イスラーム国の衝撃 3/4~超国家的存在へ

アル=カイーダ関連組織の「フランチャイズ化」

アル=カイーダ中枢は、パキスタンとアフガニスタンの国境地帯に潜伏し、両国の政府と駐留軍に対するターリバーンの武装蜂起に時折関与する以外には活動を制約された。グローバルな活動では、イデオロギー的な宣伝や精神的な支援、いわば「口先介入」に限定せざるを得なくなった。しかし、世界各地でアル=カイーダへの支持や忠誠を誓う集団・組織が自生的に現れてきて分権型で非集権的なネットワークが形成されていった。「イラクのアル=カイーダ」「アラビア半島のアル=カイーダ(AQAP)」「イスラーム・マグリブのアル=カイーダ(AQIM)」といった、地域名を冠した関連組織が次々に出現し、相互に緩やかなネットワークを形成した。また、ソマリアの「アッシャバーブ」やナイジェリア北部の「ボコ・ハラム」といった、直接アル=カイーダの名を冠していなくても、密接に関係を結ぶようになった組織もある。

各組織はそれぞれの国や地域の紛争・対立構図の中で、テロなど人目を惹く作戦行動を自律的に行ったうえで、ビン・ラーディン(その死後はザワーヒリー)に忠誠を誓い、アル=カイーダの一部として事後に認められていく。これらの組織の中には、指導者の一部がかつてアフガニスタンでジハードを戦い、アル=カイーダの指導層と直接的な関係を有する場合がある。このような組織のグローバルな広がりは、「フランチャイズ化」と表現されることもある。明確な組織や指揮命令系統によってつながるのではなく、理念やモデルを共有することによって協調・同調し、シンボルやロゴマークなどを流用することによって広がる緩やかなネットワークを表現するために、卓抜な表現と言えるだろう。アル=カイーダは、名乗りを上げた諸組織を支持し、アル=カイーダの一部として承認することで「お墨付き」を与える立場となった。アル=カイーダの中枢・本体は、いわば「フランチャイズ」の支部を認証する権限を持つ「本部」の機能を持つようになった。アル=カイーダという店名や商標の「暖簾分け」を許可あるいは拒否する権限を持つ「本店」「本舗」のような立場になったともいえよう


「イスラーム国」 前身組織の変遷

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1999~2004年10月 タウヒードとジハード団
タウヒードとは「唯一神信仰」を意味する。創設指導者のザルカーウィーは、アフガニスタンに拠点を築きながら、そこから故国のヨルダン政府に対するテロを実行していた。9・11事件を受けて米国の掃討作戦により拠点が脅かされると、ザルカーウィーは、2002年6月にイラクに移った。2003年のサダム・フセイン政権崩壊以降、反米武装勢力の中心組織として「タウヒードとジハード団」は台頭する。

2004年10月~2006年1月 二つの大河の地のジハードの基地団
一般的には「イラクのアル=カイーダ(AQI)」と呼ばれることが多い。正式名称の中の「基地」に当たるアラビア語が「アル=カイーダ」である。「二つの大河」とは、チグリス・ユーフラテス河を意味し、メソポタミアに相当する地域を指しているものとみられる。そこから「メソポタミアのアル=カイーダ」と訳しても良い。しかし実際には一般に「イラクのアル=カイーダ」と呼ばれるようになった。

シリアの戦略的価値

シリア内戦は、「イラク・イスラーム国」の対イラク政府の戦闘に有利な条件を提供することになった。イラク西部や北部を拠点としてきた「イラク・イスラーム国」が、国境を接するシリアの東部・北東部から北部にかけての広範な地域を拠点にすることで、「戦略的な深み」を得たからである。武装集団は国境地帯を自由に往来して活動するが、イラク政府は国境を越えて武装集団を追跡できない。国境を越えてシリア側に拠点を形成し、避難場所とし、資金や武器の調達を行うための訓練・発信基地を確保したことで「イラク・イスラーム国」にとって状況は格段に有利になった

イラクとシリアの間のアル=カイーダ系ジハード戦士の往来は、実は、シリア内戦時に始まったことではない。イラク戦争後の反米武装闘争への外国からのジハード戦士の流入の大きな部分は、シリアからだった。そこにはアサド政権の黙認があった。アサド政権にとって、米国のイラク統治が軌道に乗れば、「力による政権転覆を通じた民主化」というモデルが成立し、やがてシリアにも適用されかねない。アサド政権は、イラクの戦後処理と新政権の成立プロセスを妨害しておくことにメリットを見出していたのである。また国内にとどめ置けば反政府活動を行って政権に脅威となりかねないイスラーム主義過激派を、外国でのジハードに送り出して厄介払いする意味もあった。これはシリアに限らず、サウジアラビアやエジプトなど、アラブ諸国の政見が用いてきた常とう手段でもあった。

イスラーム国の資金源

イスラーム国の資金源については諸説が乱れ飛んでおり、この組織を実態よりも大きく見せている可能性がある。「世界で最も富裕なテロ組織」という形容句が興味本位もあって人口に膾炙したが、その根拠とされるのが、例えばモースルを陥落させた時に各銀行支店の金庫から4億2500万ドルを強奪した、といった話である。支配地域の油田や製油所から上がる収益を試算する試みを盛んになされた。また、サウジアラビアなど裕福な湾岸産油国が裏で支援している、という説も盛んに流される。しかし、これらの説には疑問が残る。銀行からの巨額強奪の話は、その後ニナーワ県知事によって否定され、石油密輸にしても市場価格の1/4といった極端なダンピング価格でポリタンクやホースのような原始的な設備を用いて細々と取引されているだけである。土着の密輸業者から「イスラーム国」が徴収できる税金は、さらにその一部に過ぎない。サウジアラビアが資金源という説は、イスラーム系武装勢力一般に流れる資金と「イスラーム国」の資金を混同しており、シリアやイランやロシアによる意図的なプロパガンダの影響を受けている。サウジアラビア政府の資金が直接「イスラーム国」に供与されているとは考えにくく、あったとすれば、ジハードを支援する宗教寄進財団を経由した個人の寄付だろう。

イスラーム国は、資金面では、①支配地域での人質略取による身代金の強奪、②石油密輸業者などシリアやイラクの地元経済・地下経済からの貢納の徴収といった「略奪経済」の域を越えない。重要なことは、略奪でまかなえる程度の組織であるということであり、そうであるがゆえに、国際的な資金源を断つ努力も、短期的に大きな効果は生みそうにない。石油などの密輸ルートにしても、「イスラーム国」の台頭の以前から、シリアからトルコにかけて地元業者が汚職高官の黙認を得て行っていたものであり、支配権を奪った「イスラーム国」がその権益を奪ったに過ぎない。外貨に乏しいシリアは、どの勢力が押さえていようが、自国東部の油田から石油を買うしかない。米国がシリア東部の製油施設を空爆すると、アサド政権の支配地域で燃料価格が上がったが、これは「イスラーム国」の資金源が地元の経済に根差していることの証左である。また経済水準と物価の格差のあるトルコとシリアの間には必然的に密輸ルートが成立する。米のコーエン財務次官の発言によれば、原油の密輸収入は1日約100万ドル、身代金は年間2000万ドル以上にも達する可能性がある。

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