許永中日本の闇を背負い続けた男 3/4~仕手戦

東邦生命は1999年に破綻し、アメリカの最大手ノンバンク、GEキャピタルに買収される。太田は経営者として会社の清算人から損害賠償請求され、2004年には7億円近い賠償を命じられた。東邦生命そのものは2003年、GEエジソン生命保険となっていたのをアメリカのAIGが買収。また千代田生命も2000年に破綻した後、AIGに吸収されAIGスター生命となった。

京都の観光名所、円山公園、国の土地を京都市が借りて管理しているこの桜の名所の一角に、純和風の数寄屋造りの邸宅がある。小さな4メートル道路を隔てた屋敷のすぐ隣は知恩院。すっかり古都の景勝に溶け込んでいる。円山公園の敷地内にある豪華な邸宅だ。実はなぜかそこだけが民間人の住まいになっているのである。屋敷の主は安田英全。本名を鄭英全という。同志社大学卒業後、ソープランドや焼肉店などを経営し、成功した。

大阪国際フェリーとバブル

大阪国際フェリーは、下関と釜山を結ぶ関釜フェリーにならったものといわれる。関釜フェリーの定期航路を事実上運営していたのは、許にとって在日の大先輩に当たる町井久之だった。町井は戦後東京の闇市を牛耳って「東声会」という暴力団組織を結成した人物としてその名を知られる。町井や東声会は2007年に東京地検特捜部によって逮捕された元公安調査庁長官、緒方重威ともかかわりがある。広島・仙台の両高検検事長を歴任してきたヤメ検の大物弁護士である。そんな法曹界の大物が、前代未聞の北朝鮮系の在日団体「朝鮮総聯」本部ビルの詐取容疑で摘発され、注目された。その傍ら、緒方らが取り組んでいたのが、町井久之死後の資産処理だった。町井が六本木の一等地に残した「TSK・CCCターミナルビル」という物件の再開発プロジェクトだ。結果、再開発事業の資金繰りに行き詰まり朝鮮総聯不動産詐欺を引き起こした、と東京地検が緒方らに狙いを定め、事件化したのである。

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1988年の夏から秋頃、京都銀行株が東京の仕手筋に買い占められていました。その回収を、京都自治経済協議会理事長の山段芳春さんから依頼されたのです。本名を相宗芳春という。本名は結婚相手の姓だが、本人は元の苗字の山段を名乗ってきた。表向きはキョート・ファイナンスやキョート・ファンドの会長であり、会社オーナーとして君臨してきた。1930年生まれ、小学校卒業後、満州開拓団に参加、戦後の混乱期にはいったん京都・新京極の繁華街を縄張りにして雑貨商を始めた。終戦直後はすさんだ闇市で、そこで始めた雑貨販売は軌道に乗らず、やむなく山段は京都府警に就職する。旧西陣警察に勤め、米軍施設の警備を担当した。米軍施設の警備を担当した警察官の山段は、やがてアメリカのキャノン機関やそれを指揮していたウィロビー米軍少将率いる「CIC機関」に出入りするようになる。キャノン機関と言えば、反戦作家の鹿地亘を誘拐監禁したことで知られる謀略組織だ。レッドパージ盛んな戦後間もない日本にあって、、労働組合活動の沈静化に手を焼いた進駐軍は、組合に対抗して日本人スパイを使った。山段はそんな米国諜報機関のスパイとして活躍し、情報収集のノウハウを学んだ。警察を辞めた後、いったん弁護士事務所に勤務するが、ほどなく独立する。そこから山段は得体の知れない情報網を張り巡らし、企業スキャンダルの裏で暗躍するようになる。山段は、京都信用金庫の跡目争いに首をつっこんだ。副理事長の榊田喜四夫に接近し、大和銀行出身だったライバル副理事長の追い落とし工作を買って出たのである。榊田はみごとに理事長に椅子を射止めたがこのとき山段は、女性問題から取引先との関係に至るまで、あらかじめ榊田の恥部を調べあげていたという。そのうえで、榊田の見方についていた。榊田体制になれば、そのネタがものをいう。こうして山段は京都信用金庫に食い込んだ。

許永中はKBS京都問題を通じて、山段と知り合う。KBS京都では、社長だった内田和隆と創業者の未亡人である白石浩子が対立していた。内田側についた許は、当初、白石家側に立った山段と敵対する。両者の対立は数ヶ月に及んだ。だがそのうち状況が一変する。KBS京都創業家の白石浩子と山段が金銭トラブルで決裂したのだ。原因は白石側が山段に申し入れた7億円の融資の条件をめぐるトラブルだとされる。そこから逆に許と山段が共闘していく。両者は山段と敵対していた内田の社長退任を条件にして折り合い、KBS京都が株式資本を増資し、それを山段が引き受けるという条件まで決まる。

堤清二との株取引

1980年代半ば、最初に京都銀行株を買い占めていたのは、街金融アイチの森下、その他にも仕手集団コスモポリタングループ総帥の池田保次らも参戦していた。「仕手筋から2000~3000万株の京都銀行の株を回収しました。」 許は、イトマン事件における1991年の取り調べで、検事にこう話している。株を買う資金繰りのために、足しげく街金のアイチへ通い、ファイナンスを申し入れた。購入する株式を担保に金を借り、株を買い増していくやり方だ。結果、許の持ち株は2300万株に達した。京都銀行の発行済株式数の7%近くに当たる割合で、時価評価額にすると220億円にも達していた。
「いったい、こんなに集めてどうするつもりなのか。うちに対する金利は払えるのか」 マムシの森下が、そう問いただした。
「最初から引き取ってもらえる相手が決まってまんのや。セゾンの堤さんから言われてましてな。堤さんは近江の出やから、ぜひとも京都銀行や滋賀銀行を傘下におさめたいそうなんですわ。」
許は株をまとめ、高値で引き取らせて、一儲けしようとしていたという。堤家の清二、義明兄弟は犬猿の仲とされる。清二は西武グループの創設者である堤康次郎の次男として生まれたが、傍流を歩んだ。康次郎には長男がいたが、廃嫡したため、本来は清二が跡取りの立場であった。しかし、三男の義明が本流の西武鉄道グループを任されたのに対し、清二は傍流の西武百貨店の経営を継いだだけだった。原因は父、康次郎が清二の東大時代の左翼活動を嫌い、跡取りを弟の義明に決めたためだといわれている。そのため、清二は弟に対するライバル意識から独自にセゾングループを創設した。そんな堤家にとって京都は父親時代からの鬼門といえた。義明率いるプリンスホテルは、皇族を意識して名づけられたのだが、京都では宝ヶ池プリンスの運営にとどまっている。弟に対する対抗意識が人一倍強い清二にとって、京都進出は積年の悲願だったに違いない。現に清二は京都進出の足掛かりとして、いち早く京都ロイヤルホテルを買収し、経営に乗り出していた。そして福本は、そんな堤清二の願望を熟知していた。したがって買い漁った京都銀行株を高値で堤に売り抜けられる。許は大阪府民信用組合などからも金を借り、京都銀行株をかき集めた。仕手筋の所有株も含めた京都銀行株の購入費用はじつに600億円以上の金額になっていたという。許がかき集めた株は、ついに京都銀行の発行済株式の11%に達した。東京日比谷公園の前にある「帝国ホテル」のスイートルームで、許永中は堤清二を待っていた。取引金額は700億円近くに上ったという。部屋の電話が鳴った。しかし会話の内容は期待にそむいた。「申し訳ありませんけど、堤はそちらへは行けません。この話は無かったことにしてもらえませんでしょうか」

京都銀行株の取引に失敗した許は、窮地に陥った。株買い占めのためにアイチから借りた金の金利ばかりがかさんだ。「なんとかなりまへんやろか」 困った許は、そうアイチの森下になきついた。資金を融通している森下としても、このままでは金利すら入らない。そこで、京都の黒幕、山段芳春が間に入って一役買う。古都の金融秩序を預かる山段は、かねて京都銀行の首脳から株の買い占め問題に関する相談を受けていた。森下が話した。「ちょうど地産の竹井さんが京都銀行株に関心を示していましたので、話をしました、いいところまで行ったんだけどね。」竹井を交えた新たな株取引の場所には、むろん山段も現れた。エリート銀行たちには、海千山千のバブル紳士と渡り合う度胸も無ければ気力も無い。何より、恐怖感が先に立つ。山段はそんな銀行側の守護神のような役割を担っていたわけだ。出席者は竹井、山段、森下、京都銀行の2人の常務だ。が、こと取引の中身に関して常務たちは山段に任せきりだったという。そこに竹井が異を唱えた。「具体的な条件については、京都銀行さんと直に話し合いたい。ついてはこの先の話し合いは銀行のほうと私だけでいいと思います。」山段はいったんそれを了解したものの、良い顔はしなかった。さらに翌日になって、竹井が新たな条件を追加する。京都銀行株を引き取る代わり、銀行から融資を受けたいと申し出たのである。これが山段の逆鱗に触れた。竹井は自分を話し合いの場から締め出した上、さらに調子づいている。結局か、株の売買は物別れに終わった。しかし、これで本当に弱ったのは当の京都銀行であり、監督官庁の大蔵省だ。「これだけの大量の株を場で散らすわけにはいかん。ましてや暴力団に渡ったら大変なスキャンダルになる。それだけは避けたい」 それが金融再編を進める大蔵省の本音だった。結果、大蔵省の意向により、京都銀行株は、許の会社と森下の会社の名義に分割され、そのまま、許・森下連合が持ち続けることになったのである。紆余曲折を経た結果、許はアイチからの借り入れを山段の支配下にあるキョート・ファイナンスに肩代わりしてもらい、株の名義を書き換えた。その新たな名義人になったのが福本邦雄である。許が京都銀行株を福本名義にしたのは、後々、株の引き取り先を探す際に好都合だからと考えたからに違いない。事実、株はその後、京都銀行とつながりの深い銀行や保険会社に割り振られ、ことなきを得た。こうした取引を経て、許永中は、京都の黒幕、山段や政商・福本と気っても切れない関係になっていった。そしてこれがイトマン事件以降の不可解な政財界との関係にも発展していくのである。ちなみにこの京都銀行の株問題を巡って許は、イトマン社長だった河村良彦にも相談している。イトマン事件発覚まで3年、闇の勢力と音手の政財界の境がなくなりつつあった。裏と表が渾然一体化した社会。許はその両方に軸足を置き、特異な在日韓国人実業家として、自らの歩みを進めていくのである。

【個別株日本株】
2014.08.29 現金同等物と現金
2014.06.24 日本市場のライツイシューの歴史(2014年5月時点) 2/2
2014.05.02 日本全土落下傘計画 東北編 3/4~石巻の産業
2012.08.15 ソントン食品(2898)MBOで非公開化1株1,000円
2011.12.13|今年最も読まれたニュース 1/2 国内編
2011.08.02: プロ向け市場「TOKYO AIM」一号案件 上場後値段つかず
2011.05.16: 東京電力の平均給与は電力10社中9位
2010.04.12: 日本の軍需産業
2009.10.29: 9651 キャッシュリッチカンパニーのキャッシュフロー計算書
2009.01.16: 財務諸表と金のありか
2008.09.11: その他有価証券の分析@9748
2008.05.31: カツラ会社の経営陣の退陣
2008.03.25: 一族家における投資教育 ~株式 動く時価、見える時価
2007.12.25: 9955 安いな、出動じゃ
2007.12.06: 財務諸表基本レッスン 売掛金と買掛金


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