タグ「中国」の一覧

大躍進政策が描いた夢想

1958年の共産党八全大会二次会議は第二次5か年計画を決定し、工業と農業の飛躍的発展を主要目標に掲げた。大躍進政策の開始である。工業成長率は毎年30%前後、農業成長率は15%前後に設定され、工業生産額において15年でイギリスに追いつくことが提起された。そして鉄鋼と石炭の増産、食糧と綿花の増産が発展の主要項目となった。

> 現在の中国におけるGDPである。

その結果1958年度の鉄鋼生産量は既定の620万トンから1070万トンに増量されたが現有の製鉄設備では達成が不可能となった。当時は鉄鋼の生産量が一国の工業力を示すバロメーターであり、工業成長率毎年50%の達成には鉄鋼の増産は不可欠であった。この状況下で考え出された奇策が、土法製鋼(自家製の小溶鉱炉による製鉄。土法は民間技術、土着技術)であり、民衆がそれぞれの生産現場から製鉄運動に動員される。

その結果、全国で100万以上の小溶鉱炉が出現し、9000万人以上が製鉄運動に参加した。製鉄に必要な石炭の増産に対しても、土法の活用と民衆の参加が推進され、10万以上の小炭田が出現した。大躍進では到達目標だけが独り歩きしていた。共産党は1958年の鉄鋼生産量を1108万トンと発表したが、実際に生産されたのは800万トンであった。しかも、この800万トンのうち、土法製鋼による300万トンは不純物が多く使い物にならなかった。製鉄運動に参加した民衆は鍋や釜など日常生活上の鉄製品を原料として使用した。石炭不足を補うために山林は乱伐された。大躍進政策が中国の工業発展にもたらしたのは、壮大な無駄であった。

まもなく大躍進政策の壮大なツケが顕在化する。農民が都市での製鉄運動などに参加した結果、本来は農作業に投入されるべき労働力が減少し、農業生産力は低下し始めていた。一方、工業活動の拡大に伴い増加した都市人口を賄うため、政府は農民からの食糧買いつけ量を急増させ、農村の保存食量は減少していた。人民公社では公共食堂で無料の食事が提供され、再生産用の種子までが消費されていた。以上の状況のもとに、農村では1959年から1961年にかけて大飢饉が発生し、死者は2000万人とも3000万人ともいわれる。しかし農村から収奪した食料を配給されていた都市では、死者が出現することはなかった。農村での大量餓死者の出現を背景に、毛沢東は1958年12月にはみずから提案して国家主席の職務を退く。そして翌59年に劉少奇が新しい国家主席に就任した。このあと劉少奇と鄧小平の指導下に、大躍進政策により不正常に肥大化した経済活動に対する調整政策が推進された。調整政策の眼目は、都市人口の削減(農民を農村に戻す)、基本建設事業の縮小、農業生産の回復と発展(人民公社における共通化の程度を引き下げ、農民の生産意欲を引き出す)、市場の安定、赤字財政の克服などであった。


文化大革命前夜の政治状況

Ryu-Shouki.jpg

毛沢東は、劉少奇と鄧小平が指導する経済の調整政策を、資本主義への道を歩む修正主義の出現だと考えた。そしてこれを阻止するため、文化大革命を発動する。文化大革命の正式名称「プロレタリア文化大革命」であり、1966年8月に開始が決定され、1976年9月の毛沢東の死により終息した。81年になり鄧小平は、文化大革命を毛沢東の晩年の誤りとして徹底的に批判した。文化大革命勃発の背景には、国内的要因だけでなく、中国とソ連の反目が存在した。独裁者スターリンの死去(1953年)後に権力を掌握したフルシチョフは、中国との相談なしにスターリン批判(1956年)を行ったが、西側諸国との平和共存路線や、議会を通じた社会主義への平和的意向を提唱し、中国の大躍進政策を批判していた。

劉少奇の抵抗と無残な死

毛沢東は劉少奇を最大の走資派(資本主義の道を歩むグループ=走は中国語で歩くの意)として葬り去る。しかし政治路線上の対立からだけで、あれほど残酷な仕打ちで生命まで奪い去ることができるのか。この間の経緯について中国側の文書は多くを語らないが、文化大革命の背景には政治路線上の対立だけでなく、自分の地位を脅かすナンバー2を倒そうとする毛沢東の凄まじい執念が存在した

1956年のスターリン批判後の第8回中国共産党全国代表大会では、党章から毛沢東思想の文字が削除された。さらに新しい党章には毛沢東の引退を前提にして共産党名誉主席の職位が設けられた。そうして劉少奇と鄧小平を中心とする党組織の改編により、毛沢東の独裁権力は制限され始めた。以上の状況下に、毛沢東は自らの指導力の挽回をかけて大躍進政策を敢行した。しかし千万人単位の餓死者を出す大失敗に終わり、劉少奇と鄧小平の主導した経済調整政策により被害の拡大を免れた。毛沢東の面目は丸つぶれである。

何とかして、従来の絶対的威信と権力を回復しようとする毛沢東は、性急に社会主義教育運動を提唱する。自己の権力を制限し始めた共産党の官僚体制を階級闘争のダイナミズムにより揺さぶり、その動揺と混乱を収斂させる核となることにより、自らの絶対的権力と権威を復活させることが狙いであった。その結果が文化大革命の発動であり、これにより劉少奇にとどまらず鄧小平を含む多くの共産党幹部たちが、資本主義を歩む走資派として打倒された。

しかし同じように打倒された劉少奇と鄧小平の処遇には、大きな差異が存在した。劉少奇は1967年の7月に中南海の自宅を数十万人の大衆に包囲されて残酷な批判集会に引き出され、2時間も前かがみで立たされ残酷な罵声を浴び続けた。そして家族と切り離され、妻の王光美は刑務所に収監された。劉少奇は自宅に監禁されたあと病に倒れたが、治療は施されなかった。67年10月には共産党を除名されたあと、69年10月には病身のまま北京から河南省開封に移送され、倉庫部屋に放置され1か月後に死去した。悲惨としか言いようのない最後である。

これに比べて、鄧小平の境遇は遥かに恵まれていた。1967年の9月から中南海の自宅に監禁されたが、コックと用務員は残されていた。そして69年10月からは江西省に下放されトラクターの修理製造工場で労働を強いられたが、下放には妻も同行し日常生活を保障されていた。また工場での作業自体も過酷なものではなく、現地の共産党幹部による細やかな配慮がなされていた。そして1973年になり、鄧小平は毛沢東の承認により国務院副総理に復活したのである。

一方は横死し一方は復活するという、劉少奇と鄧小平の差は何によりもたらされたのか。従来の研究書ではほとんど議論されないが、以下に示す中国語訳されている2つの外国特派員情報は両社に発生した差異の原因を明快に説明している。特派員情報の1つは、ハンガリーの記者であったバラチ・ダイナッシが、その著作である『鄧小平』(解放軍出版社、1988年)の中で語る内容である。もう一つの情報は、ユーゴスラビア駐北京記者の語る内容である。

劉少奇は文化大革命勃発直前の1966年7月に、北京を離れていた毛沢東不在のままで中央執行委員会全体会議を開催し、投票により毛沢東を名誉主席に選出し引退させようとした。そして数か月にわたる多数派工作を行い、鄧小平も自己の陣営に取り込んでいた。ところが鄧小平が土壇場で、毛沢東の北京帰還を待って中央執行委員会全体会議を開催することを主張したため、劉少奇の試みは失敗した。自己の不在中での中央執行委員会全体会議開催を阻止しようとする毛沢東と、あくまで開催を強行しようとする劉少奇の間には、双方による軍事衝突にまで進みかねない鋭い対立が存在した。間一髪で衝突は避けられたが、毛沢東は林彪の部隊を動員し劉少奇側は新疆軍区司令員である王恩茂の部隊を動員した。劉少奇は、1964年のソ連のフルシチョフ解任劇を模倣しようとしていた。以上の経緯を背景に据えて劉少奇と鄧小平の境遇を考えると、一方が無残な死をとげ、一方が保護されたという差異に納得がいく。

文化大革命において「四旧」として批判された旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣に痛撃を与えたのは、紅衛兵と呼ばれた大学生や高校生の学生たちである。紅衛兵の暴力は、表向きは毛沢東の権威に支えられていたが、その遂行を可能にしたのは人民解放軍武力による後ろ盾であった。1966年7月18日から20日の間に、北京は林彪の部隊により選挙された。これにより、紅衛兵による国家主席・劉少奇のつるし上げも可能になったのである。北京の紅衛兵は1966年の8月から行動を開始した。商店の掲げる伝統的な看板を打ち壊し、旧い通りや建物の名前を革命的な前に改め(たとえば、繁華街の王府井通りを「革命路」、さらに「人民路」に改名)、地主や資本家であった人々の家屋に大挙して侵入し、家宅捜索により古い文物を押収し、あるいは破壊した。

共産党は農村の生態系を破壊した

土地改革で地主制度を廃止し、土地の所有形態は変化した。しかし結局何がもたらされたのか。土地改革で一度は小土地所有者となった農民たちの土地を農業社会主義化の名の下に共有化させ、さらにはやみくもに農民を土地に縛り付けて移動を禁じた。そして一方では、農業生産力の主力であった富農や中農が排斥された。一連の政策は既存の生産様式を踏まえた合理的な方針ではなく、生産関係さえ改変すれば生産力は向上するはずだというイデオロギー先行型の性急な方針であった。そして何よりも新国家建設の原資を農民から効率よく搾取することを主目的としていた。かろうじて生産を持続させていた農村社会という生態系を破壊することになり、1950年代末から60年代初めには政策の誤りにより、農村には大量の餓死者が発生した。

【困ったチャン関連記事】
2015.08.12 ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 2/5~磯田一郎の時代
2015.01.06 突然、僕は殺人犯にされた
2014.06.11 意外に最適行動するバカお嬢様
2014.02.26 人民元売却計画ステージ2 7/16~ドケチ仲間、香港人の友人
2013.09.06 政治家の殺し方 1/3 ~偉大な市長と作られたスキャンダル
2013.05.24 飯島愛 孤独死の真相
2012.12.11 ハート・オブ・ウーマンの耳が痛い台詞特集
2012.07.23 記紀以前の資料による古代日本正史 1/2
2012.01.05|競争と公平感 市場経済の本当のメリット 1/3 ~日本人と競争
2011.07.29: 後藤田正晴と12人の総理たち2/2 ~横柄なオヤジ
2010.08.11: 宮崎勤事件 塗りつぶされたシナリオ
2010.03.17: 山岸由花子は恋をする ヤンデレの研究
2009.12.15: 男は結局、体目的
2009.10.09: 華麗なる一族 困った女と良い女
2009.02.20: 女性との日常会話における苦悩
2009.01.09: バッグ買ってぇ~
2009.01.02: 現代天動説
2008.12.24: 女が男をヘコませる地獄の一言

勝敗を分けた戦略-隠された社会主義の汚点

戦略上見逃せないのは、内戦の帰趨を決定した満州の軍事状況である。満州は国境両軍の到着以前にソ連軍により占領されていた。そしてソ連軍は国民政府軍の満州進駐の速度を遅らせる挙に出たのである。さらにソ連軍は、共産党軍に満州到来を待ち、占領中の都市をその支配に委ねた。また日本軍から接収した武器を、共産党軍に提供したのである。これが共産党軍が戦略的に優位に立つ大きな要因となる。しかしながらソ連には共産党全面的に支援する意図はなかった。満州におけるソ連軍の動きは、ソ連が利権の回復をもくろむ満州内に、国民政府軍がアメリカ軍の助けを借りて進駐することへの抗議であり、最終的にはソ連は国民政府(共産党を内に含む)の中国支配を受け入れたと考えられる。事実としてソ連は日中戦争中には共産党よりも国民党を優先的に支援していたし、日本の敗戦間際には中ソ友好同盟条約を締結し、国民政府を中国を代表する政府として承認していた。この背景には、外モンゴルの独立を国民政府に承認させ、長年にわたる中国との領土問題をソ連側に有利に解決できるという外交上の利点があった。ところがソ連の思惑を超える新たな展開が発生してしまった。その結果国共内戦の帰趨が決定的になり、国民政府が南京から広州に移動した1949年4月の段階になってもソ連大使は国民政府の移動に同行することになる。

満州において共産党軍が勝利した要因として、以下の事実を考慮しなければならない。装備と数において優勢であった国民党軍の満州における展開は、大都市に集中した。これに対して劣勢の共産党軍は、大都市を結ぶ鉄道網を寸断して大都市を孤立化させた。国民党軍は航空機輸送に望みをつないだが、空輸能力には限界があり、国民党軍は食糧にも事欠く状況に陥る。一方、共産党軍は都市郊外の農村地区を厳しく管理し、物的かつ人的な補給を欠かすことはなかった。このようにして国民党軍は補給戦において敗北したのである。


続きを読む

中国の労働運動をめぐる不可避的対立

中国の労働運動は、国民党員や共産党員たちにより、国共合作が成立する以前の1920年代初頭から別々に開始されていた。そして中国の民族産業の未発達という状況下に、当初の矛先は列強諸国の商業活動や工業活動に向けられ、貿易港であった広州や上海において、港湾労働者の荷揚げ拒否などを中心に大規模なストライキが展開される。ストライキにより列強諸国の商業活動や工業活動に打撃を与えることは民族産業の発展に寄与した。

gu-koukyou.jpg

1年以上も続いた広州と香港のストライキでは、国民党と共産党は全国からの経済支援の下に、イギリス資本に大打撃を与えていた。また上海のストライキでは、著名な民族資本家であり上海総商会会長であった虞洽卿が、イギリス資本や日本資本に対抗するため、共産党と協力していた。虞洽卿は上海総商会を指揮して募金を集め、共産党にストライキ資金を提供した。その結果、外国の汽船会社がストライキで業務を麻痺させる間に、虞洽卿の経営する汽船会社の山北輪埠公司は業務を拡大させ大きな利益を得た。この段階では、共産党と民族資本家は反帝国主義闘争で利害が一致し、両者の間に衝突が起こる可能性は少なかった。しかし結局は、武漢において民族産業まで敵に回す労働運動が共産党の指導により展開された。その結果、国民諸階層の協力により帝国主義の圧迫と封建的要素を払拭するという国民革命の枠組みは崩れ去り、国共合作を支えていた経済基盤も破壊されてしまう。

ゴロツキの軍事力

会党は全国各地に存在し、内部には種々の社会階層が存在したが、主力は遊民階層であった。遊民層はマルクス主義ではルンペンプロレタリアートと呼ばれ、定職を持たない不安定な階層であり、生産活動に従事する階級としての資格を持たない存在であった。そしてその不安定さゆえに、ときとしてプロレタリアートの敵対階級に加担する危険を指摘されていた。それゆえ遊民層を中心とする運動などは、従来の社会主義理論では、全く肯定されえない運動であった。しかし毛沢東は、その「湖南省農民運動視察報告」(1927年3月)に明らかなとおり、共産党中央の批判をものともせずに遊民の発揮する暴力を革命の破壊力として容認し、社会主義への新たな道を切り開こうとした。中華人民共和国成立後に公刊された『毛沢東選集』では、遊民層に対するマルクス主義の否定的観点への配慮からであろう、毛沢東の「湖南省農民運動視察報告」の原文にあった、農民協会員中の遊民を形容する「緑色の長い上着を着ている者」や「賭博や麻雀を打つ者」などの表現は削除されることになる。

> んー。この中国における被差別対象である「遊民」がなんなのか、今一つイメージわかないな・・・。


中国の歴史上では、衰退した王朝末期にしばしば発生する遊民層の反乱が社会のさらなる動揺を促進し、やがては大規模な農民反乱を出現させていた。毛沢東は1928年11月の共産党中央への報告において、自分たちの遊撃戦は伝統的な反乱である打江山(ダーヂアンシャン、山などに立てこもり、武装して反政府活動を行う)であるとし、全国的な革命の高まりと結合する必要を確認している。自分たちの運動と伝統的特質を熟知していたのである。共産党員の反乱より15年前の1912年には、辛亥革命後の混乱の中で兵士や遊民層が結合した白朗(指導者の名前)の乱が発生し、14年には鎮圧されたが一時的に広大な支配圏を作り上げていた。それゆえ共産党員たちの行動は当時としては特別な出来事ではなかった。かくして外来の新思想の実験であった中国の共産主義運動は変貌し、中国社会の実情に即した展開を開始した。

続きを読む

Lippo Mall Kemang
大戸屋に行ってみました。

炭火焼定食とごはんをオプションでとろろご飯に替えて、160,000IDR(1300~1400円程度)です。うん、値段的に普通w 海外で食べる日本食としては、日本と同じかそれより少し高い程度。シンガポールは2倍くらいなので露骨に高いです。

ってことを書こうとしたのです。タクシーで行くと、ここから書き始めることになります。歩いているのは、ケチなのもありますが、ジャカルタの現状を見ることができないからです。それではジャカルタにシンガポールから来て、1か月も滞在している意味がないのです。

ドブ、穴、バイクなどあるのですが、夜は、これまた、東京やシンガポールのように道路がこうこうと照らし出される照明はないのです。照明ありますが、あれほど明るくありません。治安の問題ではないのですが、雰囲気が悪く、実際に危険なので、カネやSurfaceを持ち出しにくい気持ちになるのです。


じゃ、逆に今度は結論から。ガンダリアシティにも歩いて行ってみました。友人が住んでいて、「ガンダリアシティは日本人が多い。だから日本食も多くある。」とのことだったので、またフリーペーパーを片手に、歩きでトライです。片道1時間くらいかかりました。ブロックMから徒歩圏、地図上の直線距離で約1km、ジャカルタの場合、まっすぐスタスタとは歩けないので、歩いて30分弱程度かかります。メインのストリートを使えば、多少曲がっていても、もう少し効率的に移動できますが、いつも歩いている道路で面白くないので、Fatmawati道路の脇道を攻めてみることにしました

平日の昼間、友人は普通に働いているので、約束していたわけでもなく、一人で散歩がてら、途中で迷うことも想定しています。脇道はどこもかなり入り組んでいていて、曲がっていたり行き止まりがあったりするので、原則的に、脇道を使うことはお勧めできません。歩き始めて5分くらいは、歩いている道と記憶の上での地図上の道が一致していますが、だんだん、複雑になってきますので、脳内コンパスで目的地に向かってひたすら歩きます。途中で大丈夫かな・・・これというレベルに達します。どういう通りかというと…。


道路の幅、バイク2台が徐行すればギリギリすれ違える道幅、車は当然入れません。しかし、不思議なことに道路の両側はずっと民家が続いています。この風景どこかで見覚えが…

カリジョドだ…。2013年は、カリジョドで検索しても一切出なかったのですが、今は何件か出るようになりました。ただ、あまり行かないほうがいい場所です。カリジョドはかなり危険な場所なので、撮影とかできる雰囲気ではありません。

2013.08.28 ジャカルタ・リラクゼーション・アワー 9/16 ~神秘の場所カリジョド

今、私が歩いているのは、カリジョドではなく、平日昼間、ジャカルタ南の脇道です。では写真を。

Jakarta-Back-Street.jpg

続きを読む

幹部と呼ばれている共産党員たちは、1980年代半ばまでは、一級を最高位とし24級を最下位とする等級制度に区分されていた。そして人口の0.01%にすぎない13級以上の幹部が高級幹部と位置付けられ、古代の貴族同様にきわめて大きな社会的特権が与えられていた。建国当初の最高位は、毛沢東、ダライラマ、サイフジン(新疆ウイグル自治区指導者)の3名に与えられた3級であり、さしずめ正二位である。鄧小平は五級で正三位であった。現在の日本でも、等級制に基づく給料体系が存在するが、等級間に極端な格差はない。ところが中国での等級間の格差は極端であり、高級幹部になると国家から古代貴族さながらの大きな物質的特権が与えられる。

サイフジン、サイプーディンなのか色々書き方はある
Saipuding.jpg

伝統的な封建王朝の清朝は、1911年に勃発した辛亥革命により崩壊し、1912年には中華民国が成立する。さらに9年後の1921年には中国共産党が出現した。しかし当時、北京の紫禁城の奥には中華民国政府から歳費を支給された清朝最後の皇帝の溥儀が生活しており、溥儀がクーデターを起こした軍閥の馮玉祥により紫禁城を追い出されるのは、1924年である。これらの事実から、中国近現代史が「伝統」と「封建」、さらには「社会主義」を混在させながら進展しなければならなかった状況が理解される。

清朝の皇帝は二つの顔を持っていたのである。清朝は満州人の樹立した王朝である。満州人の皇帝は、漢民族に対して中国の伝統的皇帝として君臨したが、モンゴル人やチベット人に対しては、ジンギスカン以来の遊牧民族の大ハーンとして臨み(ジンギスカンの子孫から正統の証としての印綬を引き継いでいた)、支配・被支配の関係ではなく藩部の名のもとでの一種の同盟関係にあった。そしてモンゴル人もチベット人も、民族固有の法による自治を許されていた。さらに、満州人もモンゴル人もチベット人もチベット仏教徒であり、ダライラマを崇める人々であった。

続きを読む

次の日、アモギンがホテルに自転車を持ってきてくれました。レンタル・バイク(電動自転車)は走る場所によって違法な個所もあり、色々面倒なので、普通の自転車にしました。アモギンはこのホテルのそばの支店に勤めており、このホテルの会計担当者は直接の顧客。ツーカーの関係なので、私の部屋もアモギン経由で予約してもらいました。廈門の地図もくれました。私が目的とする廈門南部の杯島南路を通って廈門南部をグルッと一周するコースは約20km。「4~5時間かかる」とホテルの会計担当者が教えてくれました。

アモギンにはもう一つ重要な仕事がある。中国の銀行で、定期預金に問題が発生していたのである。3ヶ月定期預金が既に満期を向かえているのだが、自動的に3ヶ月定期にロールされてしまっている。次回はロールしたくないので、満期時に普通預金に戻したいのだが選択できない。一方、まだ3日しか経っていないので、3日分の定期預金金利をギブアップして、普通預金に切り替えようとしてもなにやらトークンに問題があるのか、引き落としもできないという閉塞状態。アモギンにホテルの部屋に来てもらい、インターネットバンキングを見てもらった。15分くらい格闘したでしょうか、インターネット環境のリセットをしてなんとか解決しました。支店に行かないでも済みました

続きを読む

大学生協のようなスーパーがあり、そこで飲み物を買って、大学構内をプラプラ歩きます。ちなみにエリコム・アモギンご両人とも廈門大学の卒業生ではありません。中国のマネキネコ猫ちゃんもそうでしたが、なんで大学行くのでしょうかね? 若いから? ケチだから? しかし、道路広いねぇ、特に歩道が広い。ちょっと古い感じの建物の雰囲気も大学っぽい。エリコムは早稲田大学に行ったことがあるらしく、綺麗な教会があると言っている。早稲田はキリスト教系大学ではないはず! と言わないでよかったw ネットで調べたところでは早稲田大学の構内に教会は本当にあるようです。また学生寮が構内にありました。「上海交通大学(マンハッタンのコロンビア大学だと思ってください)は上海のど真ん中にあり、全国区で学生が集まってくるのは分かる。ここもそうなの?」と聞くと、「そうだ。もっとも上海交通大学の方が有名だが。」という。エリコムが「ところで交通銀行ってBank of Communicationって書いてあるけど、Bank of Transportationだよなぁ?」とツッコミを入れていました。

誰の寄付なのかわかりませんが、露骨に新しい建物の前を通りながら「エキゾの大学は、新しく改装したりしてる?」、「俺が大学生だったのは20年位前の話だから、あまり正確に記憶していないが2年前に行った時にはそれほど変わっていなかった。」と答えた。友人がFBで駒場の学生会館前の写真をアップしていたが、そこはかなり変わっているようだったのは、今書きながら思い出したところだw エリコム「20年ほど前に大学生ね。アモギンと似たような年じゃねぇか」。あっ、やっぱり? アモギン、ネーさんの気がしたんだよ。高校が一緒って10歳以上年が離れていたら、同窓もクソもねぇよなぁ。

大学の専攻は?「数学、幾何学だよ。平面での直線の定義は知ってると思うけど、球面上で直線はどのように定義したら良いであろうか? つむじの存在、台風の目の存在は数学的に証明できる。」 昔、大学卒業したばかりの頃に、会社のオヤジに、「素人でも分かるように大学で勉強したことを説明して」って言われて、「素人でも分かるように半年かけて講義受けるのにそれ3分で説明って無理に決まってんだろ、このボケがぁ!」と思ったものだが、今、自分がオヤジになって、世の中一般がどの程度手を抜いた説明で納得してくれるかがわかったので、いつの間にかにそれができるようになっていました。ツイッターでつぶやけるほどの長さで説明してるね。

xiamen-univ.jpg

廈門大学のホットプレイスは三四郎池です。北京大学にもありましたがw 廈門大学は1921年創立なので、けっこう長い歴史があるんですね。エリコムが「なんで東大って大学構内のお土産で饅頭(まんじゅうではなく中国語でマントー)売ってるの?」と聞くので、思わず苦笑しながら、「日本人はお土産が好きだと言うこと、饅頭は砂糖が入っていて保存が良いからだと思うよ」と答えておきました。しかし、このことからエリコムは東京に行ったときに早稲田と東大の少なくとも二つの大学を行っていたことになり、廈門の地だからではなく、エリコムにとって大学に遊びに行くのは日常的な行為のようである。

続きを読む

しかし、旧正月真っ最中なのでチケットが多少高い。懸命に探してクアラルンプール経由で往復1000SGD弱のフライトを構築した。エリコムが旧正月で帰省、中国人の休みにあわせているゆえの、やむを得ない事情。クアラルンプールから廈門への飛行機、ほぼ100%中国人。CAも中国語で話しかけてくる。タイのクラビの飛行機とは対照的にドメってるわ。廈門の空港に降り立った瞬間、中国の匂い。小説家ではないので稚拙な表現でしか示せないが、食べ物ですかね、かすかなスパイスの香りでしょうか・・・。

バスで市内に向おうとするもわからず。3kmほどウロウロしましたが結局バスは見つからず。ですが私も転んでもタダでは起きません。ウロウロしている間に銀行を見つけ、5000元ほどおろしました。別省引落手数料は12.5RMB。ちなみに現地入りしてから中国元を下ろせばよいと思っていたので、所持金は500元程度であったが一気に10倍。空港に戻ってAirport Busは1時間待ちと言う。手持ちの現金も増えたことだし、面倒なのでタクシーにしたところ、15分ほどでホテルまで到着し30元。35元ほど渡しておきました。ここは上海や北京と違い、ぼったくりタクシーではないようです。

気温は寒い(対シンガポール)、20度前後。朝晩は冷えるため、上海で購入したヒートテックとカーディガンが役に立ちそうだ。街中を歩く人も冬服が多く、Tシャツではとても乗り切れそうも無いような気候である。だが、この季節はベストシーズンで、寒くも無く暑くもない理想的な気候と言えよう。

廈門市は福建省の市で、

面積 1,699.39 km²
人口(2013) 373 万人

を擁しシンガポールの707.1 km²より広い。ただ廈門市は島だけでなく、大陸部分も含まれる。ただ、地価は島が高く、工業地帯は大陸部分に多くあるという。ただ、中国にとっては軍事的に重要な拠点であり、台湾との海岸線の凌ぎ合いをする要所である。当然ながら海軍基地も島の南部に存在する。またバスの行き先の名前で、「保税区」と書いてあったので、貿易港としての税制優遇地もあるようだ。

続きを読む

落下傘部隊の背景 廈門の落下傘部隊とはシンガポールBBQで知り合った。中国人だが、MRTなどの鉄道・不動産開発プロジェクトを担うシンガポールのエリート公務員だ。思わずそれを聞いた時、「こんなショボいシンガポールの開発ではなく、本場中国でやれば、この10倍の規模の開発プロジェクトが国中にゴロゴロしてるだろ? 中国人なのに、なんで"わざわざ"シンガポール?」と問うてしまったら、中国は競争が厳しく、かなりな"エリート"じゃないとそのようなプロジェクトには絡めないという。確かに私の知っている中国人は、海外(非中国)に居る中国人ばかりで、彼らは英語も話せ、聞いたことのある大学を卒業し、低姿勢だが5分話せば頭の良さが露呈するようなエリートばかりだが、真の中国のエリートは、北京大学卒業後、共産党幹部候補生としての道を歩み始めると聞いている。日本人で言うなれば、いわゆる外資系金融のフロント部門で働いているのは、確かにエリートだが、やはり二流・亜流というのと同じなのである。

MRT-dev-rpj.jpg

続きを読む

私は「中国国内でファーストフードを食べない」という自分律を侵したことがない。正確にはグローバルチェーン・ファーストフードと規定すべきか、マクドナルド、KFC、ピザハット、サブウェイ、吉野家、バーガーキング、モスバーガーなどのシンガポールでは非常にお世話になっている店では、食べない。安くておいしいローカル飯が存在するからである。タイでもなるべくそうしているのだが、ローカル飯が辛くて食べられない同行者の都合でマクドナルド、大好きなバーガーチェーン、Carls Jrがタニヤにあったので行ってしまったことがあるのでZeroではないが、中国では正確にZeroだ。

刀削麺のようなもの。13元
麺に豚肉がのっているもの。 29元
コンビニで売っているおにぎり 3元×2 (鮭もある。それ以外の中国素材も写真を見ながら想像して買うと意外にうまい)

焼き芋 8元
葱餅 2元
アーモンドクッキー 1.5元
牛肉炒飯 13元
米マン 8元 (肉まん=鮮肉包だが、それがメイヨーだったので、米が入っているマンを頼みました)
肉まん=鮮肉包 2元 (日本のコンビニ肉まんより少し小さい。)

いずれもレストランではなく、お持ち帰り専門か、外スペースに机と椅子を置いただけ。上海の寒空の下で食べる形式であるが、このようにいずれも異様に安く、味も悪くない。日本のラーメンもあるのだが、上海(海外)で食べることができる日本のラーメンはもはやプチ・グローバルチェーンで、そういう味になっており、かなり割高だがシンガポールでも食べることができる。そうするとあえて上海で日本のラーメン食べなくても良いか・・・、ローカル食べておこうかな、という気にもなる。

続きを読む

金井寿司 
インターネットで検索しても金井寿司しか出てこないのですが、店の看板は12月1日より変更になっています。
021-62903003

水城路駅から北の仙霞路沿い。古北エリア(虹橋~水城路)はリトルトーキョーエリアで日本食が多いようです。金井寿司の特徴は"焼き寿司”です。これはなかなか無いので必須でしょう。鯛飯なんて乙なものもあったので、頼んでおきました。まま、適当に頼んでリーズナブルプライス一人500RMB程度です。


DVDショッピング 渋谷タワレコ

kanbu-taitei.jpg

帰りに水城路駅近くにある渋谷タワレコを教えてもらい、そこでDVDショッピングです。何故かというと中国ドラマや中国映画の日本語字幕付が手に入るからです。友人は最近、中国のドラマや映画を日本語字幕で見ることにはまっていると言っています。私が司馬遼太郎の「項羽と劉邦」が好きだと言ったら、友人のお勧めは、「項羽と劉邦」と「大秦帝国」、店員さんのお勧めが「漢武大帝」前漢末期のお話だそうです。全部で840元w DVDにして70枚分。どんだけ買ったんだよ。DVDショッピングに時間をかけすぎて終電がなくなってしまい、タクシーで老西門まで40元ほどで帰りました。

続きを読む

おーし、一仕事終えたな中国のマネキネコ猫ちゃん、おごりタイムー! 銀行にて、オンラインバンク凍結解除を確認できれば今回、上海に来た目的の99%達成だ。褒美を使わそう。

田子坊 9号線、打浦枡、駅前

日本で言うと、原宿のようなイメージでしょうか。狭い通りにゴチャゴチャと飲食店を中心に、くだらない小物などを売っているところです。迷路のようになっているのでわかりにくいですが、それほど広くないので店を探すのはそれほど苦労しないでしょう。今夜はアメリカンスタイルのステーキを食べようと、ここに来たのですが、日本の焼肉もあったのでメニューのご紹介。「霜降り、白い部分が入っていて、醤油で食べるのが日本の焼肉の特徴です」と説明したところ、「脂分が多くて、太りそうだ」と怪訝な表情。「でも薄くて量が少ないから、焼肉だけで太るのは難しいと思うよ」とフォローしておきました。

まだお腹が空かないので、しばらくブラブラしていると「高い!ジュースが30元もする!スーパーで買えば3元なのに。」と驚いているので、「場所代だよ。」と説明しました。京扇子の店に、日本人風の男性店員が立っており、「見るだけでもどうぞ」というので見学。京は京都ではなく、北京の京です。日本人かと思いきや中国人。「彼の日本語のレベルはすごいね、ホテルで働けると思うよ。話す以前に、立ち方や姿勢が、日本人の接客のプロだねぇ」と褒めると、「私の日本語はダメですか?」といじけてしまいました。

続きを読む

日本人のお友達と4人でディナー

Saffron
住所: 東平路21号(×衡山路)
電話番号:021-64683081

http://www.saffronshanghai.com/
http://r.gnavi.co.jp/shanghai/jp/cs67742/map.htm

地下鉄、10号線「上海図書館」下車後、淮海中路を西に進み、乌鲁木齐路右折⇒東平路左折です。タクシーは東平路と衡山路の交差点で降りてください。

なぜか中国でインド料理。私が指定しました。私の友人はグルメで、カレーが好きです。日本料理なら店の名前だけ教えてもらえば、自分で選べますが、私にとってはインド料理はメニュー選びが難しいからです。良いなぁと思ったのは、彼が前菜で頼んでくれた、カリフラワーのインド風唐揚げ?やたまねぎのインド風かき揚げです。野菜なので軽く、後に出てくるカレーで意外に食欲が伸びます。さすが、私と同い年だけあって、おじさんの胃袋の具合もよく心得ています。

お食事会の前にコスト削減のため、近所のコンビニでビールを買おうとしたところ、私のお気に入り銘柄、小麦王とハルビンビールがおいてなく、代わりに、三得利(サントリー)が置いてありました。アサヒスーパードライ以外の日本のビールをアジアのコンビニで見るのは初めてかもしれません。値段は500mlで4元の普通のビールと7元のプレミアム純生です。「シンガポールでプレモルはそれなりの所に行かないと飲めない」と言ったら、プレミアム純生は、プレミアムモルツではなく、中国国内生産で、サントリーは中国(というか上海)では、大衆向けのブランドを目指しており、老西門の聞いたことのないようなコンビニにも置かれているということです。サントリーの経営戦略に納得です。アジアは中国さえ押さえちゃえば、後はおまけみたいなもんだからね。ただ、上海ではそれなりに頑張っているけど、長沙では、「雪花」というビールしかありませんでした。一口に中国を押さえるといっても一筋縄では行かず、各地方・省を攻略するのは一つの国を攻略するのと同じくらい大変です。

続きを読む

南京路を歩いているうちに、外灘に到着しました。来ました、6年ぶりの上海の金融街。リアル・華麗なる投資一族。こんなこともあろうかと、上海の日本人からプレゼントしてもらった「華麗なる一族」のDVDも上海に来る前に見ておいたのです! 南京路の対岸・浦東新区の近代的な風景よりは、華麗なる投資一族の古めかしい銀行街が嫌いではありません。調子に乗ってバシバシ写真を撮ってしまいました。詳細はFacebookにて限定公開。しかし外灘も2008年に来た時と変わったねぇ。風景は変わってないけど、浮浪者が一掃された。08年当初は北京オリンピックを控えて中国バブル真っ盛りであったのに、外灘に行くと、赤ちゃんを抱えた物乞いや2歳くらいの乞食がここに居たのだが、2014年現在、彼らは一掃され、一切その姿を見ることはできなかった。

Shanghai-waitan.jpg

「センセイ、船に乗りましょう。2元ですから」

というわけで上海の100万ドルの夜景を40円でクルージングw 冬の上海は船の上だと少し寒いですが、ゆっくりとうごく船から外灘を見ましょう。外灘側は銀行しかありませんが、浦東新区は居住区も垣間見えます。

「うわー、高そうなマンション。家賃20000~30000元はしそうだねぇ」
「センセイなら住めますね。あの預金があれば」
「コラコラ、あれは使うためのお金じゃないのw 増やすためのお金だから使えるお金は1000元くらいしかないのよ」
向こう岸(浦東新区)に到着して、また外灘に帰る分にはFreeらしいのだが、せっかくなので浦東新区をとぼとぼ歩いてみたい。おそらく中国で最もバブリーな地域で、北京でもここまではないだろうから、その街並みを目に映しておいても良いだろう。

続きを読む

思わず見逃してしまいそうなボロホテルでしたが、無事見つけました。
中国のマネキネコ猫ちゃん「ここはホテルというより旅館ですね」
チェックインも無事に済み、荷物も置いたところで、
中国のマネキネコ猫ちゃん「お腹が空きました」
おーし、行こう行こう、俺は機内食を食べているし、一睡もしてないから食欲はないんだが、先生の言うことは聞かないとな。

ホテルの近所にある麺屋で麺くらいなら食べれるかと私も一杯。2人で22元(400円弱)、マジかっ!「水無いの?」水はないから、目の前の店で買えよと店員が指差すので買ってみたら甘い炭酸水だった。うう~中国のマネキネコ猫ちゃんに頼めばよかった。失敗。中国のマネキネコ猫ちゃんが、蒟蒻と野菜を豆腐で包んで、揚げて油揚げ状態になっている もの を1.5元で買っていたので、一口もらう。うま~い。やっぱり中国は全般に飯が安くておいしいですね。

中国のマネキネコ猫ちゃん「これから、どうしましょうか?」
俺 「銀行。なにしろ所持金が300元しかない。これでは困る。」
中国のマネキネコ猫ちゃん 「いっぱいあるのですが、この近くのどこにあるかわかりません。」
俺 「大丈夫。それは俺が探す。」

私はなぜか、銀行などの金融機関や風俗店が集中してある場所は、初めての場所でも勘でわかる。まっ、誰でもなんとなくわかるよね? 駅に向う、中信銀行、光大銀行が駅前、遠くに貨夏銀行が見える・・・惜しい。「でもこの近くに必ずある、あっちに行ってみよう。」 結局、最短距離で見つけました。

「インターネットバンクが凍結されている。とにかく支店に来いと言われたから今日来た。インターネットバンクを復活させて欲しい。」
70元の新しいセキュリティートークンを買うも、どうもピンと来ない。まぁいいや。

普通預金の残高はいくらあるか?

というのも、定期預金が満期になった場合、そこに資金が停滞してしまい、普通預金に自動的に振り戻されないことがあった。その場合、普通預金残高は1000元程度しか無いので、そのオペレーションだけでもしてもらおうと思ったからだ。

銀行員「普通預金残高はXX元です。」
中国のマネキネコ猫ちゃん「家が買えてしまいます。」

なんと満期になった定期預金が自動的に普通預金になっていたようだ。不覚。中国のマネキネコ猫ちゃん、知っちゃいけない投資一族の資金のありかと金額を見てしまったね。死んでもらいやす。

murakami00601.jpg
「見てないです、聞いちゃったんです」そう、彼女が見たのは一部の普通預金で、この他にも定期預金がある。ということで、とりあえずATMで金を下ろそう、5000元くらいでええかな~♪ あれ・・・ATMのデイリー・マキシマム3000元。ま、十分か。

続きを読む

チャンギ空港にて、友人に頼まれたカヤジャムを探す。T2だったのだがとにかく見当たらない。聞くと、なんとかってケーキ屋にあると言っていて、実際行くと、「置いてないよ」と店員が言い、自分で探してみても本当に無い。もう一つはWangなんとかいうレストランで、カヤトーストは置いてあるが・・・。

行き先が中国だと日本人ビザでは滞在期間が最大14日で一日7本しか煙草を吸わない私にとってワンカートンは多すぎるし、中国はタバコや酒が安いので、DFSにすら用事無くなる。私が中国で買ったタバコは、喜喜(Double Happiness)の硬はタール11mg、ニコチン1.0mg、中国のタバコにはなんと一酸化炭素の量まで書いてあり、それが13mg。お値段は7.5~8元程度である。

今回はマレーシア空港。2連続の事故以来よくフェイスするw 飛行機事故の確率ってどれくらいなんだよ? 自動車は事故のことなど考えずに乗れるなら、飛行機も同じだろ、このバカが! と思うのだが、チケットの値段が下がっているということは、バカがマジョリティーということなんですねw 普通の民間会社だったらとうに倒産しているところ、マレーシアの国策企業なので、サービス料にあたる代金はマレーシア国民の税金に払ってもらって、タダでビール飲んで、LCC価格で乗らせてもらいますよ。ホッホッホッ。

従来、シンガポール~上海の直行便は5~6時間程度だが、クアラルンプール経由なので、総移動時間は9時間ほど。シンガポールを夜21:30に出て、上海に6:30くらいに到着する感じだ。クアラルンプール空港では3時間ほど待ち。こんなこともあろうかと、MYRも用意しておいたので、24時間オープンのバーガーキングでお食事・PC充電しながら、フリーのワイファイをしつつ3時間を過ごせる良い空港である。今後、KL経由便とマレーシア航空が格安の間は積極的に使っていこうw


上海浦東国際機場 早朝 AM6:30

入国時、体温チェックの機械が壊れているのか、全然進まない。諦めたのか、全員素通り。もーぅ、いいかげんなんだからw 入国審査を終えて、ゲートを出ると、待っているはずの中国のマネキネコ猫ちゃんの姿が無い。まずいな・・・。いざとなれば一人で行けるものの、中国のマネキネコ猫ちゃんに限って来ないことはないはずなので、待ち合わせに失敗したということか。電話の電源を入れるも、この前買ったシムカードはやはり無効。もう一つの出口があるようだったので、行ってみたらドメスティック専用で今は閉鎖中。公衆電話からかけようとしたが、電話の仕方を私が分かっていないため、電話番号を入れてもかからず。むぅ・・・、万策尽きたか・・・。

「センセイッ」

あー、良かった。中国のマネキネコ猫ちゃんの登場である。5分ほどのタイミングだったし、待ちができなかったのも無理も無い。会社休んで、5時起きで、電車が無いのでバスを駆使して、電車の始発に乗り換えながらここまで来てくれたんだ。

続きを読む

中国国内の人民元預金があるのだが、なんとオンラインバンクが規制変更によりロックされてしまった。定期預金が今年の下半期から来年前半に向けて続々と満期を迎える中、定期預金のロールのオペレーションが封鎖されてしまうと、得られる金利リターンの喪失金額があまりに大きすぎるので、中国に、緊急出動することにした。例年通り、香港に行こうと思っていたのだが、今年は中国・湖南省の密偵部隊中国のマネキネコ猫ちゃんが現在上海に居ること、この前シンガポールに遊びに来た大学時代の友人が上海に勤務していること、地元の後輩が上海に勤務していること、とオンラインバンキング封鎖解除に加えて、3人居るのなら・・・、ということで上海行きを決定した。

中国元投資は、元の値上がり益よりも金利による収益が大きい

中国元の実態を知らない愚か者が、中国元の値上がり益を期待して、「人民元は買い」などと言っているが、少なくとも私が始めてからの6年間、08年初頭(7.2CNY=1USD)~14年現在(6.1CNY=1USD)までの人民元のドルに対する値上がり益は20%にも満たない程度である。一方、中国オンショアの定期預金は期間・タイミングによるが、3年か5年の定期預金ならば5%以上で回っていたので、その間に得られる金利によるリターンは約7年分でざっくり35%である。リターンの2/3は金利から来るものなのだ。中国オフショアの人民元預金は、オンショアに比べて、金利が低く、また1年より長い長期の定期預金が無かったりするので、リターンは半減するくらい大きな問題なのである。

中国の国内の定期預金は固定利回りなので、利下げ前に5年でFixしてしまえば、5年間金利の見直しはない。とか言っていたら、私の上海入りの3営業日前に、中国人民銀行、予想外の利下げ。

中国利下げは銀行に逆風、中小企業への融資増期待できず 2014年 11月 24日 14:01

上海 22日 ロイター] - 中国人民銀行(中央銀行)は21日夜、予想外の利下げに踏み切った。中小企業支援を狙った措置だが、不良債権の増加や利益率の伸び鈍化に既に直面している国内銀行にとっては、収益悪化につながりかねない。

人民銀行は1年物貸出金利を40ベーシスポイント(bp)引き下げ5.6%に、1年物預金金利は25bp引き下げ2.75%とした

ぐぉっ!! 間に合わなかった・・・。あと一週間早く出発してたら、「やっぱり、俺って天才なの? 神がとりついているの?」 発言になったのですが、そんなにいつもうまくいかないですね。「嫌がらせか!」というくらいのタイミングで利下げ喰らっちゃいましたwww 悔やんでももう遅いんで、短めの定期預金でロールします。

続きを読む

09年4月、中国は原発の「積極的開発」から「強力的開発」へと開発方針を転換した。2010年3月、政府は、20年までに原発能力を4000万kWにするという目標を引き揚げて8000万kWにすることにしている。10年12月時点で中国の原発の設備容量は1080万kW、電源構成の中でわずか1.2%を占めているにすぎない。建設中の原子力発電所は25基、発電能力が2773万kW。稼働中の原発設備は13基だが、その原子炉に関する自主開発技術・国産化はまだ低い。これまでに導入された原子炉は、国産設計、フランスから導入したPWR型炉、ロシアのVVER-1000(PWR型)、カナダのCANDU-6と様々である。現在、6箇所の原子力発電所で、ユニット13基が稼動しており、このほか、08年より嶺澳(広東省)、秦山・方家山(浙江省)、紅沿河(遼寧省)、寧徳(福建省)、陽江(広東省)などの原発基地が拡張または建設中で、09年以後には、三門(浙江省)、海陽(山東省)、腰古(広東省)、栄成(山東省)、福清(福建省)、防城港(広西チワン族自治区)がそれに続く状況である。こうした中、中国原発も技術蓄積・成長により、国産化率が80%を声、三門・海陽のように第3世代(AP1000)の技術を導入した原子炉の建設も本格化している。

原発建設・運営において、中国は積極的に外資・技術導入を行っている。例えば、09年12月に広東核電集団がフランス電力公社(EDF)と合弁し、広東省台山原発有限公司を設立した。その合弁は、相手の技術・運営管理ノウハウを吸収するためである。同発電所は、フランス側の欧州加圧水型原子炉(PWR)の第3世代技術を導入する世界で3番目の原子力発電所であり、第一期工事では発電機2基を建設、出力は175万kW、年間260億kWhの電力を供給、CO2排出量を年間約2300万トン削減できると見られている。また、中国の原発設備の大量導入により、ウランの需要が増大している。それにより日本などのウラン調達にとって獲得競争がさらに厳しくなり、国際市場におけるウラン資源争奪の激化や中央アジア、オーストラリア、カナダなどウラン資源保有国のウラン価格が上昇することも予想される。さらに、中国における原発能力の短期間での急拡大については、人材養成、原子力の保安、設備の品質保証などの問題も懸念される。

続きを読む

09年の石炭生産量は21億2300万トン、中国が群を抜いた第1位の石炭生産国である。石炭生産基地は主に内陸部(山西省、陝西省、内モンゴル自治区西部など)に分布し、その生産量が圧倒的に多い。山西省の08年の生産量は6億5600万トンで、中国の生産量のほぼ24%を担う。内モンゴル自治区は4億7000万トン。石炭産業体制・組織は、主に神華集団、山西焦炭集団、大同炭鉱集団、中煤能源集団公司などの国有主要・大型石炭生産企業と地方政府系の炭鉱企業および農村部の郷鎮(田舎町)炭鉱企業(中古型炭鉱)から成り立っている。炭鉱の経営・生産形態は、前述の組織のように、中央政府に組織する国有主要炭鉱、地方政府系炭鉱、農村部の郷鎮炭鉱の3者に区分することができる。

近年、田舎町炭鉱ではかなり生産量が拡大してきたが、この背景には国内石炭需給の逼迫に加え、不動産業界のように成金、超過利潤の儲かる分野ということで、炭鉱ビジネスに従事する人が多くなったという事情がある。山西省など石炭産地には、数多くの「煤老板」(炭鉱のボス)が現れている。中国では、長い間、炭鉱とくに田舎町の中小炭鉱が、安全を軽視、利益ばかりを追求する傾向があり、事故が多発している。中国政府は90年代半ばから郷鎮炭鉱の縮小を決定し、2000年の石炭生産量は約10億トンまで落ち込み、郷鎮炭鉱の生産量は90年以降で最も低下し、2億6400万トンとなった。だが経済の高度成長を伴う旺盛な国内の石炭需要・消費を満たすため、02年からは再び田舎町の中小郷鎮炭鉱数が増すとともに生産量も増加し、09年の石炭生産量は21億2300万トンとなっている。

続きを読む

CNPCが92年にカナダ・アルバータ州のノースとウィング油田に参入したことをその嚆矢とする。CNPCは現在、海外における原油の年生産能力6000万トン以上の生産体制を構築している。一方Sinopecの海外進出は遅れているが、イランとヤダバラン油田開発契約、カナダ・アルバータ州のオイルサンド開発プロジェクトへの参加の動きも見せている。またSinopecはサウジアラムコと80:20の権益率で面積38000平方km、契約期間5年のガスの探鉱・開発契約を締結した。

活発化する海外投資・M&A

09年の中国の対外直接投資残高は約3000億ドルで、非金融類対外直接投資額は約480億ドルで世界6位、中国の対外投資は主に石油・エネルギー・資源などの鉱物に向けられている。うち投資の大半は、海外油ガス田・資源企業など資産・権益への買収である。08年9月~10年4月までの時点で、対外M&A・投資のプロジェクトは、アンゴラの32ブロックの20%権益の取得、イラン北アザデガン油田の開発契約、シリアにおけるカナダの油田資産や石油企業の買収等、十数件に上っている。

続きを読む

このページの上部へ

Ad

LINEスタンプ「カバコ」公開されました!

top

プロフィール

投資一族の長


サイト内検索

Twitter Updates