新華僑 1/2 ~ロシアの華僑

1979年に中国本土で経済改革・開放政策が実施されてから以降海外に出国した、いわば外国での永住権を持つか持たないかに関わらず、永住傾向の強い中国人を私は新華僑と呼ぶ。

著者の造語みたいです。

海外でどれほど財産と地位を手にしたとしても、母国中国にあって華僑は、つい最近まで地位が非常に低かった。まず「華僑」という言葉そのものが、わずか90年ほどの短い歴史しか持っていない。そもそもこの言葉は、清朝の末期頃、それまで海外在住の中国人を「棄民」すなわち捨てられた民と看做していた清朝の官僚が、海外在住中国人の地位を準国民に引き上げるため、苦し紛れに作った言葉なのである。中華人民共和国建国以降、中国本土から海外へ移住する中国人移民はぱったりと途絶えた。そこには大きな要因が二つ挙げられる。一つは共産主義の浸透を恐れた当時の西側諸国がこぞって中国人移民の受け入れを中止したことである。もう一つの要因は、移民を国辱と考えた中国政府が、民衆の出国を厳しく制限したことである。この現象は1980年代の初期ごろまで続いた。

現在の日本も同じだね。エリートは海外の低税率環境下で金を稼ごうという下賤な行為はせず、霞が関で公務員をやる。そして中国も同じで、海外留学などせず、北京大学を出て公務員をする習わしだそうだ。

北京発モスクワ行き国際列車は週に二便ある。うち一便は、モンゴルの首都ウランバートル経由する中国管轄の三次国際列車である。もう一便は、満州里を通るロシア管轄の国際列車である。ロシア管轄の列車は1000キロ以上長く走るため、乗車時間もまる一日余計にかかる。加えて、ロシア人の列車乗務員とは言葉がうまく通じない。こうした理由でロシアや東欧に向かう中国人のほとんどが、中国管轄の三次国際列車を利用することとなる。三次国際列車の北京からモスクワまでの乗車券は「兌換券」と呼ばれる外貨と両替できる中国の特殊貨幣でしか買えないが、定価は873元とそう高い値段ではない。モスクワや東欧に向かう中国人があまりにも多くなったため、乗客のほとんどが定価の3-4倍もの金を出し闇市で入手したダフ券で乗車していた。

モスクワ時間での朝の5時頃、三次国際列車がウラン・ウデ駅、ロシア領に入って最初の停車駅、中国人にとって初めて商売のできる駅となった。駅のホームには大勢のロシア人が集まって、列車の到着を首を長くして待っていたのである。11月のウラン・ウデは気温は氷点下20度近くであろう。国際列車の到着を厳寒の雪の中で辛抱強く待っているロシア人の姿を目のあたりにした時、ロシアの物不足がどれほど深刻化しているのか、それは私の想像をはるかに超えていた。
「モスクワまでの各駅がこういった調子です。もってきた商品は絶対に売り尽くすことができますが、問題は売値です。ルーブルの交換為替レートが下がる一方で、良い値段で売らないと赤字になる恐れがあります。だから皆ウラン・ウデ駅では本気で商売することを避けていました。市場の動きと値段を把握するため、情報を仕入れるための売りを行っただけです。盛んに商売していた人は間違い無くこの列車では新人だと断言できます。イルクーツク駅は、極東一の大都市であり、住民の購買力も高い。イルクーツクでは皆が一発勝負に出るでしょう。」

治安の悪いマリンスクでは警官による商品強奪や、ノヴォシビルスクでは偽ルーブル札が横行しているらしい・・・

中国の経済改革・開放政策を進める上で、ある国経済政策を理想として求めた。社会主義国家でありながら資本主義経済政策を大胆に推進していたハンガリーとユーゴスラビアであった。東欧に新天地を求めた中国人は目的地に到着するや否や、そこが彼らが想像していた国家と違うことに気付いた。中国人を迎えた東欧の国々は、改革の先輩格と呼ぶにはほど遠い状態であった。物資の欠乏、貨幣価値の低下、人々の生活の貧しさ・・・、そしてなによりも彼らが驚いたのは、東欧の人々が彼らを金持ちとして迎えたことであった。

かつて東欧に中国人はほとんどいなかった。もちろん、老華僑もである。ではなぜいま、大量の中国人が東欧に殺到するのか。東西冷戦が終焉し、中国とロシアの歴史的和解が実現した結果、出国ブームに沸く中国人にとって東欧は、行きやすい国となったのだ。中国人の大量出国に警戒心を強めた西側諸国が、中国人に対するビザの発給を年を追って厳しくしているため、彼らの念願である西側諸国には行けなくなってしまった。そこで彼らは査証(ビザ)免除協定が結ばれていて、つい最近まで同じ社会主義国家であったという理由で入国ビザを比較的簡単に発給してくれる東欧に、出国の流れを変えたのだ。東欧諸国まではかつての社会主義経済圏ということもあって、北京から黒海に臨むルーマニアのコンスタンツァまで、日本年に換算してわずか数万円程度の乗車賃でじゅうぶん事足りる。アメリカや日本に出国する場合の数十から100分の一という格安の費用で出国できる東欧は、多くの中国人にとって手軽に行ける国として脚光を浴びた。

中国人の入国に寛容だったハンガリー

1988年、中国とハンガリーは互いに入国ビザを免除するという内容の協定を結んだ。これは、中国が他国と結んだ唯一の査証免除協定である。しかし、1989年までハンガリーで中国大使館員以外の中国人を見つけることは難しかった。その後、わずか3年後を経た1992年、ブダペストで中国人を見つけることはそう困難なことではない。ハンガリーに滞在する中国人は既に30000人を超えた。中国人が開設した銀行の外貨預金口座の総額がブダペスト市民の預金総額を超えてしまったため、銀行では中国語の話せる人間を採用し、中国人専用の窓口が設けられたこともあった。

ハンガリーではほとんどの会社がL/Cによる貿易方法を知らない。中国から輸入し、そして現物をハンガリーのユーザーに見せなければならない。彼らは気に入った商品を少しずつ仕入れて、売り切れてからまた買い足すという方法をとるのです。だから我が社は輸入会社なのか小売会社なのかわかりません。小売と卸を兼ねた輸入会社と言った方がよいかもしれません。こうした形で商売を行うのは本意に反することですが、ハンガリー市場が国際市場に追いつくまではこのようなやり方を続ける他ないでしょう。

ハンガリーの銀行は一般の企業に商業ローンを提供するほどの余裕がない。ではどんな方法でAEAは資金面の問題を解決しているのか。中国国際信託公司に勤務経験があり、中国国内に強力な人脈をもっている。彼らは信用関係だけで中国から無料で商品を輸入することができ、二ヶ月後あるいは三ヶ月後に代金を支払えばよい。これは貿易専門用語でいうところのDA60日またはDA90日という支払い方法である。

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