ヴェニスの商人の資本論 2/3~中央銀行券発行は富の形成

英語のどの受験参考書にも例文として載っているように、"The proof of the pudding is in the eating" すなわち、プディングであることの証明はそれを食べてみることである。だが、分業によって作る人と食べる人とが分離してしまっている資本主義社会においては、プディングは普通お金で買わなければ食べられない。プディングがプディングであることの証明、いや、プディングがおいしいプディングであることの証明はお金と交換にしかえられない。たとえば、洋菓子屋の店先でどのプディングを買おうかと考えているとき、あるいは喫茶店でプディングを注文しようかどうか考えているとき、人はプディングそのものを比較しているのではない。人が実際に比較しているのは、ウィンドウの中のプディングの外見であり、メニューの中のプディングの写真であり、さらには新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等におけるプディングのコマーシャルである。これはいずれも広い意味でプディングの「広告」にほかならない。すなわち、資本主義社会においては、人は消費者として商品そのものを比較することはできない。人は広告という媒介を通じて初めて商品を比較することができるのである。広告とは常に商品についての広告であり、その特徴や他の商品との際について広告しているように見える。だが、人が例えばある洋菓子店のウィンドウのプディングの並べ方は他の店に比べてセンスが良いと感じるとき、あるいはある製菓会社のプディングのコマーシャルは別の会社の寄りも迫力に乏しいと思うとき、それは広告されているプディング同士の差異を問題にしているのではない。それは、プディングとは独立に「広告の巨大なる集合」のなかにおける広告それ自体の間の差異を問題にしているのである。広告と広告との間の差異-それは、広告が本来媒介すべき商品と商品の間の際に還元しえない、いわば「過剰な」差異である。広告が広告であることから生まれるこの過剰であるがゆえに純粋な差異こそ、まさに企業の広告活動によって立つ基盤なのである。


経済学の父の「貨幣を数えるな」という禁止の言葉に逆らって、一国の富と言うものをもう一度数えなおしてみよう。アダム・スミスにとっての富の概念は「年々の生産物」に他ならず、それは現代の経済学の用語では「国民総生産」の概念におおよそ合致する。しかし、国民総生産という言葉そのものが示しているように、いまだにアダム・スミスの末裔が支配している経済学の用語法に含まれている予断の影響から逃れるために、我々は一国の富と言うものを各時点各時点で一国が保有している資産の総額によって数えなおすことにしよう。アダム・スミスの言葉を借りれば、それは一国の年々の経済生活の手段を供給する「本源的」な「基金」に他ならない。もちろん、アダム・スミス自身が示唆しているように、年々の生産物を生み出す「土地と労働」は我々の意味でも一国の富に数え上げられるべきである。さらに当然、生産活動に用いられる様々な資本財もその中に数えあげられる。これらの「実物物産」については問題は無い。だが問題は、株式、債券、貨幣等のいわゆる「金融資産」と言われるものについてである。

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ある人がある企業の株を保有しているとしよう。その時、その株はその人個人にとっては資産である。しかしながら同時にその株式を発行している企業にとっては、それは自分の保有する実物資産である土地や資本財を裏づけとした負債に他ならず、したがって経済全体にとっては既に一度実物資産が資産として数え上げられている限り、株式保有者のプラスは、株式発行者のマイナスと打ち消しあってしまう。すなわち個人あるいは企業が発行し、個人あるいは企業が保有している株式や債券や借金証文は、一国の富の中には勘定されないことになる。それでは「貨幣」についてはどうであろうか。不換紙幣である現代の中央銀行券から考察してみよう。銀行券はものが買える。したがって銀行券はそれを保有している人にとって資産である。他方、銀行券は形式的には他の債券と同様に発行者である中央銀行の負債である。個人や私企業の場合、自分の発行した借金証文や債券を持ってきた人に対して、自分のほかの資産を取り崩して指定の金額を支払わないのにひきかえ、中央銀行の場合は銀行券を持ってきた人に対しては全く同額の銀行券を手渡せばよい。中央銀行にとって支払のために他の資産を取り崩す必要など全く無いのである。すなわち、銀行券の発行額が記載されている中央銀行の負債勘定は、中央銀行にとって決して返済する必要の無い負債を表していることになる。結局、それは形式的には負債に他ならないが、実質的に負債として機能しない。それゆえ、経済全体にとって銀行券の全発行額は丸まる純資産として勘定されることになる。アダム・スミスの言に反して、貨幣は少なくとも銀行券の形態をとっているときには、労働、土地、資本財等の実物資産と並んで一国の富の一部を形成する。

「不均衡動学」という名で私が呼んでいる新たな理論的アプローチは、伝統的経済学と経済人類学がともに「信奉」している「自己調整的システムとしての市場経済」および「合理性の手段としての市場貨幣」という虚構に挑戦する試みである。それは、市場経済とは、まさに交換手段として貨幣を用いることゆえに供給は自らの需要を作ると言うセイの法則を失い、その結果ある本源的なパラドクスをはらまざるを得ないことを論証するものである。すなわち、それはありとあらゆるものが商品化され、すべての価格が自由にかつ分権的に決定されるような経済とは、人々の貨幣の保有が可能にする総需要と総供給との間の不均衡のほんのわずかの実現に対しても、ハイパー・インフレーションや恐慌といった累積的不均衡過程を発生させてしまうひどく不安定的いや非合理な性質を持っていることを示している。伝統的な経済学および経済人類学の主張とは逆に、市場経済とは決して完全には自己調節的ではありえないのである。不均衡動学は自己調整的であるべき市場経済の中に自己破壊性を見出し、合理性の媒介手段であるべき現代の貨幣の働きのなかに非合理性を見出すことによって、社会に埋め込まれた経済「対」自己調整的な経済、あるいは合理性の手段としての貨幣「対」非合理的な貨幣と言う、伝統的経済学と経済人類学に共通な二項対立的な思考様式からの脱却を試みるのである。

【通貨創造・金とは?】
2015.02.24 仮想通貨革命 ビットコインは始まりにすぎない 4/7~ブロックチェーン
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2012.07.13|ウォールストリートの歴史 8/8 ~ニクソンショック
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2010.09.28: 世界四大宗教の経済学 ~キリスト教とお金
2010.07.09: 資本主義はお嫌いですか ~大ペテン師 ジョン・ロウ
2009.12.30: 金融vs国家 ~金・金融の意義
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