わが友マキアヴェッリ 5/6 ~政変と更迭

ソデリーニの追放、新大統領ジャンバティスタ・リドルフィである。リドルフィは、反メディチではなかったがメディチ派でもない。ソデリーニ政権下で要職についていた人々で、解任されたものが1人もいないという事実である。クーデター当時、ソデリーニが後を託したほどの、ということはソデリーニの信認も扱ったという証拠だが、そのフランチェスコ・ヴェットーリもローマ駐在大使に任命されている。それなのになぜ自分だけが、とマキアヴェッリは免職という処分が信じられなかったのではないだろうか。しかし、これが枢機卿ジョヴァンニ・デ・メディチの深謀遠慮であったのだ。

大統領を1年任期に変えただけでその他をほとんど変えない状態は、フィレンツェ市民のメディチ家に対する不信感を、僭主制移行への怖れをやわらげる役に立ったであろう。新大統領がリドルフィであるのも、メディチの野心を隠すには好適だった。ジョヴァンニ枢機卿は、法王即位後まもなく若い甥のロレンツォにあてて、フィレンツェを治める手段に享受した手紙を送っている。「おまえは、フィレンツェの官僚機構の主要ポストに、自派の人間を浸透させることを忘れてはいけない。この目的の第一は、情報を得ることだ。それには、ニコロ・ミケロッツィが、好適な道具になってくれるだろう」 メディチは、マキアヴェッリが15年占めてきたこのポストに、スパイを送り込んだのだ。マキアヴェッリには免職になる理由があったのである。

1513年、ジュリオ2世が死んだ。コンクラーベと通称される法王選出のための枢機卿会議は3月6日、第一回が開かれる。当初からジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿は有利な戦いを進めた。もともと、彼の才能は周知の事実でもあったのだ。ただ、メディチ枢機卿の不利は37歳という若さにあった。ローマ法王はいったん選出されれば死ぬまでその地位にとどまることになる。このような制度を取る以上、若年者を選んで何十年も居座られていては、枢機卿達にとっては困るのだった。枢機卿とは次期法王被選挙権者でもあるからだ。しかし、ジョヴァンニ・デ・メディチは、その自らの不利を補う策も忘れなかった。たしかにちょうど時期は一致していたのだが、持病が悪化したということでコンクラーベ中に手術までして見せたのである。持病は痔で、こんな調子では若くても先は長くない、と枢機卿たちに思わせるに効あった。

可愛そうなマキアヴェッリ。才能さえ優れていれば、人は拾ってくれるものと信じていたのであろうか。それとも、増す一方の家計の苦しさが、彼に失業状態を続けていく贅沢を許さなかったのであろうか。43歳の彼には、養わねばならない家族があった。妻に1人の娘と3人の息子と、そして翌年の9月にはもう1人生まれるので、計7人の家族になる。免職されてしまったから、給料はゼロ。マキアヴェッリの財産といえば、フィレンツェ市内の家とサンタンドレアの山荘があるだけだった。マキアヴェッリは市内にとどまろうと思えばとどまれたのだ。それなのに山荘に移転してしまう。しなくてもよくなった追放刑に自ら進んで従ったようなものである。これは、私には経済上の理由が大きかったと思えてならない。フィレンツェ郊外の山荘と言うのは、売り先に困らないオリーブ油と葡萄酒が特産物である。贅沢を言わなければ、一家7人の口を飢えさせるまでには至らなかったであろう。根っからの都市生活者で、つい先ごろまで国政の中枢にいた人間にとっては、山荘での静かな生活は耐え難いくらいの生との断絶を意味する。これが44歳に移ろうとするマキアヴェッリ、苦しめずにはおかなかったであろう。ニコロ・マキアヴェッリは、平穏な隠遁生活をそれはそれとして愉しめる男ではなかった。これも第2の人生と、悠然とかまれる性質の男でもなかった。彼は熱中に怒りをたぎらせながら「隠匿」したのであろう。『君主論』は、この怒りの産物であったと思うのは、誤った判断であろうか。


官僚マキアヴェッリだけで終わっていたならば早晩忘れ去られていたに違いないが、もの書きマキアヴェッリは、歴史上に名を残すことになる。なぜそうなったかをバートランド・ラッセルは『西洋の知恵』の中で、次のように簡潔に説明している。-政治を論じたマキアヴェッリの二大著作は、『君主論』と『政略論』である。『君主論』は、君主政下での権力は、どのようにすれば獲得でき、どのようにすれば維持できるかについて、その方法と手段を論じたものである。それに比べて『政略論』は、共和政を主としながらもあらゆる政体別に、それぞれの政体下での権力とのその適用について論ずることで成り立っている。『君主論』でのマキアヴェッリは、慈愛に満ち徳の高い行為を、政治の世界に求めていない。それどころか政治権力を獲得するには悪しき行為も有効であるとさえ断言している。ためにマキアヴェリズムという言葉は、いまわしくも不吉な印象をひきずることになってしまったのである。

マキアヴェッリは人間性に対しては最高のペシミストであった彼は、自分のこととなると、無邪気と言ってよいくらいのオプティミストであったらしい。真のルネサンス魂は、レオナルド・ダ・ヴィンチに体現されていると、私も思っている。そして、ニコロ・マキアヴェッリは、政治思想の世界でのレオナルドであった、と思うのだ。その彼の代表的作品が、『君主論』と『政略論』である。とくに『君主論』は、主題の挑発的なことと文体の明快さと、そしてこれは無視できない利点なのだが、一気に読める分量であることによって、世界の名著に欠かせない一冊となった。

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