実録ラスプーチン 6/8~女性遍歴

ラスプーチンのお持ち物

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ラスプーチンは、ステファニヤ・セメノーヴナ・ドルゴルカヤ公女と過ごした。これは危険な情事だった。彼女は皇帝の侍従の妻だったからである。ラスプーチンはその他、政治家の愛人たちとも密通していた。彼はレイカルト夫人の訪問を受けた。彼女は夫の仕事上の問題にラスプーチンの調停を頼みに来たのだった。彼は夫人にキスしてくれと言ったが、彼女は拒否して帰ってしまった。だが、彼は欲求不満を長引かせることはなかった。その夜は彼は若い未亡人で、上院議員ヴァシーリー・ニコラヴィチ・マモントフの愛人だったナジェージダ・イヴァーノヴナ・ヴォスコボイニコワと楽しく過ごした。このようなラスプーチンの動きは新聞にはまったく載らなかった。


ラスプーチンは大佐の妻で歌手のB夫人をそのホテルに行かせた。
「聖人は罪深い愛が要るのですか?」
「彼は全てを神聖なものにするのです。だからあなたが彼とすることは何でも神聖なのです」と大佐婦人は深い考えもなしに答えた。
「だけど、あなたは結婚しているんじゃない? あなたのご主人はどう思っているの?」
「主人は知っています。だけど、彼はこのことを大きな幸福だと思っています。もし神父様が誰かを欲した時、私たちはそれを素晴らしい祝福だと受け止めます。私たちも夫たちも、夫を持つ妻たちもそう思います。」 モスクワ女性達は夫人ににべもない返事をした。彼女は腹を立てたが、途方にくれて去った。
エレーナが「あなたは聖人と言われてるのに、彼女をみだらな行為に誘おうとしておられる。これは罪じゃないんですか?」
「わしが聖人だって? ワシは誰よりも罪深い男だ。だが、あの行為に罪は無い。本当に罪は無い。あれは人間が生み出したものだ。動物たちを見てごらん。動物は罪が何であるか知っているか?
「動物は神を知らないから、罪も知りません」
「そんなふうに言うなよ。英知は無知の中にあり、知識の中にはない」

ラスプーチンは汽車から降りると、皇后の下へ直行した。彼女は、ラスプーチンが皇帝に提出してほしいといっていた4つの問題-国会、ペトログラードの新総督、食糧不足、責任の取れる政府を求めて扇動を繰り返している自治組織の全ロシア都市連合-についてはすでに伝えていた。そのほか5番目の問題が残っていたが、アレクサンドラはそれを忘れていたと書いている。6月7~14日までの間、朝から夜遅くまで訪れる大勢の訪問者についての彼の記録によれば、大半は上流社会の夫人、娘達、愛徳会修道女で、男性は女性に比べて少ないが、それでも数は多かった。夫人達の多くは、「最新流行の衣服を優雅に着こなしてはいたが、年は若くなく、バルザックの小説に出てくる女たちのようにな年恰好だった」。「ピチピチした美人の若い娘達」も大勢いた。隣人の事務員は、彼女達が彼に会うために、庭を歩いている時や階段を上ってくる時に見せる真剣な表情が脳裏に焼きついていた。彼女らは、あたかも何か重大なことに立ち向かっているかのように、何か考え込んでいるような非常に集中している感じだった。男性の中には非ロシア人タイプ(ユダヤ人を意味する)もいたが、かなりの地位の、ロシア系の信頼できる紳士達もいた。


マナセヴィチ=マヌイロフ 1912年のイリオドルスキャンダルのあと、ラスプーチンにインタビューしたジャーナリスト。小柄で立ち振る舞いは優雅、仕立ての良いスーツに身を包み、堅いカラーと蝶ネクタイの上に突き出た大胆不敵な丸顔の目は射るように鋭く、冷たい官能的な口元をしていた。彼の優雅さの下には「警察の犬、スパイ、詐欺師、ペテン師、いかさま師、偽造犯、ごろつき」が隠されていたと書いている。マヌイロフは田舎のユダヤ商人の息子だが、状況しだいでユダヤ教徒、ルーテル派教徒、あるいはロシア正教徒になりすました。彼の出世はメシュチェルスキー公の引き立てによるものだった。公はまずこの田舎青年を最高の洋服屋に連れて行き、次にオフラーナに紹介した。


皇后のドイツ送金問題 (1916年頃)

マヌイロフが内相の老フヴォストフの命令で、クリモヴィチに逮捕された。彼はモスクワのある銀行に多額の金を出せと強要したことと、金を取って徴兵免除を世話していた廉で告発された。うまい罠を仕掛け、札に印の付けられた1万ルーブルを置いておいた。マヌイロフがこの餌に食いついたとき、スチュルメルは内相を大げさに抱擁して、自分の自称秘書マヌイロフを、「ごろつきのゆすり屋」と罵倒した。だが、スチュルメルは喜ぶどころか縮みあがった。マヌイロフが、ラスプーチンと首相が連座いしていることを裁判でばらすと言ったのだ。スチュルメルはフヴォストフに相談もせず、クリモヴィチを解任した。その後で、フヴォストフも首になった。フヴォストフはスチュルメルに別れの挨拶をしに行って「これではじめて、本当に気持ちよくあなたのもとを辞去できます」と言った。ロシアにはない障害なくなった。

ラスプーチン一派が、もう1人トラブルに巻き込まれていた。ドミートリー・ルビンステインがドイツのスパイとして告発されたのだ。この金融業者は、工場の保険を専門にしていたアンカー保険会社の全株式を買い占めておいて、この会社をスウェーデンの会社に売り、巨額の利益を得ていた。その取引の一環として、この会社が保険をかけていた全ての工場の見取り図をストックホルムに送った。工場の多くは軍需工場だった。スウェーデンとロシア領フィンランドの国境では、すべての郵便物と外交伝書使(クーリエ)が調べられていた。この見取り図が露見した時、ロシア軍諜報部はその背後に巨大なスパイ網があることを偶然発見した。ラスプーチンの友ルビンステインは投獄され、処刑を免れえない状況に直面した。

さらに悪いことにはシマノヴィチとラスプーチンはルビンステインを信用できる銀行家としてアレクサンドラに紹介していた。彼女はこの人物を利用して、ドイツの困っている友人や親戚に、スウェーデン経由で送金していた。敵国民への送金は絞首刑に値する犯罪だったからだ。ルビンステインとラスプーチンや皇后との関係は知れ渡っていた。彼はしょっちゅうラスプーチンの名前を使い、株式詐欺関連で投資家を信用させるために自分は皇室出入りの銀行家だと言っていた。ラスプーチンはコネの紹介では、ルビンステインに金を要求しなかった。その代わり、彼特有の気前良さと、現金嫌いのため、絶え間なく自分の陳情者をルビンステインの事務所に送り、ルビンステインは彼らに銀行の架空のポストを与えて給与を支払っていた。シマノヴィチによれば皇后は「彼女とルビンステインとの関係が知れ渡ることを非常に恐れた。前代未聞のスキャンダルになりかねなかったからである。」彼女は軍部に告発を取り下げさせようとしたが、担当の高官でありユダヤ人の大敵であったルズスキー将軍は拒絶した。将軍は皇后がペトログラードの刑務所からルビンステインを釈放する可能性を危惧して、彼をプスコフ刑務所へ移した。あの手この手で私利をむさぼる高位高官をあらゆる階層の人たちが真似ていると「タイムズ」の特派員ロバート・ウィルトンは思った。ロシア全体が「不法占有の嵐の中に射るようだった。誰もが隣人からできる限り奪おうとしていた。不正な方法で、金がこんなにやさしく稼げるときはなかった。」

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