貨幣と銀行の理論

うーん・・・、ちょっとつまらない本でした・・・

貨幣とその諸機能

直接的な生産物交換では、生産物は交換者の双方にとって等価物であるが、同時に双方にとって使用価値でなければならず、まだ交換物は個人の欲望から独立した価値の形態を受け取ってはいない。この形態の必然性は交換過程に入ってくる商品の数と多様性とが増大するにつれて発展する。だから課題は、その解決の手段と同時に生まれる。多様な物品が交換され比較される交易は、諸商品が一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されることなしには行われない。このような第三の商品は、他の色々な商品と等価物となることによって狭い領域の中においてではあるが、一般的な等価形態を受け取る。貨幣形態は、商品交換がその局地的な限界を超えて発展するにつれて、貴金属に移っていく。金銀の均質性や可分性などの自然的諸属性が一般的等価物として貨幣の諸機能に適しているからである。貨幣商品はこうして本来の商品としての特殊な使用価値のほかに独自な社会的機能から生じる貨幣という一つの形態的使用価値を持つことになる。

諸商品の価値はいろいろな金量と相互に比較され計られることになるので、技術的にこれらの金量を計る度量単位が必要となる。金の一定分量が度量単位として定められ、これはさらに分割されて度量標準に発展する。、金や銀は貨幣になる以前にこのような重量を計る度量標準を持っている。たとえば貴金属の重量を計るイギリスのトロイ衝では、1ポンド373.3グラムを度量単位として、その1/12がオンス、1オンスの1/20がペニーウエイト、さらにその1/24がグレインというように分割されている。金属の重量標準の名称がまた貨幣の度量標準あるいは価格の度量標準の元来の名称ともなっているのである。

金属重量の貨幣名は、次第に元来の金属の重量名から離れてくる。外国の貨幣が発展程度の低い諸民族へ輸入され用いられるようになる場合である。外国貨幣の名称は国内の重量名とは違っている。第二に価値尺度機能を果たす貴金属が銀から金への転換する場合である。元来ポンドは現実の1ポンドの重量の銀を表す貨幣名だった。金が銀に変わって価値尺度機能を果たすようになり、例えば金が銀の15倍の価値があるとすると同じポンドという名称が1/15ポンドの重量の金に付与されることになる。こうして貨幣名としてのポンドと金の重量名としてのポンドは別なものになってくる。第三に王侯による貨幣の悪鋳である。これは以前よりも少ない金や銀でそれまでと同じ名称の金銀鋳貨を鋳造するものであり、名称だけを残した。


中央銀行

イングランドの歴史は対政府金融機関として1694年にイギリスの首都ロンドンにおいて創設された。イングランド銀行は設立当初から政府への貸し上げを引き換えに120万ポンドの銀行券発行の権利を認められ、次第にこの権利を拡大していった。すでに18世紀の末には、ロンドンの銀行業者たちはイングランド銀行とは競合できず自ら発見を停止してしまい、ロンドンではイングランド銀行券のみが流通していた。そして、ロンドンの銀行業者たちの多くは当時すでにイングランド銀行宛ての手形で差額の決済をするという慣行を広めつつあったのである。しかしこのイングランド銀行も1826年の法律によって地方への支店設立が認められるまではロンドンにおいて営業しており、イングランド銀行券もまたロンドン以外の地方では流通することはできなかったのである。

ロンドン以外の地方では1750年まで銀行業者といえるものの数は12もなかったといわれているが、産業革命の進展とともにその数を増し、1793年には400の地方銀行を数えるに板った。これらの地方銀行はすでに19世紀の最初の4分の1世紀には平時でほぼ2000万ポンドの銀行券を発行していた。これだけの額の銀行券が地方的に流通していたわけである。この額は当時のイングランド銀行の発券高に匹敵するものであった。

ところが1826年以降、イングランド銀行は主として工業的に発展しつつある地方への支店設立を進めた。この支店設立を通じて、これらの地方では地方銀行けなしだいにイングランド銀行券によって駆逐されることになった。時にはイングランド銀行は、地方銀行に対して他よりも低利での貸出を行うという約束と引き換えに発券の停止を求めたのである。こうしてイングランド銀行券は地方的にも流通することとなり、そうした地方での地方銀行券の流通額は収縮しつつあったのである。

1844年のビール銀行条例は、地方銀行券の発行を斬新的に排除し、発行権をイングランド銀行に集中することを法的に明確に定めたものであった。この法律はこの年以前に発行権を有していた銀行を除いて新たに発券を認めず、また発行権を有する銀行に対しても発行額を過去の実績に応じて制限し、さらに銀行券の支払いを停止したり合併によって6人以上の社員によって構成荒れるようになった銀行は発行権を意思なうというものであった。これに対してイングランド銀行は1400万ポンドの保証準備発行を認められ、それ以外の銀行券の発行は全額金属準備を持たねばならないが、地方銀行が発券を止めた場合にはその発行額の3分の2だけ保証準備発行枠を拡大することができる、というものであった。

イングランド銀行券はナポレオン戦争を契機とする銀行制度条令期(1797~1821年)には兌換停止措置が取られ不換化したのであるが、この時に事実上の強制通用力を認められ、1833年には兌換性を維持する限りという条件付きであったが法貨として認められることとなった。イングランド銀行券はこのようにして次第に中央銀行券としての地位を確立していった。イングランド銀行は事実上その背後に国家信用を有しているのである。

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伊藤 武

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