坂の上の雲八 21~天気予報

「天気晴朗ナレド浪高シ」という文章は、朝から真之の机の上に載っかっていた。東京の気象官が、大本営を経て毎朝届けている天気予報の文章だったのである。日本の気象学と気象行政は、明治8年、東京赤坂で気象観測された時から始まる。同15年に東京気象学会が設立され、同17年に全国を7つに分けて地域の天気と予報が発せられた。

しかし、日本の気象学を実際におこすにいたった人物は、岡田武松(1874~1956)である。岡田は明治32年に東京帝大理科大学物理学科を卒業し、中央気象台につとめた。年表風に言えば、岡田の恩師の長岡半太郎が、この前年に原子核の存在を予言している。岡田が中央気象台に入ってほどなく日露戦争がはじまったため、彼は予報課長兼観測課長として、大本営の気象予報を担当することになった。戦争の運命を決定するのは時に気象であるということは、古くから言われている。このため日本は開戦前後から戦場の周辺に測候所を設置し始めた。韓国内では釜山、仁川など数箇所におかれ、華北では天津におかれた。

日本は気象学はその行政の面でも背伸びしていた。岡田は、「日本はロシアを相手に宣戦布告したが、世界中は日本を遅れた国だと思っている。だから英文の報告を世界の気象台や気象学会に送るべきだ」 として、戦時予報のために毎日へとへとになっていながら「中央気象台欧文報告」という海外向けの雑誌を発行した。岡田自身が編集し、論文も書いた。筋の通った記章研究者が何人もいないため、一つの号で岡田が4つも5つも論文を書いた。いよいよバルチック艦隊との衝突が近いというころになると、岡田は毎日の天気予報のために文字通り骨身をすり減らした。


この時代、戦艦の装甲板の防御能力は実に高く、これを攻撃するための最大の砲弾である12インチ砲弾さえ、戦艦を沈めることができないということが世界の海軍の定説であった。「戦艦は沈まない。とくにスワロフ以下5隻の新鋭戦艦の装甲はいかなる砲弾にも耐える」と、ロジェストウェンスキーもその幕僚たちも信じていた。

この海戦で、結果においてはロシア側の戦艦が日本の砲弾のためにどんどん沈んだのである。その理由についてはのちに種々の意見が出た。「日本の下瀬火薬と伊集院信管による」という意見は、ロシア側に多かった。なるほどこの日本が開発した奇妙な砲弾は、世界一般の海軍砲弾の概念で律するより近いもので、現象としては鉄をも燃え上がらせるというものであった。しかし戦艦はたとえ燃えても沈まないのである。さらに下瀬火薬と伊集院信管を特徴とする日本砲弾は徹甲弾においてはむしろ短所を露呈した。この砲弾は敵艦の装甲に命中しても、砲弾自身は圧縮発熱のために戦艦のいわば装甲表面で自爆してしまい、装甲能力を欠き、貫通はほとんどしなかった。貫通しなければ戦艦を沈めることはできない。

軍艦の装甲構成というのは、艦の水線付近に厚くほどこされている。水線よりは上は薄い。水線以下は、まったく装甲されていない。その理由は水線以下は海水そのものが、陸上でいえば土塁のごとく防弾力をもっているからである。ところが真之が大本営に打った電文にあるように、「浪高し」であった。風浪のためにロシア軍艦が絶えず動揺し、腹(水線以下の無防御部分)を見せるためにそこへ日本の砲弾が命中し、海水の防弾力を借りる条件に乏しかった。このためそこから海水が入り、さらに一方、波浪が奔騰するため、水線以上の薄い部分に日本砲弾が命中して大穴をあけた場合も、海水がどっとそこから入った。このため艦はかたむき、ついにひっくり返って海底に沈むという物理的結果になった。もしこの日「浪高し」でなくても夜間の魚雷攻撃によって似たような結果になったかもしれないが、日本砲弾の威力が驚異的に高まったのは激浪のたすけによるところが多く、さらに東郷が風上へ風上へと自分の艦隊をもっていったことは、日本の全砲門の照準をたやすくさせるのに大いに効果的であった。

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戦艦スワロフの惨況もすさまじかったが、とくに第二旗艦ともいうべきオスラービアはひどかった。この艦は日本側の最初の集中射撃で火炎と黒煙に包まれた。第二回目の集中射撃が海上にとどろいたとき、この艦は爆煙を上げ、火災を噴き、黒煙が海面を覆い、艦形が見えなくなった。この艦のスワロフ型の4隻の新鋭戦艦よりも速力が早いかわり、装甲が薄かったが、しかしそれでもこの当時、「いかなる砲弾でもHarveyed armourをつらぬけない」といわれていたハーヴェイ式装甲を艦体に巻いていた点でスワロフ型とおなじであった。ついでながらハーヴェイは米国人でニッケル鋼を用いて装甲の強度を飛躍的に高めた。日本の戦艦では三笠のほか朝日と敷島がこれを用いていたが、富士はそうではなかった。富士はハーヴェイ鋼からいえば旧式の合成甲鈑を用いており、このためオスラービアや敷島などが装甲9インチの厚さで済んだものが、18インチもの厚さを必要とし、それでもなお9インチのハーヴェイ鋼と同等もしくはそれ以下の防御力しかもっていなかった。オスラービアのハーヴェイ鋼はよく日本の砲弾に耐えた。しかし焼夷性の高い下瀬火薬が艦隊そのものを火にしてしまったのである。

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