実録アヘン戦争 4/4 ~そして戦争へ

艦隊北上

イギリス遠征軍が、当然攻めるものと誰もが考えていた広州を単に封鎖しただけで、主力はそこを素通りして舟山に向かった
ことは注目すべきであろう。それは林則徐によって広東の防備がどの地方よりも堅固にされていたからに他ならない。緒戦は
特に重要である。勢いに乗せるためにも少しでも苦戦が予想される地点は選ぶべきでない。舟山を占領したイギリス艦隊の
一部がやがてさらに北上を始めた。白河の河口、すなわち天津に向けて出発した。外夷とのいざこざは広東だけのことだと思
っていたのに、北京を指呼の間に臨む天津までやってきたのである。天朝の大官は夷人とは対等の席にはつかない。などとい
うことには固執しなくなった。イギリス側はパーマストン外相の書信を直隷総監に手渡した。その内容は、欽差大臣が広東で
没収して処分したアヘン代金を賠償すること、英国商務監督官に加えられた侮辱に対して謝罪すること、将来を保証すること
沿海の一つまたは数個の島を英国臣民の居住と商業活動の場として指定すること、公行商人の英商に対する負債を清算する
こと、などであった。広東で起こったことだから広東で話をつけよう、と交渉の場所を広東に移すことに成功した。宮廷の権臣
たちは動揺した皇帝を説得して、林則徐を罷免した。
 チシャンは広東に着くや、林則徐のやったことをことごとくひっくり返した。林則徐が苦心の末に作り上げた海軍義勇兵を
解散した。防備が手薄になるという単純なマイナスにとどまらなかった。解散された水勇は自分で食べていかなければならな
い。再開されたアヘンの密輸の運び屋や用心棒になったり、のちには英軍の軍夫になって使役された。チシャンは英夷との交
渉に英語のできるホウホウという買弁あがりの小人物に一切を任せた。イギリス商人の一使用人であった人物を相手が軽くみ
たのは当然であろう。そして2000万ドルのアヘンの代価を600万ドルに値切って得々としていたのだから、まるでお話
にならない。割譲については、チシャンはイギリス側に「明割」ではなく、「暗割」にしてほしいと頼み込んでいる。事実上
割譲はするが、皇帝にそれを知られてはまずいので、明文にしないで欲しいというのである。だがエリオットは条約によって
はっきりと割譲を明示することをあくまで要求した。現金なもので、英艦隊が天津から去ってしまうと北京宮廷の態度は再び
硬化した。エリオットも割譲明文化その他の条件がすらすらと裁可されるなどとは考えていない。当然拒絶されるものと予想
していた。初めから真面目に交渉する意思はなかったのだ。味方の戦闘準備の時間を稼ぐため、そして相手の武備削減を待つ
ため
にほかならない。要求が拒絶されたという理由で英軍は広東を攻撃した。1841年1月7日からはじめり、虎門の第一
関門の水道をはさむ東の沙角と西の大角島の両陣地が最初の攻撃目標となった。両陣地はたちまち陥落した。イギリス側に
戦死者無く、負傷者も38名にすぎない。清国側は戦死292名、負傷463名であった。
 イギリス艦隊は進撃しアモイを10日間占領し、台風をかいくぐるようにして9月26日舟山沖にあらわれた。定海を占領
した英軍は、対岸の鎮海を陥とし、寧波城に迫った。提督余歩雲は城を捨てて逃げた。英軍は揚子江を遡航した。南京の玄関
である鎮江を攻め、攻撃の英軍7000、守る駐防旗兵1200と青州兵200のみ。鎮江が陥落して道光帝もついに屈辱的
な和議に同意せざるを得なかった。江寧条約(南京条約)は1842年8月29日、英艦コーンウォルス号において調印され
た。これによって香港島割譲が明文によって認められたのである。そして広東、アモン、福州、寧波、上海が開港場として開
放された。清国は没収アヘン代金600万ドル、公行負債300万ドル、遠征費用1200万ドルの支払いを約束させられた。
このなかには広州で既に支払われた項目もあったがイギリスは二重取りしたのである。その他、英人捕虜の釈放、イギリス人
と行き来していたのを理由に監禁された清国人の釈放、関税問題、対等の外交関係樹立のことなどが定められた。治外法権
その他の細目については、翌年、虎門で追加調印されたのである。

たとえば、日本の高校の世界史教科書にもアヘン戦争について、清国の変則的貿易形式を打破するために、イギリス商人のア
ヘンが焼き捨てられたのを口実に、イギリスが戦線を布告した。といった記述が見られる。公行のみを通じる貿易形式は、あ
るいは変則かもしれない。だがそれを打破するのが、戦争の主要目的で、アヘンが没収されたのは口実にすぎなかったのか?
真相はのその正反対である。アヘン貿易を認めさせるのが戦争の主目的であって変則貿易形式打破のほうが単なる口実にすぎ
なかった
。アヘンこそは疲弊したベンガル政庁の財政にとって、命の綱とも言うべき収入であった。清国がアヘンを買わなくな
れば英国のインド支配は揺らぐのである。イギリスはどうしてもアヘンのために戦わねばならなかった。

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