民主主義というのも民に自信を持たせるための方便

読者とコメントを通じたディスカッションで大盛り上がりしてしまい、良い議論だと思ったので、本記事採用してみました。

> 政府が言っていることも鵜呑みにできませんが、マスコミ報道も「世論」とは思えません。

おっと、天才・中卒・総理大臣の田中角栄がこんなことを言ってますよ。
http://www.youtube.com/watch?v=gGpeQB3glIg
この動画の5:30見てください。
世論と言うものは新聞じゃないんだよ。うーん。テレビじゃねーんだよ。
世論と言うものは選挙だ。選挙の結果が世論だ
。そんなことわからんでどうすんだ?そうでしょ?
ロッキード事件で逮捕後も必ず当選し、議員として活動してることに対して、
「世論に反して当選して議員として居座り続けることに問題は感じないのか?」
という質問に対する答えだったかと思います。

>私が知っているのは「世論というのはマスコミじゃないんだ。選挙なんだよ選挙」と畑の真ん中で言っているシーンですので、多分何度も繰り返された持論だったのだと思います。
>世論が「選挙民の意思」であるということに異論はないのですが、(国)全体の意思であるべきところと(選挙区という)局地の意思であるという部分の調整をどうするかというのが政治家個人の資質に任されている現制度に問題がないのかという点については常々疑問を持ち続ける都市生活者の私です。
>最終的には一票の格差をどう是正するか=どういう物差しを使って平準化するかという問題に帰結するのでしょうが、これも被選挙民の集合体の資質に任されているという缶切りは缶の中状態で達磨さんです。


・私の問題発言

天才角栄に逆らうようですが、選挙の方法など、どうでも良いことです。民主主義というのも民に自信を持たせるための方便にすぎず、あえて極端に言えば、一票の重みなど全部一緒で0です。朝鮮民主主義人民共和国なんて言いますが、朝鮮だけでなく民主主義とか名前に入っている国に限って全く非民主的です。日本はその点、国の名前もわざとらしくこびる必要がなく、ほぼ全国民が中産階級という意味で、最も民主的な国だと思いますが、それは選挙の賜物ではなく、天皇家の存在と同じところに帰すると考えています。


・正義感溢れる読者が疑問を呈しています。

>民主主義というのも民に自信を持たせるための方便にすぎず
これは自分にとってチョッと目新しい視点ですね。しかし、その方便の向こうにある目的、自信を持って何をするのかさせるのかというのが いま一つピンときません。
また、
>、一票の重みなど全部一緒で0です
こういう物差しがあるということかと思いますが、この物差しについても想像が付きません。結局は神輿に乗せる飾り物を選んでいるだけで担いでいるのは別の勢力(氏子中)ということかな? それとも、更に細かく担ぎ手と長老達を別にして考えているのかな?


ここからが新記事。お答えします。

>民主主義というのも民に自信を持たせるための方便

民は活かさず殺さず、とはよく言ったものです。民は私利私欲を追及し消費し、その消費のために労働する。これが民に求められている行動、消費こそが民の最大の国家貢献であり、理想的な民の姿です。インドの路上生活者のような絶望の中では、消費も労働も生まれません。「がんばれば家が買える、車が買える」という自信が消費の動機付けとして必要です。「どんなに、がんばったてよ・・・領主が税金で全部召し上げちまうからよ・・・」と民に思わせてはなりません。企業でも、「お前なんか要らん」というより「お前はわが社にとって非常に重要な人材だと考えている」という方が従業員士気が上がるように、民主主義という言葉は国家が国民に「あなたがこの国の主人公です」と言って士気を上げようとしているのです。それは民主主義の平和利用なので特に問題はないのですが、ある国では、「民主化と自由」という言葉は戦争の言い訳としてよく多用され、この言葉を度々用いては、よその国の国家主権を脅かしています。

民が主役で自信をもって消費活動にいそしむのは国家財政にとってプラスですが、一方で、私利私欲を追求するのが民の役割ですから、そういう人間が国家を運営しても全体最適を考えることはできず、自己最適を考えてしまい、成長戦略を練ることはできないという矛盾があります。企業を司る役員は、役員賞与やストックオプションなどの報酬体系と、最劣後の株主によって選ばれることで、全体最適を目指すという仕組みになっていて、それが企業統治の後ろ盾になっているはずです。

>一票の重みなど全部一緒で0です

センセーショナルな発言ですが、大きく分けて2つの解釈ができます。

国民によって選ばれた国会で何が決まるのか? 代議士は、選挙に落ちれば、タダの人
というような人に長期的なビジョンでの国家運営は難しいので官僚組織があり、国会議員の顔を見ればわかるように、頭脳集団の官僚組織より理知的だとは思えません。三権分立で牽制が働いていると習いましたが、あそこには入っていない官僚組織は顔も見えず、選挙もないので長期戦でも困ることはなく政治家が太刀打ちできる環境にないと思います。また責任の所在も明らかでないというのが日本の特殊構造ですから、官僚とひと口に言っても、誰を叩けばいいのかもわからないのではないでしょうか。事例で言えば、小沢さんが総理にならない理由だと思います。

小選挙区制はゲリマンダーというご批判もあろうかと思いますが、一票の格差がないにしても、組織票の問題、そして選挙資金。なんで金かかるの? という問題もあると思います。無関心な民に認知してもらわないと票が集まらないからで、政策や能力を評価するどころか、知ってるか知らないのか認知の争いでもあるわけです。選挙カーやポスターや寄付などにかける金があるものだけが選ばれる方として認知され、その金はどこから調達されているのか? 国民が選ぶのかもしれませんが、選ばれる人は普通ではない金の出所がないと厳しいはずです。アメリカの大統領選とか最も顕著な例だと思います。


【愛国者・民族主義者】
2011.10.25: インドネシア 多民族国家という宿命 1/3~歴代大統領
2011.08.31: マハティール アジアの世紀を作る男4/4 ~がんばれアジア
2011.07.12: 父親の条件2/4 ~フランス人の高慢ちきな態度はここから
2011.05.10: 日本改造計画2/5 ~権力の分散と集中
2011.02.17: 田中角栄 その巨善と巨悪 ~議員立法
2010.12.06: 田中角栄 人を動かすスピーチ術 ~カネの使い道
2010.07.13: 日本帰国 第一幕 靖国参拝
2010.05.25: 靖国で泣け
2009.08.21: インド独立史 ~ナショナリズムの確立
2009.01.06: ユーゴスラヴィア現代史 ~Titoという男



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Comments [6]

力のこもった記事をありがとうございます。

なるほど! と即座に納得という訳には行かなかったのですが、論旨の方向は概ね同意できるものです。

確かに「生かさず殺さず」というのはある意味統治の根幹でしょう。そして、国の発展のためには常に作る国力と消費する旦那の両輪が必要という原則に立って旦那の層を一部の金持ちから平準化された中流層にシフトさせてゆく、同時に「その旦那」に生産を担わせるというのは両輪のボリュームを厚くしてゆく合理的な政策だとは思います。

そのために選挙権で主役としての自覚を持たせる。でも実際は主役ではないということですよね。

では本当の主役は誰?

代議士は、選挙に落ちれば、タダの人 ということは彼らもエキゾさんの考える主役ではない。では名前の挙がった官僚機構がそうかといえば、そうだという文脈にもなっていない(そもそもそういう方向の論議になっていないからかもしれませんが)。
神輿の上の代議士でもなく、それを担いでいる官僚機構でもなく、代議士を選んでいるその他大勢の氏子(国民)でもないなら国を動かしている主役は誰なんだ、国とは、卑近なところで日本は誰のものなんだ。民が大きくした国力は誰のために、何のために使われるのだ?

この辺にこの議論の素直に腑に落ちてゆかない部分があります。

>ほぼ全国民が中産階級という意味で、最も民主的な国だと思いますが、それは選挙の賜物ではなく、天皇家の存在と同じところに帰すると考えています。

前半部分では民主的≒社会主義的という風に読めます。また、後半にも含むものを感じます。エキゾさんの頭の中にあるこの辺のことが顕にならないと腑に落ちるのは難しいのかな。いや、すでに語りつくされているけど、私が過去記事読みで追いついていないだけかもしれないけど。


小選挙区とゲリマンダーについて、今の一票格差は十分なゲリマンダーです。なのでまず一票の格差を解消すべきでしょう。と言うと、一票の価値は全部0なんだからもともと格差は生まれてないと反論されそうですね。
組織票については否定するのはナンセンス。政党というのがそもそもの組織票製造機です。少なくとも私はそう思っています。
また、選挙は政策ではなく知名度であり、そのためには地盤看板鞄が必要で鞄は普通でない出所が必要ということについては実感に合致しています。自らを省みて改めて耳が痛いとも思います。だからといって「金の掛からない選挙を・・・」などというキレイ事を言うつもりはありません。今の程度であればという注釈付ではありますけど。

国家とは受益者のものであり、日本は国民全員に受益権が小さいとはいえ行き渡っている民主的な国であり、そういう意味で日本は日本国民のものであるという論旨かと思います。

少なくともこの主張において国家の所有権をはかる物差しが指し示され、それが、受益権という目に見えない株券のようなものであるのだというお考えが明らかになりました(と、理解しました位の方がいいかな?)。

いいですね。この物差し。国籍という株券に受益権という配当と選挙の投票権という株主総会の議決権がついてきて、って考えると理解しやすい。問題は税金をどう捉えるかですね。増資にはならないでしょうし、社債あたりかな。そうすると国民の受益権(配当)というのは高額納税者のそれにかなり劣後するけど、この辺も上手に説明できる途がありそうです。

日本の国内に暮らす人々は従業員でしょうか。お仕事は消費。報酬は働けば上を目指せるという希望。

陛下は全ての株式を手放したもとカリスマオーナー社長で、今は名誉会長とか最高顧問とかの肩書きを持っている外部への顔。

会社自体は儲かっているように見えるけど、その実商売が下手で利益(受益すべきもの)をかすり商売の別会社に巻き上げられている。しかも、社員にも従業員にも他社の利益を慮れと自分の利益を差し出すように旗振るやつがいて、その類が社長になって会社はボロボロ。それが日本。

今までの議論の方向とは違うかもしれませんが、自分の中では一直線に繋がってあっというまに腑に落ちてしまいました。

>天皇家を中国の王朝と比較すると、

これは世界中のどの国と比べても違うと思います。日本は政権は変わっても、王朝はここ1500年位変わっていない。他所は政権と王朝が同じもののところが殆どで王朝の滅亡=政権の交代または、王朝自体がなく政権の交代だけ。この辺は定義の問題もあるので、断定は避けますが、私はそう理解しています。

>天皇家の存在こそが同じアジア人の中で中国と日本の違いの最も象徴的な原因であると思うのです。

これが何を念頭においてのことなのか斟酌しずらいのですが、天皇家が2000年近く存在し続けているということを言っているのでしょうか。

このような事例(形質)については常に鶏卵と考えています。この場合(民から下克上してきた)政権が天皇家を残す=利用するから生き延びてきたのか(民=環境の側の都合)、天皇家が君臨しているだけ=存在しているだけで色々な能力がない(王朝=個体側の事情)から政権側も放置してきたことで生き残ったのか。

どちらにしても日本列島という全体が農業適地という均質で豊かな空間の中で生活する人々という環境の中で培われた形質であって、ユーラシア大陸という価値観も経済的価値もことなる土地に生活する集団が割拠する不均質な環境で育まれた異なる価値観に根ざしたものと異なることは自明だと思います。


>、"たかが立法機関"が最高権威なのですか? と言っているのです。

立法府が国権の最高機関というのは「そう位置づけた」ってだけ。それ以前が軍だったのか天皇(皇族)だったのか、大蔵だったのか、はたまた薩長のサロンなのかとかはわからないけど、新憲法を書くに当たってそういったものをその位置に持ってこれないというアメリカ側の事情を反映した草案が作られて、それが成文になってしまったってだけでしょう。そういう意味ではまったくもっておっしゃるとうりです。

ただ、日本はどうやっても法家の国ですので一票の平等を謳っている以上はそうやって貰わんと困る。と、私はそう思うのです。

>すごいお久しぶりでどういう話か忘れかけてますが

大変申し訳ありません。仰せのように時間が経ちすぎて国際関係の事件・国内政治の変化もあり自分の頭の中も多分ずいぶん変化しているような気がします。そういう意味でも横道にそれるとか、論旨や意見が変化してしまうこともありそうです。御寛恕下さい。


さて、

>法と言う論理や合理性が嫌いな国なのです

実感と一致する部分と一致しない部分があります。確かに例示されている事象は全て納得のできる「法嫌い」の例だと思います。その一方で決まったことを金科玉条のように守ろうとする、そういう一面がとても強いように見受けられるのです。最も端的に現れている例は「神君家康公の祖法である」というような何言っているのか全く分からない墨守の仕方。
その違いが一体何に起因するのか、どういう方面に発揮されるのかはっきりと言語化できませんが、責任を取らされる可能性がある場合、指弾されそうな場合に法律を盾にしようとするという感じでしょうか。

仰るように一方で法は嫌いだが、他方法を盾に取られると思いの他守りは弱い、そういう意味です。卑近なところだと ご法度 というキーワード攻撃もこれに当たりそうです。。

という分けで、前のコメントで法治国家ではなく、法家の国(が正しい言葉の使い方かどうかは別にして)という言い方をしたのもその辺の含みがあります。

前回の「法家の国だから」の部分は軽い言い方をすれば「一票の格差を是正しないで総選挙に突入するのはご法度でしょう」ですが、それでは軽すぎるので。


法を嫌うのに墨守しようとする、ここの部分、何らかの形で言語化したいな。

>(国家は)何も生まないし、何も失わず、何かしらの分配を行う。

自分の中で国家=株式会社の図式がえらく腑に落ちてしまったので、逆にこう言われるとそうなのかなぁ?と疑問を持ってしまいます。例えば、租税という仕入れで(公共)事業を行い、xx倍率(名前を忘れました)の経済効果によって、国内景気を押し上げて租税収入(ここでは売り上げ?利益?)を増やす。と考えたら会社と一緒じゃないか、と考えるのです。会社にも労働分配率なんて言葉がある位で分配を行っています。

用語の定義みたいな次元は別にして、この考え方は何か矛盾とか欠陥がありますか?


>あらいさまは常連様ですので

さま等と言われてしまうとこそばゆいというか、似合わないのでアレですね。

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