った。父親ジョーはその時点で次男ジャック(ジョン)にその夢の実現を託
す。父ジョーは、当時からアングロサクソン系プロテスタントの白人(WASP)が社会、政治、商業、財政の分野で優勢を
保っていた国で、ローマンカトリックのアイルランド系米人が被っている不利な点を相殺すべく、権力と名声を追及する熱意
で政治家になった。ジョーの父パトリック・Jは酒類取引業から酒場を開いて金を儲け、ちょうどアイルランド系住民がボス
トンの票の支配権を握り始めた時に、民主党の政治に手を染めることになった。父パトリックの成功のお陰で、ジョーは全米
一の名門パブルックスクールであるボストン・ラテン校から全米一の名門大学ハーバードへと進学する。そこで彼は上流階級
の人間から酷い仕打ちを受ける羽目になる。即ち、社交クラブの入会を拒否され、スポーツ選手への道も閉ざされたのだ。
 このような侮辱に対抗して、ジョーは金と権力を追い求める決心をする。幾層からもなるこのアメリカ社会では、金で社会
的地位を買うことができ、金はまた、権力への鍵だと彼は実感する。ウォール街の銀行業、映画興行、不動産、酒類販売業で
彼は如才なく財産を築き上げていく。ジョーはローズベルトが大統領の時に、息子のジェームズ・ローズベルトを「サマーセ
ット・インポーターズ」のパートナーに引き入れ、スコッチウイスキーのアメリカでの小売販売を独占した。ワシントンから
の情報で禁酒法が終わりに近いと知るや否や、彼はアメリカでの独占権を手に入れようと動き出す

父ジョーの子育て上の家訓はまず「一位になれ。二位、三位には何の意味もない。何が何でも勝つのだ。」であった。
成功者としてのジョーは自らその手本を示すものであったが、政治においてだけは彼の思い通りに行かなかった。ジョーは富
を築き上げ社会的地位も獲得して輝かしい成功を収めた。アメリカでは金は全ての悪の根源などという教えは通じない。一族
の長である彼は、その最優等生ジャックに金で才能が買えることを教える。ジャックは父の偏見にすっぽり包み込まれていた
わけではない。彼には頭の回転の速さと、1分間に1200語を読破できる速読術の技術があった。またプラグマチストであ
る彼にはナチ支持も反ユダヤ主義もない。
 ジョン・F・ケネディ大統領は、息子を権力の座に座らせ、自分自身の持つ自己中心的なイメージをそっくり継がせようと
した、貪欲で精力的な父の創った素晴らしい作品であった。幸いにもイメージ制作の点では失敗作だった。というのはジャッ
クは幾つかの点で父と似ていたが、父よりもずっと人格者で、感受性も持ち合わせていた。二人とも活力があり、野心旺盛で
非常に頭がよく、PRにかけては天性の才能があった。二人とも恋多き男であり、もし息子のほうがハーバードで始まった色
恋沙汰をホワイトハウスという神聖な場所で繰り広げなかったら、家族のものでもない限りは気にしなかっただろう。父ジョ
ーは信用できないと同時に不愉快なほど横柄な人物だった。1946年、ジャックの下院議員選キャンペーンの資金を出した
とき、自慢たらしく言った「もうおかかえ運転手でも当選するぐらいに金をつぎ込んでいるんだ
 ジャックは父ジョーの弱点を知っていたが、また血縁の深さをも意識していた。人生で彼に最も影響を与えた人物は、との
私の問いに対する彼の答えがそれを証明している。「それは私の文で、我々の小さいときから彼がそこら中に作り上げた環境
だと、君だっていえるだろう。」環境というのは、完結言えば「いずれの意味合いにせよ、勝利に代わるものはない、昇れ、そ
して頂上に行きつけ」と教え込むような雰囲気だった。


【治外法権領域】
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