実録ラスプーチン 4/8~第一次大戦とロマノフ王朝

1913年ロマノフ王朝成立300年記念祭

経済の好況は続いていたが、この国は不機嫌で、同時に野蛮で、むら気だった。心なき破壊者が当時評判の画家イリヤ・レーピンの傑作「イヴァン雷帝」を引き裂いた。
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あるジャーナリストに寄れば、これといった目だった動きはなかったが「価値観の喪失、教育の荒廃、道徳観の完全に欠如した時代」の徴候はあった。小説家アレクセイ・トルストイはこう書いている。「何百万ルーブルものカネが、まるで天から降ってくると思っているかのようだった。人々は、音楽、半裸の女性、シャンペン漬けになっていた。賭博クラブ、連れ込み宿、劇場、映画館、遊園地などが雨後の竹の子のように出現した。」

ロマノフ一族は恋の火遊びが好きだった。皇帝のいとこのアンドレイ大公は、ニコライの昔の愛人で、バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと同棲していた。
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弟のミハイールは、1年前に二度離婚歴のある平民女性と結婚したためにパヴァリアに追放された。妹のオリガも離婚係争中だった。5月、ヨーロッパの国家元首たちが、ドイツ皇帝ヴィルヘルムの娘ヴィクトリア・ルイザとブラウンシュヴァイク公の結婚式のため、ベルリンに集まった。ベルリン宮殿で開かれた公式晩餐会で、ドイツ皇帝(カイゼル)、ロシア皇帝(ツアーリ)、英国王ジョージ5世は、それぞれ別の国の軍服、ドイツ皇帝は英国近衛騎兵連隊の軍服にロシアの聖アンドレイ勲章を胸につけ、ニコライはプロイセン騎兵連隊の制服を着てホーエンツォレルン家の者になりすまし、それぞれ相手の妻をエスコートした。戦前にこの3つの王家の一族がこれが最後になった。そのうちの2つの王家はやがて崩壊することになる。

「ほのかに明るい、どことなく異常で、官能的な夏の夜」は、真夜中にも太陽の光が庭園にたゆたい、「ドイツ哲学の難解な価値観について女の子と議論する長髪の学生たち」を照らした。ストラヴィンスキーの型破りな新曲「春の祭典」の初演は大評判になった。

> 初演は大不評に終わったはずだが??

未来派の詩人達は、厚紙で作った服をまとい、ほっぺたに花を描いて「冗談」(スメフ)というイチゴとその派生語の繰り返しの詩を吟唱した。イゴール・シコルスキーは世界初の四基エンジンの航空機をロシアーバルト工場で製作した。機内にはソファーと化粧室つきの客室があり、16人の乗客と犬一匹を乗せて、市の上空を初飛行した。シマノヴィチは一財産を作りつつあった。「私の宮廷関係者とのつながりを重視する人たちが大勢いた。官庁は私の要求や要望に応じてくれるようになった。私の役に立ちたいという人や、私に丁寧な態度で接する人が大勢おり、私はその人たちに努めて愛想よくした」。ラスプーチンは心強い味方になりつつあった。


シンビルスク県スイズラニ市出身のヒオーニヤ・コズミシュナ・グーセワという女性が彼にお辞儀をして、コインを1個恵んでくれと乞うた。「鼻が潰れて歪んだ、嫌悪を感じさせるほど醜い」その女性の顔は、ショールで覆われていた。「頭など下げなくても良い」とラスプーチンが親切に言うと、「その瞬間を利用して、グーセワは外衣の下から鋭い短剣を取り出し、ラスプーチンの腹部を刺した」。彼女がいったん短剣を引き抜いて、もう一度襲撃しようとした時、ラスプーチンがコインを握った手を差し出した。どさくさまぎれに彼女はそれを受け取ったが、下に落とした。ラスプーチンは地面に落ちていた棒を拾って、それで彼女頭を殴った。怒った村人たちがグーセワをつかまえて、川で溺れ死にさせてやると脅した。村人がよってたかって彼女を殴りつけると、「放してよ!私は偽ハリストス(キリスト)を殺してやったんだ!」と女はわめいた。ラスプーチンは飛び出したはらわたを自分の手で押さえながらおぼつかない足取りで家に戻った。検事の測定によれば、その距離は108歩分あったという。ラスプーチンはそれから10日ほど重態だった。生死を分けたのは、ラスプーチンが肉体的にも精神的にもタフだったためである。放蕩に対処できた身体は短剣の傷にも耐えられた。


第一次世界大戦 開戦

英国はドイツに宣戦布告した。どれも赤、青、白の三色から成るロシア、フランス、英国の国旗が並んで首都にひるがえり、高揚したムードが広がった。国会は無条件に戦争に賛成した。ニコライは生まれてはじめて、そしてこれが最後になるのだが、国会を手放しで賞賛した。彼はモンテネグロ人姉妹の1人アナスターシャの夫である巨漢ニコライ・ニコラエヴィチ大公を総司令官に任命した。アレクサンドラとラスプーチンは、共通のこの元友人の任命を罵った。狭量な皇后は、前線に出立する大公を、皇帝がペトログラードのワルシャワ駅に見送りにいく必要はないと言い張った。それは「スラブ主義とドイツ主義の決闘」であり、聖戦であるように思われた。予備兵の96%が皇帝の召集に応じた。ナポレオンの侵略、露土戦争、日露戦争も皆みな18ヶ月以内に終わっていた。ドイツ軍のシュリーフェン計画に匹敵するロシア軍最高司令官による二面作戦によれば決着は2ヶ月以内につくと予想された。

先見の明のある人たちもわずかながらにいた。直感的に惨禍を恐れたのがラスプーチン、知性によって戦禍を案じたのが元内相ピョートル・ドォルノーヴォだった。ロシアの弱点は、「軍需品不足」から始まって、「外国産業への過度の依存、戦略上重要な鉄道網の不備、ヨーロッパ戦の莫大な需要に対処する車両不足、重火器、マシンガンの極端な不足、ロシアの財政収入ではまかないきれない出費・・・必然的に起こる軍事的退廃と物資の欠乏」。さらに、戦争が長期化した場合の恐るべき影響について、「あらゆる責任は政府に転嫁されるだろう。社会主義者のスローガンが大衆を立ち上がらせ、活気付きやすくなる。貴金属宝石類や資産の分割。軍隊は一番頼りになる兵士を失い、土地が欲しいだけの粗野な農民に取って代わられれば、士気の低下は必定、法と秩序の砦としては役に立たない。国民の見るところでは実権のないインテリ野党は、自分達がかきたてた民衆の思潮を堰き止める力はなく、ロシアは早晩、どうしようもない無政府状態に突入するであろう」。 この文章の指摘は驚くほど正確だが、無視された。

「友人」はゴレムイキンとの関係を目いっぱい利用していた。ゴレムイキン首相は、傷痍軍人のための診療所を設立した。シマノヴィチは銀行家ドミートリー・ルビンステインを説得して、そのために25万ルーブルを寄付させた。その見返りに、ラスプーチンはこの金融業者を首相に紹介した。ルビンステインは自分の名声を利用して株式詐欺を働いた。彼はユンケル商会という銀行株の大半を買占め、しばらくして舞踏会を催した。それにはゴレムイキンとラスプーチンに出席してもらう確約を取っておいて、キエフの砂糖工場主レフ・ブロドスキーを招待した。ルビンステインが首相やラスプーチンと「友達同士のように話している」のを見た後、ブロドスキーは数百万ルーブルに相当する高値につりあげられた株を買うように勧められた。ルビンステインは「どうやってのし上がるかを知っている男」だとシマノヴィチは感嘆している。

【ヨーロッパの戦争・内戦・紛争】
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2013.08.30 ハプスブルク家の悲劇 7/8 ~失われた軍事バランス
2013.06.27 わが闘争 下 国家社会主義運動 7/7~ドイツの宿敵
2013.03.28 わが闘争 上 民族主義的世界観 1/7 ~ヒトラーが生きた時代のドイツ
2013.02.20 聖戦ヴァンデ 2/3 ~募兵と蜂起
2012.11.27 ユーゴ紛争はなぜ長期化したか 2/3 ~NATO、国連
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2012.04.06: 金融史がわかれば世界がわかる 4/6~ポンドからドルへ
2010.07.16: ドイツの傑作兵器・駄作兵器
2009.06.05: 現代ドイツ史入門
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