もっと知りたいインドネシア 2/3 ~地理と民族

地理と風土

インドネシアの海域は、2つの大陸棚によって構成されている。まずはユーラシア大陸から南東に伸びるスンダ棚で、これは南シナの南部、マラッカ半島周辺、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島へ広がる。もう一つは、オーストラリア大陸から、アル諸島、ニューギニア島へと伸びるサフル棚である。両者とも平均水深は40-80mと浅いが、この大陸棚からはずれると深海と島が入り組む複雑な地形となっている。
 かつてユーラシア大陸とオーストラリア大陸は、スンダ大陸とサフル大陸を介してつながっていたといわれる。ところが第4氷河期の末期に北極や南極の氷河が解けて海水位が上がり、二つの大陸が水面下に沈降して大陸棚となり、海抜の高かった山岳地帯が現在の島々として残ったのである。生物の分布をもとに東洋区とオーストラリア区の境界が画定される。バリとロンボクの間からボルネオとスラウェシの間へと延びるウォーレス線より西には東洋亜区の生物が、ティモールの東方からセラムや丸くの西に伸びるウェーバー線の東にはオーストラリア区の生物が分布する。そして、これら二線間の地域(スラウェシなど)はウォラセアと呼ばれ、大型哺乳動物を除き両大陸からの動植物種が共存している。人間の生業にも差異が見られ、ウォーレス線より西は稲と水牛の世界が、ウェーバー線より東はイモと豚の世界が広がっている

赤:ウォーレス線、オレンジ:ウェーバー線
wallace-weber.gif
出展:ぷてろんワールド>世界の蝶>ウォレス線とウェーバー線
http://www.pteron-world.com/topics/world/wallecea.html

人口分布の偏り
nesia-np.jpg
ブギスというのは、シンガポールの駅名に採用されているが、インドネシア、スラウェシの南西の民族の名前。

現在、インドネシアでいわゆる未開民を探すことはきわめて困難であり、イリアン(西ニューギニア)の奥地やジャワのバドイ社会など僻遠の地など、少数の地域に限られている。インドネシアは有史後、インドからヒンドゥー文化、仏教文化、イスラム文化、中国文化、さらに過去4世紀にわたる西欧文明の影響を受け、また中国(華南人)との接触を続けてきている。オランダの植民地時代はすでに歴史時代に入り、とくに独立後は「インドネシア民族」として一体化が志向された。世界の人種は全てが混血の結果であることは昨今の人類学の常識である。歴史時代以後移住した外来人を除くと、インドネシア国民は次のような人種層に分類されていた。

(1)ネグリート マレー半島のマラッカのセマング族やフィリピンのアエタ族などとこれらの混血種がこの分類に入る。ネグリートとはスペイン語で背丈の低い黒人の意味であって、暗色か暗褐色の皮膚を持つ小人(ピグモイド)である。毛髪は縮毛か羊状毛を頭型は短頭か中頭であり、広鼻である。この種族は東方小スンダ諸島に見られる。

(2)ヴェドイド ネグリートよりは長身であるが背丈は低く、成人男子の平均は155センチである。皮膚の色はネグリートより明るい暗褐色、毛髪は波状毛であり、長頭で中鼻か広鼻である。スリランカのヴェダ族に類似することからこの名がある。このタイプはマラッカの奥地のセノイ族、スマトラのシアク川上流のサカイ族、パレンバン省やジャムビイ省には最近定住化したクブ族がこれであり、この分類に近いものや混血の跡はスラウェシの東南半島部ラムル地域のトアラ族、東南半島西部奥地のトケア族とか、ムナ島のトムナ族がこれであり、これら諸民族集団はインドネシアでは未開民族といえるが、文化的にはすでに周囲の諸民族の影響を受けている。

(3)マレー系民族 先の二者は数もわずかで少数民族であるが、マレー系民族は数も多く、現在のインドネシア国民の主要部分を構成している。これら所民族集団の移動・分布はすでに歴史時代以前に始まり、それぞれの生態的環境から異なった言語など文化的特徴を示すに至った。身長は160センチで中背で皮膚の色は黄褐色か褐色である。毛髪は直毛、頭型は長頭に近いが中頭のものもある。この系統の民族を同一に分類するには偏差が目立つことから、クレイウェヘ・ド・ズワン博士らは、古マレー人(Oer-Maleiers)と親マレー人(Deutero-Maleiers)と二つに分けた。

(4)華人たち。数の上では250万人といわれる華南人は、中国本土の福建、広東両省の人々で福建、潮州、客家、広東の4つの言語と文化をインドネシアに持ち込んだ。この移住は16世紀にはじまっている。ところでインドネシア華人のうち100万人は中国籍でトトックといわれインドネシア国籍を持たない。

インドネシア人の時の観念

ジャワ社会やバリ島には5日週と7日週の組み合わせの35日以上時間単位はなかった。乾季、雨季が言及されるが、気圧に基づく風次第で毎年一定せず、場所で異なっている。モノシーズンの自然環境で繁茂した樹木には年輪がないとされる。星座で時の推移は知りえてもインドネシアでは季節感は乏しく俳句の季語は役に立たないし、また人々の年齢意識は生じがたい。自然歴は多少あっても現代人の常識とする正確な時刻感覚はもちにくいのだ。

インドネシアのイスラム教

イスラムがインドネシア地域に初めて伝えられたのは13世紀のことである、以来700年間西アジア起源のこの世界宗教は着実にその影響力を増してきた。伝統的なインドネシア・モスリムのあり方は、イスラム世界の周辺に位置するインドネシアの地理的特殊性のゆえに、外部と間接的な接触しか持たないままに独自の発展を遂げてきたことに由来する。しかし事情は19世紀末から大きな変貌を見せ始める。汽船航路の発達、スエズ運河の開通によってインドネシアとアラビアとのあいだの海上交通量は飛躍的に増大し、インドネシアのイスラム教がより直接的にかの地の風潮によって影響を受けるという結果をもたらした。その端的な現われが、イスラム改革主義のインドネシアへの導入である。マラヤ・インドネシアにおいてこの改革運動はカウム・ムダ(若い世代)と呼ばれることになった。

神秘主義、教説、実践ともにクバティナンと呼ばれる。グル(師)を中心として行われるクバティナンの集会は5人から50人程度の比較的小規模な会合である。ジャワ人の間で、こうした集会は人間の内面性を高め、心の平静を獲得するための一種の成人学校の役目を果たしている。ある調査によるとジャワ人の3%から10%に達する人々が何らかのかたちでクバティナンの集会に参加しているという。集会は多くの場合、グルの自宅で開かれる。年齢の区別、男女の違いを問わず、彼の信奉者が一堂に会するものであり、そこにおいてはイスラム教、キリスト教、仏教といった形式的な宗教帰属すら問題にされないことが多い。集会は参加者による共同の行の実修と、それにつづくグルと信奉者の対話から成り立っている。ジャワ人の生活にとって大きな意味を持つクバティナンであるが、インドネシアの公式定義ではこれは「宗教」ではない。独立後の一時期、これを宗教として認めよという運動があったが、正統派のイスラム勢力の反対により、成功するには至らなかった。


【民族意識系】
2012.10.05|宋と中央ユーラシア 4/4 ~ウイグル問題
2012.04.25|美しい国へ 2/3 ~平和な国家(国歌)
2011.08.17: 実録アヘン戦争 1/4 ~時代的背景
2011.05.09: 日本改造計画1/5 ~民の振る舞い
2011.03.25: ガンダム1年戦争 ~戦後処理 4/4
2010.09.09: ローマ人の物語 ローマは一日して成らず
2010.08.02: 日本帰国 最終幕 どうでも良い細かい気付き
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.04: 新たなる発見@日本



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