ソ連解体後 3/6~下落し続けるルーブルのレート

旧ソ連・CISの通貨ルーブルや東欧諸国の通貨は、米ドルをはじめとする基軸通貨との交換性が無く、交換性のある通貨がいわゆる「ハードカレンシー」と呼ばれるのに対して「ソフトカレンシー」と呼ばれている。ソフトカレンシーには外国通貨との交換性が無いわけでレートは自動的には決まらず、各国政府(中央銀行)が人為的に定めるところとなっている。何を基準にしてレートを定めるかという問題がまず発生するが、購買力平価説をはじめ色々な説がある。たとえば米国政府中央情報局(CIA)では、これまで長年にわたり、旧ソ連政府が毎年ルーブル建で公表するGNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)を、購買力平価に基づいて米ドルに換算し、公表していた。CIAはこのレートはあくまで計算単位であり、日常生活で使用されるものではない。旧ソ連ではゴスバンク(国立銀行=中央銀行)が、政府の委任を受け、各国通貨との為替レートを決定していた。


資本主義諸国通貨とのレートについては主要国がフロートシステムを採用していることに合わせて、随時変動させていた。通常は、ゴスバンクが毎月の初めに各国通貨別にルーブルのレートを定め、政府機関紙『イズベスチヤ』に公表していた。1980年代後半の5年間を通じて、1ルーブルはだいたい1.1~1.8米ドルのレートで推移し、1990年秋ごろの日本円は1ルーブルが250円前後となっていた。外国人は旧ソ連国内ではこのレートに見合ったレートで自分達の持つ外貨をルーブルに交換し、使用しなければならなかった。米ドルや円が通用する「ベリョースカ」という外貨ショップや外貨レストランが存在したが、それはあくまで例外であった。しかし、ゴスバンクが定めていたルーブルのいわゆる「公定レート」は極めて人為的で、外貨に対して非常に割高であり、実勢は1/3から1/4という評価が一般的であった。現実にも非合法な取引、いわゆる「闇取引」では、米ドルのルーブルに対する相場は3~4倍になっていた。市場経済への移行が決定され議論が紛糾した下で人工的とはいえ安定していたルーブルの実勢相場は大きく崩れ、大幅に下落し始めた。とりわけ1991年以降における下落は劇的であり、4月の時点では1米ドル=27.6ルーブルであった為替レートは、同年末には90ルーブルまで下がった。旧ゴスバンクはモスクワの銀行間外貨取引に基づいてルーブルの相場を定めるようになり、相場は実勢に近いものになった。ルーブル相場はさらに下がり、1992年1月中旬には1時1米ドル=230ルーブルとなった。その後若干反転し、110~160ルーブルと回復したが同年秋には再び大幅に下がり、30ルーブルを記録する場面もあり、年末には450ルーブルとなった。1ルーブル30銭以下に下がったわけでまさに暴落である。

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対外経済開放と合弁企業

1987年1月に外国貿易制度の自由化と外国資本の導入を認める合弁企業法が施行され、それ以来度重なる改革措置が取られて、かつて強力であった対外貿易の国家の独占は否定されて、今日では起業や組織は政府に登録すれば外国と直接に貿易取引する権利、いわゆる「直接貿易取引権」を得ることができるようになった。「直接貿易取引権」を得た工業生産企業はこれまで外国と接触したことが無く、貿易実務・商習慣・外国語について殆ど全く無知で、外国企業と直接取引した旧ソ連CIS企業の多くが輸入代金の支払い遅延を引き起こし、旧ソ連の国としての対外信用が著しく低落するという重大な問題が起こっている。日本との取引ではロシア側の輸入代金支払い遅延が1992年6月末現在約7億ドルに達していた。1991年の旧ソ連の日本からの輸入額は約21億ドルであったから30%が未払いという大きなシェアになる。総合商社など大企業にとってはさしたる問題ではないとしても代金を支払ってくれないのならロシアとの取引は当分見合わせようというムードが広がってしまった。

かつて外国貿易が国家独占であった次代には上述のような問題は起こらなかった。旧ソ連外国貿易省と外国貿易銀行のスタッフはきわまえて有能かつスマートで、彼らの資本主義市場における行動様式は、非常に慎重で現実的なものであった。彼らはよく訓練され、資本主義世界における商習慣に従いまったくプラグマチックであった。旧ソ連外国貿易銀行は完全と言って良いほど外貨を管理し、その資本主義金融市場からの資金調達は巧妙で、旧ソ連政府が外国政府から借り入れる「公的信用」は別にして、外国貿易銀行が行う金融市場からの借り入れについては通常ソ連が必要とした以上の借入れを行い、余裕資金はヨーロッパや米国の銀行に預金しておく政策がとられていた。このおうな政策とその実践は旧ソ連の対外信用を著しく高め、その借り手としての立場を非常に強固なものにしていた。ロシア企業は輸出外貨収入の50%は中央銀行の定めた為替レートで中央銀行に義務的に売却しなければならないという大統領令(1992年10月有効)を無視して獲得した外貨を外国銀行に預け入れるという手段をとっている。1992年1月~6月のロシアの輸出額は約150億ドルであったが、このうち約100億ドルが外国へ逃避したといわれる。

【金融・通貨制度】
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2013.01.28 金融政策の話 1/2 ~日銀の役割
2012.09.19|金融崩壊 昭和経済恐慌からのメッセージ 4/4~高橋是清
2012.07.05|ウォールストリートの歴史 6/8 ~独占体制の崩壊
2012.03.30|金融史がわかれば世界がわかる 3/6~基軸通貨ポンドの誕生
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