タグ「金融スキャンダル」の一覧

郵便貯金の預入限度額は金融自由化への対応を理由に、なし崩し的に拡大され、1988年には300万円だったのが3年後の91年には1000万円になった。90年代に入るとバブル経済時代の行動やバブル崩壊後に相次いで発覚したスキャンダルなどから金融業界への不信が強まり、国民の資金は政府保証のある郵便や簡易保険に集中するようになる。2004年度末の郵貯残高は214兆円の巨額に達し、当事、最大の民間銀行であったみずほフィナンシャルグループの預金量80兆円の2.5倍を誇っていた。また簡保の総資産は121兆円で、日本生命・第一生命・住友生命・明治安田生命の大手生保4社の総資産の合計額に匹敵するものであった。

郵貯に預け入れられた国民の資金は2000年までは大蔵省の資金運用部に全額を預託する義務があった。預託期間は7年間で金利は10年物国債の利回りに0.2%程度が上乗せされた

> これが西川頭取が「民間では絶対真似できない金融商品」と吠えたアメリカンスワップション付き10年固定利回り定期預金を、郵便局が提供できた理由である。

2008.04.30 定期預金は金利デリバティブ
2008.03.17 一族家における投資教育 ~貯金と金利

民営化された日本郵政では、運用ノウハウの確立と運用担当者の育成に苦労させられることになるのだが、いきさつを振り返れば、それも至極当然ことなのだった。郵貯は、市中よりも有利な金利で自動的に"運用"でき、資金を集めることだけに専念していればよかったのである。言うまでもなく、預託された資金は財政投融資などの資金となり、これがまた特殊法人のずさんな経営を生む一因にもなっていた。郵政事業は独立採算だったが、預託金には上乗せ金利が適用されたり、法人税や事業税、預金保険料が免除されたりするなどの「隠れた補助金」「見えない補助金」がたくさんあった。こうした「官業ゆえの特典」ともいうべき民間よりも有利な競争条件が市場を歪め、公的金融の肥大化を招いていた。簡保を合算すると郵貯は家計の金融資産1400兆円の1/4を占めるまでになっていた。財政投融資制度の改革により2001年度からは資金運用部への預託義務は廃止された。つまり全額を自主運用しなければならないのだが、郵貯は政府保証付であるのだからリスクの高い運用はできず、国債や地方債に偏重した運用がなされ、巨額の資金が官に流れる構図は全く変わらなかった。財政当局にすれば、巨大な買い手がいるのだから国債発行の規律も乱れがちになるのは当然だ。

ある商社の会長さんから聞いた話、1000万円を渋谷郵便局から引き出し、神田の某銀行の支店に送金しなければならない用事ができたという。郵便局と銀行間の決済ネットワークがつながっておらず、「近くの銀行に現金をお持ちになって、そこから送っていただくといいと思います」。渋谷の街中で1000万円を持ち歩くのは危険なことであり、そもそも郵便局から送金できないこと自体が理解できなかった。銀行に持ち込んだものの今度は不正なマネーロンダリングをチェックする入金ルールがあり、所定額以上の送金には厳しいチェックがある。

全銀システムと郵政のシステムがつながっていない根本的な問題は、大いに技術面にあった。銀行と郵貯では口座データのうちの「店番号」と「口座番号」の桁数が違い、それがネットワークとの接続を難しくしていたのだ。銀行がそれぞれ3桁と7桁であるのに対して、郵貯は5桁と8桁。全銀システムとつながるようにするために桁数を共通化する必要があった。民営化後に全銀システムとの接続が実現したが、これは全銀システム側が、郵貯の5桁と8桁を全銀側の3桁と7桁に"翻訳"して処理してくれたことで実現した。

ファミリー企業との関係を見直す

調達コストの削減と調達戦略一元化、顧客接点の一元化を徹底し、さらにグループの一体化により総合力を発揮していく上で、避けて通れない問題が、いわゆる「ファミリー企業」と呼ばれる関連会社との関係の見直しだった。その実態を知れば知るほど、実に手回しよく作ってあるものだと驚いた。たとえば「かんぽの宿」。かんぽの宿自身はいわば管理会社で、その周りに営繕や清掃の会社を作ってかんぽの宿から仕事を得ている。ユニフォームの調達でも郵政公社と民間事業者の間に挟まる形でファミリー企業があり、コストを膨らませる一因になっていた。とにかく年賀状の印刷にしてもハガキの作成にしても、切手にしても、郵貯や簡保の帳票類にしても、ゆうパックの箱にしても、調達規模が大きいだけにファミリー企業が介在するうまみがあるのだ。情報システムの構築でも緊密な関係にある会社が4社あった。このそれぞれに大手電機メーカーやシステム会社が出資していた。これらは事実上のトンネル会社で、開発の主導権を持っているわけではなかった。そこに何人かのOBが天下り、入札をするとその会社が応札するし、ベンダーが応札してもその会社を通して納入するので、どっちにしてもお金が落ちるような仕組みになっている。ATMを全郵便局に1台ずつ納入したとしても24,000台だり、こんな大規模な調達案件は無い。しかも特殊使用なのでコストが増えるのも当然と考えられていた。こうした関連会社との関係の見直しとコスト削減の連動は民営化したからできることだった。ただ、なかには財団法人など公益法人となっているものも多くあった。公益法人は主務大臣の認可を得て設立されている団体だから、私たちの手で解散したり廃止したりできるものではない。

第一次報告が公表されたのが8月7日のことだったが、この段階ですでに「郵政福祉」という財団法人との関係見直しについての検討結果が明らかにされていた。郵政福祉は郵政弘済会・郵政互助会・郵政福祉協会の3つが統合してできた公益法人で、職員の退職給付の3階建て部分の拠出金を、毎月の給与からの天引きで集めて運用していた。しかし、加入は任意で、加入率は84.6%であった。外部の任意団体に職員の旧都に関する情報を提供するのは個人情報保護の観点からも許されるべきことではない。報告を受けて日本郵政は、直ちに給与天引きを廃止した。そもそもこの団体は特定郵便局の局舎を約1500ほど所有し、公社が家賃を支払う形になっていた。賃料は結構高く、利回りにすると10%で回っていた。しかも財団法人は公益法人なので税金がかからない。その団体が局舎を郵政に貸し出して賃料を得、それを運用して職員の退職金に上乗せするという構造はどう考えてもおかしい。

もう1つ、大きな組織で財団法人「郵貯振興会」があった。ここはメルパルク(郵便貯金会館)の運営をやっている法人でメルパルクは全国に11箇所あり、コンサート会場や結婚式会場として利用されている。ここの経営形態も妙なものであった。メルパルクは「郵便貯金の周知徹底のための宣伝施設」と位置づけられていて、土地や建物は公社が所有しているものの、売上収入はすべて郵貯振興会に入る。賃料なし、税金なしなので利益率は高い。初めて説明を受けた時は、賃料も取らずによくやっているものだと驚き、呆れたが、周知徹底のための宣伝施設なので施設を所有していること自体が宣伝広告費として扱われている理屈にはあんぐりとしてしまった。郵政民営化法では2012年9月までに譲渡または廃止すべきとされている。

続きを読む

1998年には大和銀行から難題が持ち込まれた。しかし私は内心期待に胸を膨らませた。発端は大和銀行の救済だった。会長の巽さんのもとに大和の安倍川澄夫会長から「住友銀行の力を貸してもらえないか」という内々の打診があったのだ。大和銀行はニューヨーク支店のナンバー2がアメリカ国債の簿外取引を行って11億ドル(当時、1ドル87円換算で957億円)の損失を出す事件を起こしていた。この巨額損失を大和銀行は大蔵省には報告したもののアメリカの金融当局に報告しなかったため、大和は3億4000万ドルの罰金を支払いアメリカでの業務を撤退させられることが決まっていた

> 大蔵省に報告して、現地でだんまりって馬鹿なのかね? FBIまで動いたんだよな。ちなみに大和銀行事件についても当ブログはちゃんと扱っていてw

2012.02.27 告白 元大和銀行NY支店2/2 ~トレーディング
2012.02.24 告白 元大和銀行NY支店1/2 ~米国の公務員

巽会長から話を聞いた私は「ただ力を貸すだけではなく、大蔵省の意向通り、どうせやるなら合併含みでやりましょう」ということで動き始めた。まず大和銀行がニューヨークからスムーズに撤退できるように手配し、ニューヨーク連邦銀行首脳が東京に来た折にはこの件を報告しておいた。当時、住友銀行の名は表に出ていないが、大和銀行のニューヨーク撤退を住友は縁の下で支えていたのだ。この時期、大和に限らず西の銀行は、近畿銀行、なにわ銀行、福徳銀行などどこも経営状態が非常に悪く、火薬庫とまで呼ばれていた。私も大蔵省の担当官に赤坂にある日銀の接待施設・氷川寮に呼ばれ「○○銀行はもう破綻している。西川さん、住友で大阪を何とかしてくださいよ」といわれたことがあるほどだ。なんとかしろといわれてもとてもではないが荷が重すぎる。そのたびに「私たちの力では及びませんよ」と断っていたのだが、大和銀行には信託兼営という魅力があった。

Henry_Paulson_74.jpg

2002年5月、私はニューヨークにいた。ゴールドマン・サックス(GS)のヘンリー・ポールソン会長と面談するためだ。実はGSと住友銀行の関係は1986年から続いていた。当事住友銀行の国際部門は証券やM&Aなど企業金融に関わるインベストメント・バンキング業務を柱にして収益力の強化を図るのが急務だった。住友独自で人やノウハウ、組織を築き上げてインベストメント・バンキング業務を推進するには時間がかかりすぎる。また海外にも資本調達の窓口があったほうがいい。そんな折、ニューヨークの国際本部が「いいパートナーがいる」といって紹介してきたのがGSだった。GSは1869年に設立されたアメリカ最有力の投資銀行だ。住友銀行と企業風土や経営の行き方が似ているところもパートナーの条件として最良だった。住友銀行は1986年に議決権の無い有限責任出資者として4億2500万ドルを出資する契約を交わした。調印したのは小松康頭取とGSの当事の会長、ジョン・ワインバーグ氏だった。具体的には住友銀行が全額出資によりニューヨークに住友銀行キャピタル・マーケット(SBCM)を設立し、そのSBCMが住友銀行の代わりにGSに対して出資をする形をとった。残念ながら不良債権処理の原資を得るために2000年には住友銀行はGSの1200万株を売却して6億ドルを手にしたが、持ち株比率は3.6%にまで低下してしまった。

> う~ん、「時間を買う?企業風土が似てる?」という理由とか出資の仕方とか…ちょっとがっかり…。

2003年度から04年度を不良債権の集中処理機関とし、04年度末までに不良債権比率を半減することを強く求め、そのために資本不足に陥るのであれば、公的資金を投入することにしている点である。「半減」という不良債権処理の数値目標と公的資金投入を一体とした政策が打ち出されたのは、初めてのことであった。不良債権処理は文字通り待ったなしの状態となった。その結果、自己資本比率が8%を割ればBIS規制のルールに従って海外営業から撤退を強いられる。より深刻な資本不足となれば国有化が視野に入る。それだけは絶対に回避しなければならなかった。結果的に三井住友に限らず、大手の銀行グループは優先株(普通株式よりも配当や残余財産を優先的に受け取れる代わりに株主総会の議決権に制限がある株式)の発行や第三者割当などにより大幅な増資を行い、自己資本の増強に奔走した。三井住友は総額約5000億円だったが、みずほ銀行グループは約1兆1000億円の巨額に達し、東京三菱銀行グループは約3600億円、UFJグループは約3500億円という規模であったと記憶している。

GSからの資本調達を耳にしたJPモルガンからも増資に応じたいという申し出があった。GSよりも少し条件が良かった。しかし私はそれにはあまり期待しなかった。GSとは5月から協議を始めて、直接投資1500億円に加えて欧米のマーケットから3000億円余りを調達する話にまでこぎつけたのだ。それをあとからやってきて、もっと良い条件でやりますといっても、本当にできるのか。すでに資本調達前の2002年12月には株式移転により親会社である三井住友フィナンシャルグループを設立して持ち株会社制度を導入することになっており、資本調達は翌03年3月には完了していなければいけない。そうした一連のタイトなスケジュールの中で、いまさら増資先を変更したり、ふやしたりするような危ない橋は渡れないというのが私の結論だった。

しかし行内では、よく討議したほうが良いという声が次第に大きくなってきた。JPモルガンをもっとも強く推すのは奥正之副頭取だった。理由はGSに集中させずバランスをとるべきだというのである。余りに主張するのでGSとの打ち合わせのためにニューヨークに滞在していた奥副頭取とのテレビ会議で私は「では、もうやめようか」と持ちかけた。
「やめる必要は無いではないですか。少し待ってみたらいかがでしょうかと申し上げているだけです。
「何を言っているんだ。これだけの増資をまとめてやってくれるところがどこにあるんだ。何が問題なんだ」
「ですから分散したほうが良いと申し上げているのです」
「分散して何の効果がある?そうしたほうが金額が増えるのか」
「金額の問題ではありません。JPモルガンがせっかく言ってきているのですから可能性を探るべきではないかと」
今振り返れば、住友出身の奥さんがここまで強くJPモルガンを推すのは旧さくら側からのプッシュがあるためという面があり、GSがいけないというよりも旧さくらの顔を立てる意味合いもあった。奥さんがそうした事情を汲んでJPモルガンを推すのは、私だって分かる。条件が良いことも百も承知だ。しかしこのとき何より優先しなくてはならなかったのは、旧さくらのメンツではなく、期日までに約束どおりの資金を手に入れることだった。完全に信頼できたのはあの時点ではGSをおいて他になかった。結局、JPモルガンの申し出はお断りした。

そして当初の予定通り2003年1月15日GSが三井住友銀行に1500億円の直接投資を行うことが決まった。三井住友銀行はGSに対して優先配当を受けられる優先株を優先配当率4.5%で発行する。

2回目の増資として3450億円の優先株発行をGSの主幹事でお願いした。海外の投資家にこれを販売してもらって、海外マーケットから資金調達するのだ。実はこの3450億円という数字も二度にわたって増やしてもらった結果だった。当初の金額はすでに触れたように3000億円弱だったが、もう少し上積みしてもらう必要があり、最後の交渉は深夜、テレビによる最終会議までずれ込んだ。GSの持田昌則日本法人社長が携帯電話を持ち、会議室の外の廊下を行ったり来たりしながらポールソン会長と直接協議する。「SMBCはいくらほしいんだ」「あと500億ほどです、西川さんがそういっているのですから、やりましょう」そんなやり取りが交わされているのを壁越しに聞きながら私は会議室でじっと待つ。

> コラー、三井住友の優先株をこの説明で終わらせるな~!転換価格修正条項付、国内初、今で言うMoving Strike型の超大型増資の歴史がここに幕を開けたのだ。JPモルガンがどうのというより、高い資本コストのファイナンスではなかったのか、GSに対する利益供与の可能性の否定をキチンとして欲しい。ただ逆に、対応が遅れたみずほは3月末に1兆円もの優先株を発行したことを思えば、迅速に対応し、発行コストを抑えたという自己弁護の材料にして欲しかった。


住友銀行の法人格消滅

Nishikawa-Yoshifumi.jpg

増資の協議と並行して決断したのが、旧さくら銀行の子会社だった参加の第二地銀、わかしお銀行を存続会社とする逆さ合併だ。2002年の12月に発表し、正式に合併したのは03年3月17日のことだ。わかしお銀行は、経営破綻した第二地方銀行の太平洋銀行の営業を引き継いで1996年に設立された、いわゆる受け皿銀行だ。ここと合併して三井住友銀行を消滅会社にすれば、三井住友銀行の資本準備金を取り崩すことができる。その額がおよそ2兆円あった。これを不良債権処理の引当に使うのが狙いだった。存続会社の事業規模のほうが小さいこの逆さ合併はは、たしかに当事マスコミが書きたてたように奇策であるかもしれない。平成創業のわかしお銀行の法人格を残すことで、明治28年創業の歴史と伝統のある住友銀行の法人格が消滅してしまったのだ。しかもこの手法は一度きりしか使えない。銀行が生き残るための"切り札"であり、文字通り名より実を取るやり方であった。

> 現在のシャープと同様、いやシャープ以上にひどいやり方である。三井住友ここまでやるのかと驚愕の奇策でしたね、私はよく覚えています。マスコミが書きたてた? 瞬間的にこの逆さ合併は無かったことになっていたような・・・。三井住友銀行はわかしお銀行なんてしつこく言ってるのは俺くらい?w

続きを読む

1994年になると、株価や不動産価格が下がる一方で、住専の危機が社会問題化していた。そんな切迫した状況になっても益出しと買戻しを繰り返して保有株式の簿価を挙げるのはリスクが大きすぎた。来年も再来年も株価が下がり続ければ、今度は逆に株式評価損を計上することになり、これまでせっかく益出しをしてきたのに元の木阿弥にもどってしまう。こんなことを続けていたらいつか必ず大変なことになると私は考えた。実際この株式評価損は当時だけでなく2000年代に入っても銀行や一般企業の自己資本を毀損して経営を苦しめることになった。もちろん赤字分を株式の益出しで埋めなければ自己資本は食われる。しかし保有株式の簿価は変わらずにすむから、今後の株価下落による評価損増大リスクを避けることができる。将来の株価下落リスクに耐えられる。そこで私はこの際、益出しをやめて、赤字決算するしかない判断した。今でこそ銀行の赤字決算は珍しいことではないが、当時は市場に与える影響がどれほどのものになるのか想像もできず、タブー中のタブーだった。過去の例を見ても日本の銀行が赤字決算をしたのは1946年、終戦直後の混乱期の一度だけで80年頃の「ロクイチ国債問題」のときですら赤字決算は出していなかったのだ。

> 赤字決算禁止の習慣。すごすぎ。

ロクイチの由来となる6.1%の10年物国債は、今から見れば高利回りに感じると思うが、当時としては極めて低金利であり、それはつまり高価格の国債を意味する。大蔵省は大手銀行団を統合したいわゆるシンジケート団にこれを引き受けさせたため、住友銀行を含め、大手銀行のすべてが高い値段の国債を大量に保有することになった。そこに第2次オイルショックと金融引締めが襲いかかり、ロクイチ国債は暴落し、大手銀行のすべてが巨大な含み損を抱えてしまった。額面100円の国債の価格が74円まで下落したのだから、銀行にとっては大きな痛手だ。その頃の国債は時価評価で決算するのが常であったが、この時ばかりは大蔵省も取得原価で評価することを認めると通達してきた。半強制的に国債を引き受けさせたという負い目があったためだろう。しかし、住友銀行はちょっとへそ曲がりなところがあり、「今まで時価評価でやってきたのにちょっと損が出たからといっていまさら取得原価で評価できるか」ということで、それまでと同様に時価評価していた。このときでさえ、住友銀行は赤字決算をせず株式を売って損失を埋めていたのだ。

> なんか国際会計基準とか、国際金融業務とかと縁遠い世界だなぁ~。中国の銀行もこんな感じなんだろうなぁ…。

1995年の正月明け早々、私は巽会長と森川敏雄頭取のもとに向かい、「こんな状態を続けているとダメージが大きくなってしまいます。思い切って赤字決算しましょう」と進言した。すると、お二人とも即座に了承してくれた。頭取と会長、企画担当者と専務の私の4人だけで極秘に会議を行い、1月17日に業績修正の発表をしようと決まった。ところが、その日の早朝、阪神・淡路大震災が起きた。19,000円台になんとか足をかけていた株価は震災の影響で見る見る下落していき、17,000円台に入ってしまった。「こんなときに銀行が赤字決算を出したらどんなことになるか?」 それでなくても滅多に無い銀行の赤字の発表だ。市場にこれ以上余計な心理的な影響を及ぼすことはすべきではないと判断した私たちは、その日の発表を見合わせることにした。そして10日後の27日、株式市場が多少落ち着いたところで、3月期決算の業績予想の修正を発表し、都銀初の3354億円の赤字(当初予想は600億円の黒字)になると表明した。赤字決算の結果として発生する当期の未処理損失については準備金の取り崩しで対応して来期に繰り越さない方針も示した。具体的には関連会社とイトマン関連の不良債権、大蔵省の意向を受けて都市銀行など民間金融機関162社が出資して設立した共同債権買取機構への不良債権の売却損、さらに債権償却特別勘定への引当金繰入などで総額8265億円にのぼる不良債権を償却する計画だ。そしてさらに予想外のことが起きた。私たちが赤字決算を出した途端、投資家が銀行株を買い始めたのだ。住友だけでなく他行まで軒並み買われ、金融関連株が高騰を始めたのである。マーケットは赤字決算によって不良債権処理が進むとプラスに捉えてくれた。ところが私自身は値上がりする株価を横目で見ながら、内心「しまった!」と思っていた。発表を見合わせた10日間で少しでもマーケットへの影響を少なくしようと、有税償却を減らし、益出しもして赤字額をかなり削っていたからだ。発表した業績予想の修正では赤字幅は3300億円であるけれども、実のところは5000億円程度の赤字があったのである。できればその額で業績予想を修正したかった。

> 西川さんのご英断は理解できるが、即時開示義務違反、5000億円の赤字と認識していながらも3300億円発表とは粉飾ですよ…。市場健全化とは程遠いな。

住専(住宅金融専門会社)は、1970年代に住宅ローン需要が伸び続ける一方で、銀行は融資の審査が厳しく個人向けローンのノウハウが無かったことに対応した大蔵省の強い主導で設立されたノンバンクだ。民間銀行は出資を求められ、1971年から79年までに8つの住専が設立された。住専各社は当初こそ個人向け住宅ローンを扱っていたが、バブル時代になって銀行が個人向け住宅ローンに進出してきたため、新たにニーズが強かった法人向け不動産担保融資にのめり込んでいった。これらが大量に焦げ付き、1995年8月に行われた大蔵省の調査で、住専の不良債権額は後述する農林系1社を除き、全体で6兆4000億円にものぼるとされた。融資された額が突出して多い末野興産の末野謙一氏、桃源社の佐々木吉之助氏といった「住専借金王」たちがマスコミで話題になったもこの頃だ。政府内で問題になったのは政府系金融機関である農林中央金庫、および各県の信用農業組合連合会、全国共済農業協同組合連合会のいわゆる「農林系金融機関」が47の信農連と農林中金の出資によって系列に共同住宅ローンを設立したのをはじめ、住専に巨額の貸し込みを行っていたことだ。それらが損失となり、5300億円とされた農林系の負担能力を超える部分を誰が負担するかを巡って農林系と民間金融機関との間で激しい対立が起き、世論を巻き込んでの大騒動になった。その結果連立与党プロジェクトチームは、農林系を除く7住専の損失額6兆4000億円の穴埋めのために、住専各社に出資した住友銀行を含む、いわゆる「母体行」に合計で3兆5000億円、一般行に1兆7000億円の債権放棄を求め、農林系の負担能力5300億円を超える6850億円については公的資金注入で賄うことで議論をまとめ、12月に村山内閣が閣議決定した。当時大蔵省は危機感を持って機敏に動いていた。住専国会が終わるとすぐに発足間もない橋本龍太郎内閣のもとで不良債権処理の障害の除去に本腰を入れ始め、翌97年6月に不良債権償却証明制度を廃止し、銀行による自己査定に基づく債権処理が導入された。債権を「正常先」「要注意先」「破綻懸念先」「破綻先」の4つに分け、区分ごとに引当金を積んで、繰延税金資産として決算上の税負担をなくすことができるようになったのだ。これは非常にありがたい制度変更であった。もちろん、日本では税務当局の意向が強く、銀行に債権償却を勝手にやらせることには抵抗がある。

> 有限責任の原則もへったくれもねーなあ。

nakabo-kouhei.jpg

住管機構の主張は住専の融資が焦げ付いたのは母体行の1つである住友銀行が質の悪い融資先を紹介したからだという。紹介責任があるはずだ、というのがあちらの言い分だった。しかしこれはずいぶん無茶な話である。母体行とは、住専に出資した銀行のことをいう。銀行の出資比率は会社法の規定で5%以内と決められていた。いわゆる5%ルールだ。その先駆的存在が、1971年6月に設立された「日本住宅金融」で、三和銀行をはじめとする金融機関が出資している。社長には大蔵省OBの庭山慶一郎氏が就任した。住友銀行が出資したのは、その次の同年9月に設立された「住宅ローンサービス」だった。住友以外に第一勧業、富士、三菱や長信銀、信託銀行など大手金融機関が大株主にずらりと顔を揃えた。その後も、銀行、証券会社、生保などの金融機関が、1979年までに6つの住専会社を相次いで設立したわけだ。ところが住専各社は店舗網が十分ではない。したがってバブル時代に住専がのめりこんだ法人向け不動産担保融資の案件を銀行側から紹介しなければいけなかったのだ。だから、住管機構の主張を銀行側から見れば、大蔵省主導で出資させられ、融資先まで紹介したのに、焦げ付いた筋の悪い案件を紹介した銀行のせいだ、といわれていることになる。ところが住専にはすでに公的資金が注入され、世論は銀行側にとても厳しくなっていた。そこに拍車をかけたのが住管機構社長の中坊公平弁護士とマスコミの存在だった。国民の税金を取り戻そうと奮闘する中坊さんと、それを応援するマスコミの報道によって、住友銀行はすっかり悪役になってしまった。しかし、問題は何の審査もしないで融資をした住専にある。結局、1999年住友が30億円の損害賠償に応じて和解することで決着がついた。

【不動産関連記事】
2015.04.06 バタムに学ぶ新都市建設の可能性 1/4~130万人の誘致に成功した島
2014.10.30 ジャカルタ潜伏 9~ホテルムリア
2014.07.14 イスカンダル計画を見てきました
2014.01.21 人民元売却計画ステージ2 3/16~広州入り
2013.12.02 初フィリピン・マニラ編 10/14 ~マニラの不動産価格を思う
2013.07.29 同和と銀行 4/6 ~バブルと地上げ
2012.12.19 第二次ジャカルタ攻略 10/11 ~カラワン工業地帯
2012.09.28|ジャカルタに行ってきました 4/9~工業地帯見学
2011.03.28|史上最大のボロ儲け ~懐疑的な投資家 3/6
2010.10.01: ハーバード大が世界の大学番付首位
2010.04.09: 公示地価 日本の地価下落とアジア地価の高騰
2009.10.05: 働く女性は美しい 勤務地のステータス
2008.10.03: 土地信奉と不動産業

イトマン事件については既に当ブログで取り上げているのでこちら↓

2011.01.11 イトマン・住銀事件 ~脇役 経済事件史顔ぶれいつも同じ
2011.01.07 イトマン・住銀事件 ~イトマンをめぐる様々な疑惑
2011.01.06 イトマン・住銀事件 ~主役のお二人

磯田一郎
isodaichirou.jpg

イトマンがのめり込んでいたのは不動産だけではない。数々の美術品を買い込んでいた。モディリアーニの絵画を16億円で購入しているほか、加山又造や平山郁夫、佐伯祐三など巨匠の絵を気前よく億単位で何点も買っていた。関西の闇の紳士、許永中氏の関連会社3社から絵画・骨董品を総額676億円も買い取ったことが後に判明している。私はこのとき常務企画部長の任に就いていたが、だんだんわかってきた事態の中でも特に困ったことだと思ったのは、こうした絵画取引に磯田さんの長女である磯田園子さんが勤務していたセゾングループの宝飾販売会社でピサという会社が間に入っていたことだ。今まで私を含めて誰も住友銀行関係者は語ってこなかったことがある。この機会にあえて申し上げよう。イトマン事件は磯田さんが長女の園子さんをことのほか可愛がったために泥沼化したのだと私は思う。磯田さんの溺愛ぶりを示すこんなことを耳にしたことがあった。後に結婚することになるアパレル会社社長の黒川洋氏と磯田園子さんがロサンゼルスに駆け落ちした。それを認めるわけにいかず困っていた磯田さんは、秘書を派遣して2人を連れ戻させたのだ。磯田さんの秘書は園子さんに振り回されて本当に苦労したようだ。そういう磯田さんに父親として娘の事業を後押ししたい気持ちが無かったわけがない。磯田さんが溺愛していることを知って、イトマンの川村社長も伊藤常務も彼女の面倒をよく見ていたようだ。人間としてあるいはバンカーとしての磯田さんは素晴らしいと思う。しかし長女の存在が磯田さんの判断を決定的に狂わせた。平和相銀を手に入れるときに大活躍した河村社長に引導を渡し自分の手でクビを切ることができなかった。河村社長が伊藤寿永光氏を追放するどころか常務にすることを阻止しなかった。住友銀行の誰もが河村社長を辞任させないとイトマン問題は解決しないと思っていたし、伊藤氏や許氏が闇世界とつながりがあることはこの時点では分かっていたはずにもかかわらず。だから私はこの問題の始末をつけるには磯田会長の退任が不可欠だと考えた。

> あちゃー、結局、頭取のご家族問題で3000億円溶かしちゃったか

続きを読む

日本経済は高度経済成長期とはいえ、戦後間もない時期で経済に厚みが無く、常に外貨が不足していて、すぐに「国際収支の天井」になってしまい、その度に金融引き締めが行われていた。銀行は日銀の窓口規制が厳しい一方で、民間の資金需要に応えなければならなかった。それまで、預金集めと言えば富裕層を主体にしていた。一般のお宅にお伺いしてまで預金を集めるようなことはやっていなかった。そのため旺盛な資金需要に応える原資が慢性的に不足していた。そこで大手の銀行は金融市場というマーケットで資金を調達することになるが、当時は銀行が振り出した手形やコールローンなどで資金調達していた。これらの資金は、例えば地方銀行や信用金庫、年金などが市場に放出したお金だ。その資金を大手銀行が調達するのだがこれが預金金利よりはるかに高い金利なのだ。その金利水準が最高16~17%といったこともあった。しかし、そんな高い金利では誰も借りない。貸出金利は公定歩合と連動した水準で、長期プライムレートでは8%程度、短期ではもっと低く設定されていた。高い金利で調達した資金を低い金利で貸し出せば、逆ザヤも極まって銀行はたちまち大赤字になってしまう。

「国際収支の天井」:当時の日本企業は、設備投資を行うためのさまざまの機材を輸入に頼っていた。一方で、輸出は安価な繊維製品が主流である。国内が好景気に沸けば輸入が増えるので、貿易収支が悪化する。外貨準備が底をつき、設備機材や原材料が輸入できなくなる

続きを読む

エンロンが様々な会社への株式投資をヘッジするために作ったラプター(ファストウによる出資による)は、エンロンから数億ドルも借り入れていた。ラプターはコンティンジェントなエンロン株(特定の事実が発生したときに効力を持つ株)で出資されていた。7月には株価は40ドル台後半と前年には考えられない水準まで下げていた。ラプター株も連れて下げると、エンロンはラプターを支えるためにどんどん株を注ぎ込まなければならない。このためすでに数億ドルを投入していた。ファストウがそんなにリスクの大きいハイテク株のヘッジを、自分のファンドで提供したことが意外だった。しかし今や事態が理解できた。ファストウはたった3%しかリスク・マネーを投じていないのだ。残りのリスクはエンロンの責任なのである。

アーサー・アンダーセンの会計士たちは、大きな会計上のミスに気づいていた。2001年の第1四半期にラプターを再編成したときに誤りを含む決算を承認していた。エンロンはラプターに12億の預り証と引き換えに12億ドルコンティンジェント普通株を投入していた。アンダーセンはこの額を誤って費用ではなく受取手形(資産)に計上してしまった。この誤りは2回の四半期の間見過ごされていたが、第3四半期になってこの12億ドルを減資しなければならなくなった。すでにスキリングの退任で会社に疑念の目が集まっている。どうすればうまくやれるだろう?まして株価が36ドルから30ドル近辺まで下げているというのに。レイのたゆまぬ売込み努力によって株価が持ち直すかと思われた矢先の9月11日の朝、オサマ・ビン・ラディンの手先にハイジャックされた二機の民間航空機が世界貿易センタービルに突っ込んだ。ニューヨーク証券取引所は翌週まであかなかった。再開した市場では全銘柄がまっさかさまに落ち、エンロン株も25ドルになった。

2001年11月8日、エンロンは8KレポートをSECに提出した。「この裁縫国は2001年9月までの9ヶ月間の開示済み決算報告には影響しません」文書はそう述べていた。しかし、ビジネスマスコミは鵜呑みにしなかった。ザ・ストリート・ドット・コムは「エンロンの再報告は不十分」と見出しを立てて、修正報告にはLJM1のみが反映され、LJM2について、特に厄介なラプターのビークル類については反映されてない、と暴いた。その日、エンロン株は8.41ドルまで下げた。

enron-fraud-stock-chart-2.jpg

エンロンは今や投資不適格と格付けされる危機に直面していた。もしそうなれば様々な簿外ビークルの負債即時返還条項が働くことは経営陣の誰もが知っていた。ワーレイ、マクマホンはオマハに飛んで、バフェットがもう一つの救済劇に興味があるかと打診した。返事は連れなかった。エンロンがどうやって金を儲けているのか、バフェットにはついぞ理解できなかったし、ヒューストンの投資家フェイズ・サロフィム同様、彼は自分が理解できるビジネスにだけ投資するのだった。

続きを読む

カリフォルニア州の市民の生活はダボール発電所があるインド・マハラシュトラ州のそれに似始めていた。停電は頻発し、電力価格はうなぎ上りだった。カリフォルニア・エジソンは5億ドルの債務が履行できなかった。カリフォルニアは経済的、社会的混沌に陥っていた。しかしテキサスの電力トレーディング大手であるエンロン、エル・パソ、リライアント、ダイナジーなどは有卦に入っていた。各社の利益は前年比100~400%増で彼らはこれを努力の賜物と主張した。テキサス人は利己的で緩みきったカリフォルニアの市民の因果がめぐったとおもっていた。エンロンはワシントンに根回しをしていた。最も心強かったのは、エコノミストの上院議員夫妻フィル・グラムとウェンディだった。エンロンの取締役会に参加する前の1992年、ウェンディはエネルギー先物契約を政府監視の対象から外した。夫は今や、2000年12月のコモディティ先物現代化法案によってエネルギー・トレーディングを規制緩和すべく活動中だった。この法案には強い反対があった。その主勢力は大統領の経済市場諮問グループでそこには財務長官ローレンス・サマーズ、連邦準備局のアラン・グリーンスパン、SECの会長アーサー・レビットらが名を連ねていた。エンロンはこの法案のために200万ドル近いロビイング費用を払い、一方グラムはクリントン政権の末期に不利だった法案をいったん引っ込めあたためていた。ブッシュが政権につくとグラムは同法案を新たな名前で再提出し、首尾よく成立させた。エンロンはトレーディングについて大きな自由を得た。エンロンがどれだけの電力を持っており、どこからどこへ、なぜ、どのように電気を動かしているかは、もはや誰に知られる必要も無かったし、そうする手段も無くなった。2000年のハイテク株失速にもかかわらず、エンロンは90年代の最後の3年間に22ドルから72ドルへと挙げた。


> 電力自由化の先駆けだぞ。安易な電力自由化賛成論者はよく読んどけ。
> しかもその時、私はちょうどカリフォルニアに居た。オイル価格が高騰しているから電気代が上がったと聞いていたが、背後にはエンロンの悪さも要因の一つであったとは…。

90年代半ば、カリフォルニアは電力の規制緩和に踏み切った最初の州となった。きっかけは企業が群れをなして州から去っていき、壊滅的な不況をもたらしたことだった。法外な収税に加え、高いエネルギーコストも原因のひとつだった。規制緩和は、旧弊で甘やかされて、搾取的だった電力会社を懲らしめ、1998年には電力のユーザー単価を10%下げるはずだった。問題はどこにも無いように思われた。しかしこの解決法は、結局、事態をより悪化させた。カリフォルニアはエネルギーの卸売りを規制緩和し、小売面では価格キャップ性を維持した。同時に電力会社に長期固定価格(したがって割安)で電力を購入することを禁じ、不安定なスポット市場への依存度を高めさせた。失敗の舞台装置は揃っていた。電力会社は発電会社に大金を払いながら、その費用を利用者に転嫁できなかった。エンロンは電力をもっと効率よく供給するためによりクリーンで安い燃料を使う発電所を建設する、と約束した。この市場でエンロンが必ずしも善玉ではない証拠はいくつかあった。その一つは1999年五月、同社の会計部門が収益計上に苦しんでいた頃に起きた。それはのちにシルバー・ピーク事件と呼ばれる。

1999年5月24日の事件が起こった。ベルデンは莫大な電力を古い送電網を使って送ろうとした。15メガワットの送電線に、1900メガワットの電力を通そうとしたのである。そんなことをすれば送電網に負担がかかるのは当然だった。カリフォルニアは過負荷への自動反応システムを備えていた。州内の全サプライヤーに電気信号が発信された。この電線を使うつもりですか?それを中止して線をあけることはできますか?そうしてくれたらお金を払います。この日、カリフォルニア・インディペンデント・システム・オペレーターのある人物がたまたま電線を監視していた。彼女はなぜこんなに細い電線越しに大電力を送り込んでいるのかと訝しがった。「本当にこんな送電をしたいのですか?」彼女はこれは事故ではないのかと思い、確認の電話をした。ベルデンが意識的な行動だと認めたとき-「ええ、当社がやったことですよ」-彼女はいっそう不審に思った。「どうしてですか?」「ええと、まあ、そうしたかったからです。別に隠すわけじゃないけれど…」 オペレーターは「ずいぶんおかしな配電スケジュールですね」と言った。ベルデンは同意した。それだけに送電網の規制当局に報告しなければならないと思った。この送電は「無意味」に思えたからだ。

しかし、エンロンにとってこの送電は無意味ではなかった。ベルデンの行為によって送電網には負担がかかり、その日の午後には電力価格が70%も跳ね上がったからである。州の電力交換当局の調査委員会はこの事件を調べ、1年後、ベルデンに25000ドルの罰金を課した。無意味な罰金だった。その日エンロンは1000万ドルを精算し、州の電力ユーザーは約500万ドル余計に支払わされたからである。カリフォルニアの無人自動システムは、完全に電力供給会社の善意のもとに成り立っていた。しかし彼らは善意の人々ではなかった。ベルデンのようなシステムの悪用者は、これを新手のゲーム、つまり常に「当たり」になったままのスロットマシンにした。彼やその同類は、州の規制当局から不正を見つられた時はいそいそと罰金を支払った。

規制当局が気づいていなかったのは、ベルデンが単独犯ではなかったことだった。2000年6月、規制緩和によって安価で良質なサービスを得ているはずだったカリフォルニア州の市民は、そのどちらも得られなかった。州内の電力卸売価格は30%も跳ね上がり、これは電力を供給するテキサスのエネルギー会社-リライアント、エル・パソ、ダイナジーそしてエンロン-らを狂喜させた。エンロンやその競争相手は口では規制緩和について安い価格、選択の自由そのほかを約束していたが、金を儲けるためには安定供給ではなく安定不安が必要であることを知っていた。安定した市場では誰も電力供給を気にしない。電灯はいつもつくし、エアコンが働かないことも無いからだ。しかし電力供給に不安があると顧客は気をもみ始め、供給が細るにつれて家庭生活や事業運営に支障が無いよう、いくらでも喜んで払うようになる。一方顧客の怯えにつけ込んでより多くの、そしてより長期の電力購入契約を取る企業は、安定的な電力の供給者よりもずっと儲けられる。

2000年秋、カリフォルニアの主な電力会社は問題を抱えていた。電力不足なのに規制緩和のために依存を深めていたスポット市場は価格が高すぎて手が出なかった。電力会社は高コストを顧客に転化させてほしいと主張し始めた。立法府に拒まれるともはや残る手段は供給制限のみだった。カリフォルニアは、その後、連邦エネルギー規制委員会(FERC)に電力卸売価格にキャップをするよう請願した。FERCがこれを認めると売り惜しみをしていた州外の電力供給会社は姿を消した。2000年12月、状況は危機的だった。この月、同州は初めての第三段階「ローリング・ブラックアウト」を経験した。つまり予備電力がそこを尽きかけたのである。州の規制当局は慌て、州外の電力供給会社を呼び戻すために、FERCの価格キャップを外すよう要請した。供給会社は以前にも増して高い請求書を手に戻ってきた

しかしヒューストン本社の弁護士スティーブン・ホールは心配し始めていた。彼は10月に社の電力トレーディング事業を調べ始めた。カリフォルニア公益委員会の調査を受けたからである。調べれば調べるほど、不安は増した。エンロンは電力線にわざと過負荷をかけたり、価格キャップを逃れるために電力を州の内外に移したり、履行していないサービスの料金を請求していた。これらの手法はISO規約違反であるばかりか刑事犯罪であるという警告だった。

カリフォルニアの状況は価格キャップ制の廃止とエンロンの行動のために、改善しなかった。それどころか事態は悪化の一途をたどった。2001年1月中旬、カリフォルニア・エジソンは5億9600ドルの電力会社への支払いと債券の償還ができなくなり、ローリングブラックアウトは北カリフォルニアにも広がった。すなわちシリコンバレーとその周辺地域である。グレイ・デイビス州知事は緊急法案を起草して、州が電力を買い上げられるようにした。これによって恩恵を受けたのはテキサスの電力会社だけだった。今や彼らは、憐れな州職員を相手に高値で長期契約を交渉できた。電力料金は1月と3月に延べ40%値上げされた。4月にはパシフィック・ガス&エレクトリックが会社更生法適用を申請した。

エンロン 内部告発者エンロン 内部告発者
ミミ シュワルツ シェロン ワトキンス Mimi Swartz

ダイヤモンド社 2003-11
売り上げランキング : 633496

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

【胴元・市場創生者】
2015.02.10 仮想通貨革命 ビットコインは始まりにすぎない 2/7~通貨の信認
2014.08.18 グーグル秘録 完全なる破壊 1/7~君達は魔法をぶち壊しているんだ
2013.08.08 ジャカルタ・リラクゼーション・アワー 6/16 ~優秀な日本政府、真・国家予算の無駄遣い
2012.10.12 知られざる通信戦争の真実 NTT、ソフトバンクの暗闘
2012.06.18|ウォールストリートの歴史 1/8 ~独立戦争直後
2011.12.19: 日本取引所の独占者利益はあるか?
2011.12.06: 東証と大証が経営統合 大証は48万円でTOB
2011.08.12: 8/11 かば子決定 天才がデザインしたかば子
2011.08.02: プロ向け市場「TOKYO AIM」一号案件 上場後値段つかず
2011.05.06: 先物・オプションのブローカレッジリスクはトレーダブル
2010.05.12: 中国株先物が取引が開始
2010.05.07: 二代目、カジノに新風狙う マカオ ローレンス・ホー
2010.04.22: 東証アローヘッド導入のインパクト
2009.09.01: バイナリーオプションの性質から読む市場拡張性
2009.07.14: Globalizationの悪
2008.12.15: 年末ジャンボ ~富くじにおける分散の値段
2008.08.01: Gambler心得
2008.03.14: 上海旅行 最終日 ~株式投資の原点 地場証券にて






1998年第一四半期、トレーダーらは試行錯誤の果てに、トレーディングの規模を拡大すればもっと金が稼げるという感触を得ていた。スキリングは同意し、トレーダーらのポジション制限を引き上げ、より大きなリスク投資ができるようにした。トレーダーたちは契約によって十分な電力を手当てし、送電網の要衝も支配して大きな儲けのチャンスを待ち続けた。それが訪れたのは1998年6月だった。中西部の発電所のいくつかが、7,8月の需要期を控えて、改修のために操業を停止した。しかしこの年はちょっと勝手が違った。猛烈な熱波が例年より早く襲来したのである。同時にバックアップ電力を供給するはずだった発電所の操業が台風で停止した。電力供給は瞬く間に逼迫し、価格は急騰した。小規模な電力会社は資産ショートに陥った。つまり相場が上昇する中で電力が購入できず、供給契約を履行できなくなったのである。通常なら長期契約の下でメガワット・アワー当たり20ドルから40ドルほどで販売される電力がいきなり500ドルにもなった。中小電力会社が供給義務履行不能に陥ると、本物のパニックが起きた。ブラックアウト(大停電)の恐怖の下で、電力価格はものの数分間で7500ドルにも急騰した。かつてならこうした地域的な供給不安が発生すると電力会社同士は常識的な価格で電力売買して融通した。しかし98年の夏には、紳士協定もマナーも遠い昔に姿を消していた。

しかしエンロンにとってはこれは7月のクリスマスだった。安価な電力を持つべき場所で持っていたのだから。あるトレーダーは、一日で6000万ドルを売り上げた。中西部の電力危機はわずか数日で終わったが、エンロンはそれからも長い間、利ザヤを取れた。小さな電力会社は破産した。ケンタッキー州最大の電力会社LG&Eはこの一週間の電力危機のために2億2500万ドルの損失を計上し、電力トレーディング事業から手を引いた。オスカー・ワイアットの会社コースタル・コーポレーションは1460万ドルの損失を出した。ダイナジーそのほかの会社は規制当局に価格統制を懇願した。市場操作の噂も報道された。しかしエンロンはそんな泣き言は言わなかった。中途半端な規制緩和がこの価格高騰の原因のひとつだと主張し、この電力危機を更なる規制緩和を求める材料に使ったのである。

エンロンは米国で4つの発電所を運営していたが、これらは規制電力事業ではなく、様々な州法や連邦法によって運営を任されていた。例えばテキサスの発電所は「認定施設」扱いだった。これは別の規制電力会社の事業地域で、地元の規制当局から特別許可を受けて発電所を運営するという立場である。しかしエンロンが電力会社になってしまうと-ポートランド・ジェネラルを買収すればそうなる運命だった-こうした発電所は認定施設の扱いを取り消されてしまう。そうなれば負債契約条項違反になり、それぞれの発電所に残る膨大な負債-数百万ドル規模だった-は、すぐに返さなければならなくなる。したがってファストウの使命は、エンロンをこれら発電所の所有者ではなくす道を見つけることだった。

続きを読む

アーサー・アンダーセンは1913年「真っ当に考え、率直に話す」をモットーに、監査法人を設立した。大恐慌の間、同社は企業幹部のためではなく、株主のための監査で名を上げていった。アーサー・アンダーセンの監査と言えば、非の打ち所のない財務諸表の代名詞になった。しかしやがてその評判は大きく変質していった。例えば1950年代に、同社のあるエンジニアは重要な発見をした。コンピュータを使って簿記を自動化したのである。同社はこの方法を顧客にも教えるようになった。この結果、同社はコンサルティング業に傾倒した。80年代の競争激化のなか、監査料金は下がっていき、アンダーセンは新たな収益源を探していた。同社のパートナーたちは、コンサルティング業務を監査業務に接木する必要に迫られていた。1990年代、これは非常に素晴らしいアイデアに思われた。実際、監査の売上は横這いだったが、コンサルティングは急発展していた。問題は、コンサルティング部門が売上の大半を担うにつれて、分け前を監査部門に分配するのをしぶり始めたことだった。かつて業界のトップだったアンダーセンは、この頃には5位にまで低落していた。コンサルティングが発展するにつれて、監査員には仕事を取ってくることや、なりふり構わず顧客を維持する重圧が強まった。これ以上業界での地位を落とすわけには行かなかった。経費節約のため、56歳での早期退職も実施した。これは若手の勇み立った、しかし実質的な仕事の技量には欠ける若手監査員が増えていくことを意味していた。1990年代初頭、スティーブ・サメックという世間ずれした叩き上げの監査員が担当していたクライアントのボストン・チキンが倒産したにもかかわらず社内で権勢を誇るようになった。彼は社内公演でマーケティングの力を力説した。マーケティングは古めかしい監査などよりもずっと楽しくて儲かる。監査など退屈だし、いずれにせよ、これでは食っていけない。今やアンダーセンの暗黙の新たなモットーは、「やっちまえ」、つまり顧客の望みどおりにしろ、だった。

アンダーセンはもともとインターノースの監査法人だったが、大手好みのケン・レイは、合併に当たってこれを変える必要を感じなかった。生まれたての会社にとって、アンダーセンの監査を受けることは箔付けになった。アンダーセンは80年代はヒューストンで最大の監査法人であり、ベンゾイルやテネコなどの一流クライアントを抱える石油業界の御用達監査法人だった。その監査は、一応は厳格と言われていたが、その実、不況時に必要に迫られると、創造性を発揮してクライアントを延命させていた。エンロンの規模とプレステージが成長するにしたがって、両者の力関係は変わり、より共生的になっていった。例えば、アウトソースされたエンロンの社内監査チームはアンダーセンが引き取った。エンロンのヒューストン本社に開いたアンダーセン分室は、他の支社並みの規模になった。両者間のキャリアルートはすっかり確立し、プレッシャーがきつく給料の安いアンダーセンから、プレッシャーはさらにきついが自由と高給の得られるエンロンへと、人は続々と移っていった(リック・コージーやシェロン・ワトキンスは、このルートをたどた数百人のごく一例に過ぎない)

続きを読む

クリスタルは昭和49年に林純一が設立した株式会社綜合サービスを前身とする会社で平成15年には主に人材派遣や業務請負等を行っていた200社の純粋持ち株会社だった。林は一代でクリスタルを売上高5000億円を超える企業へ発展させた。この売上高は平成18年時点で上場していた主要人材派遣会社と比べても圧倒的に大きなもので、株式会社パソナ、テンプスタッフ、そしてグッドウィルグループもすべて売上高は2000億円クラスでクリスタルの半分でしかなかった。しかし、一方で上場もしていなく、日本人材派遣協会や日本生産技能労務協会というような業界団体に加盟すらしていないという謎めいた部分も多かったため、周囲からは疑惑の目で見られていた。一代でここまで事業を拡大した林がクリスタルの売却を決意したのは、健康上の理由からだった。三和銀行を平成11年に退職した茶床信輝は、同行の先輩から相談を受けて、クリスタルの林純一オーナーから事業再構築の依頼を受けていた。茶床は当初人材派遣というクリスタルの本業に関係の無い子会社の売却を進めようとしたが、思うように進まなかった。

その後、クリスタルの子会社の株式会社コラボレートが偽装請負で行政処分を受けてしまった。大阪労働局はコラボレートが偽装請負を行ったことを理由に平成18年10月3日に労働者派遣事業停止命令および労働者派遣事業改善命令を出した。偽装請負とは契約上こそ請負という形をとっているが、その実態は労働者派遣であり、労働基準法に抵触する行為のことを言う。特に当時は製造業で多用されていた。そのため林は平成18年10月上旬に茶床を滋賀の自宅に呼んで「クリスタルを売ってしまおうと思うんや。ただしデューデリはなしや」と言った。林は一代で築いたクリスタルという会社に人一倍思いいれも強く、求心力を持って会社を引っ張っていた自分が、クリスタル株を売却することを役員や社員に知られてしまったら、彼らがクリスタルを辞めてしまって、会社が空中分解してしまうことになるのではないかと恐れていた。

クリスタルは当時連結で1000億円前後の純資産があり、売却金額もそれに見合ったものになる。デューデリができない、ということは本来ありえないことだ。そのような中で、茶床が頼ったのが中澤だった。売上高3000億円以上のみ上場の人材関連の会社といえば、クリスタルくらいしかないと思ったが、社会的評判が悪すぎる上に、デューデリできないとなれば無理だろうと思っていた。それでも、社名を伏せて知人の新生銀行の行員に検討可能か聞いてみたが、やはりデューデリなしでは不可能ということだった。中澤は私以外にも必死に出資者を探していたが、デューデリできないということでかなり難航しているようだった。

投資家が決まらない中で、中澤が頼ったのが緋田将士だった。中澤は知人の海老根淳司を介して、平成18年5月ごろに知り合っていた。その当時、緋田は国際空手道連盟極真会館松井派の館長である松井章圭と一緒にM・A・コーポレーションと言う会社を経営していた。
「グッドウィル・グループとかに買い取りを持ちかけられませんか」
「松井館長は折口会長と親しいですから、松井館長から話をしてもらいましょう」
「緋田さんにも分け前を渡しますから」
「当然、松井館長にも分け前を差し上げることになると思いますが、いいですか」
「ええ、それで結構です」

松井と緋田とグッドウィル・グループとの会議の際、グッドウィル・グループサイドらは、折口の他には、常務取締役管理本部長の金崎明、執行役員広報IR部長の大迫一生、法務部長で弁護士の資格を保有していた鎌田智が同席した。この場でグッドウィル・グループへ伝えられた内容は、クリスタルの発行済株式総数の約9割を中澤が取得することで話を進めていて、その約半数を600億円でグッドウィル・グループが取得しないか、というようなものだった。出席していた全てのグッドウィル関係者にとって、顔にこそ出さなかったが、この提案は非常に衝撃的なものだった。グッドウィルにとってクリスタル買収は悲願であった。折口会長はクリスタル子会社のシーテックの買収を試みたが林オーナーに会うことすらかなわなかった。しかも45%で600億円ということは、逆算した企業価値は100%で1330億円ということになり、この金額は想定していたクリスタルの時価総額4500億円の1/3にも満たない好条件だった。グッドウィルグループはクリスタルの価値を当期純利益200億円の30倍の6000億円からコラボレートの偽装請負によるディスカウント分を1500億円と社内的に見積もって差し引き約4500億円と見込んでいた。そのため折口は勢い取引への熱意を露にしながら、「最低でもクリスタル株の51%、できたら67%を取得したい」と松井に伝えた。

origuchi-masahiro.jpg

そしてその日のうちに中澤がグッドウィル・グループへ行って具体的なミーティングをすることになった。中澤はその席でクリスタル株の構成と林の希望を伝え、折口と次のように交渉した。
「林さんは、同業他社へは売却したくないという意向を持っていますので、御社が表に出ないスキームが必要になります。そのために、コリンシアンパートナーズが出資しているコリンシアン弐号というファンドが、林さんから買い取ります。御社はもう一つ別のファンドに出資して、その別のファンドがコリンシアン弐号に出資して、コリンシアン弐号から組合財産の分配としてクリスタル株とバンテクノ株を取得すると言うスキームでいかがですか
「弊社としてはスキームにこだわるつもりはありません」

中澤はグッドウィル・グループからの出資金883億円の中から500億円を使ってクリスタルの株式51,825株を取得した。グッドウィルグループは883億円を出資し、クリスタル株38,190株を取得した。残った現金383億円とクリスタル株13,635株は、この取引を仲介した中澤と松井、そして緋田の3人で山分けされた。しかし中澤の怖いもの知らずの本領は、この松井と緋田との利益分配に発揮された。グッドウィル・グループからの出資が871億円で、林からのクリスタル株の購入代金が600億円で、差し引き271億円の現金と13,635株のクリスタル株がコリンシアン弐号には残っていると説明した。ここで林が600億円と言ったのは当初グッドウィル・グループへの仲介を依頼したときの金額が600億円だったからだ。また、クリスタルとバンテクノ株の67%で計算したため、その計算による合計金額が871億円となっていた。そのためグッドウィル・グループがみずほ銀行へ依頼していた融資金額も871億円だった。しかし、グッドウィルグループがバンテクノが保有していたクリスタル株5500株を取得するためには、バンテクノ株の全株を取得する必要があり、それを前提に出資金額を計算しなおすと、合計金額が883億円となった。

中澤が配分を受ける予定を指定分から7.5%分、松井と緋田は7.25%分を合計した22%分を271億円でグッドウィル・グループに売却したことを前提に、中澤分92億4000万円、松井及び緋田の分は89億3000万円とした。海老根淳司に対する手数料を18億2000万円とし、10億円を中澤が負担し、8億2000万円を緋田が負担することとしたため、中澤の取り分が82億4000万円で、緋田81億1000万円となった。

「(中澤)先生、分配はいつになりますか」
「コリンシアン弐号の決算期までは組合財産を分配することはできません。そこで松井さんには89億3000万円を、緋田さんには81億1000万円をコリンシアン弐号から貸付、コリンシアン弐号の決算期に貸付金を分配金と相殺することにしたいと思いますが、それでよろしいですか。それからコリンシアン弐号から松井さんと緋田さんに貸し付ける方法ですが、松井さんと緋田さんにそれぞれファンドを準備してもらって、それらのファンドにコリンシアン弐号から送金すると言うことにしたいと思うのですが、よろしいですか」

決算期まで分配することができないと言うことは無く、また貸付先をファンド名義にすると組合に出資していることになっている松井と緋田の名義と異なってしまうために相殺の手続きも面倒になる。私の見立てでは中澤がいたずらにスキームをややこしくしたものと思われる。これらは実際にコリンシアン弐号に残っていた現金383億円との差額112億円について、松井や緋田に悟られないようにするためのものだったに違いない。しかし緋田はこのことに感づき中澤と交渉し、分配される現金を33億7000万円増額させており、クリスタル株も720株増加させている。また、このころには中澤と緋田の間で海老根に対する手数料は無しとすることの合意ができていた。

澤田が中澤に持ち込んだのは、2014年ソチ冬季オリンピックに合わせてロシアのソチ市に人工島を作るというものだった。この計画に合わせるように平成19年中は低迷し、平成20年1月17日に最安値19円をつけた東邦グローバルアソシエイツ(当時の商号:千年の杜)の株価は、その後同月21日以降、急騰し始め、最高500円を超え、約25倍にまでなってしまった。ロシア内の登記簿謄本によれば東邦グローバルアソシエイツはホマル社の授権資本における持分の80%を取得している。東邦グローバルアソシエイツにホマル社を紹介したのは、レオニード・モストボイと山本丈夫という人物だった。一方、中澤にこの件を持ち込んだのは澤田であり、澤田に話を持ち込んだのは駒栄と紙屋だったと私は効いていた。平成19年、2014年ソチオリンピック協力委員会が設立され、久間章生元防衛大臣が委員長に就任し、ホテルニューオータニで団結式が行われた。ソチ人工島計画事件に関し、風説の流布の疑いがあり、これに久間元防衛大臣が関与していたのではないかというものだったが、そもそもソチ人工島計画は詳しく記載したように実際に進めていたのだから、風説の流布になるようなものではなかった。

> なんかこのプレスリリース読んだことあるような気がするわw

【詐欺師関連記事】
2014.07.03 実録ラスプーチン 6/8~女性遍歴
2014.02.13 悪の三国志 1/4 ~金日成は借モノの名前
2013.10.30 残虐の民族史 3/3 ~インディアン
2013.01.08 写楽殺人事件
2011.09.27: ダイヤモンドの話3/5 ~怪しい商取引慣習
2010.07.28: 闇権力の執行人 ~外務省とスキャンダル
2010.04.14: 世紀末裏商売ファイル
2009.08.18: インド旅行 これぞReal Emerging
2008.05.07: 魂を賭けよう

2008年9月5日

sawada-mihoko.jpg

「チャカ出せ、チャカ」中澤の盟友である澤田三帆子が、男4人を引き連れて香港にあった中澤所有の高級マンション「ザ・アーチ」31階の、私が住んでいた部屋に突然入ってきた。私と中澤の10年以上の友好関係が終わった瞬間だった。思い返せばその日から遡ること1週間前ごろから異変はあった。8月下旬頃からそのマンションで暮らしていたが、中澤と連絡しようと思っても連絡が取れなかったのである。そのころ電話をしてきたのは、黒木正博だった。慶應義塾大学での私の先輩で、中澤が経営権を取得した東邦グローバルアソシエイツ株式会社の元オーナーで、ベンチャーの旗手として注目された。その黒木とは電話で
「鬼頭ちゃん、いまどこにいるの」「香港ですよ」「それならいいんだけど、キョクシンが鬼頭ちゃんをさらうって言ってるんだよ」 キョクシンと言われて空手の極真かと思ったが山口組の極心連合会のことだった。

比嘉と電話で「ちょっとおかしいんですよ。秋月(幸治)さんが5人も連れてきたんですけど弁護士の先生と四方啓二さんという人しか名刺出さないんですよ。なんか見るからに怪しいんですよ、ビジネスマンという感じではないですよ

帰国することになっていたその日に急襲された。
澤田「鬼頭さん、あんたもワルだね、どこに金隠しんてんの」
鬼頭「どこにも隠してないです」
山本丈夫「じゃ、どうしてコリンシアンの金がなくなっちゃってるの」
山本は、背はそれほど高くはないが、筋肉質でオールバックの見た目はいかつい感じの人だった。中澤からの依頼で来たと言っていた四方は、私が不正を働いていると言う先入観を持ってきたようだが、私の説明に不自然な点が無く、肩透かしを食ったかのようだった。四方は空手をやっているとのことで、背も高くがっしりしたタイプだった。四方の説明によると他の2名は香港人で1人は弁護士、もう1人はセキュリティだと言っていた。香港人の1人はどうみてもヒットマンのような人間で、黒を基調とした身なりで全身を固め、大きな黒いサングラスをかけ、まるで映画に出てきそうな格好をしていた。

「あんた状況が分かっているの? 中澤に東邦を返しなさいよ」澤田が威勢よく声をあげた。とても女とは思えない。いつでも「極道の妻たち」に出演できそうだ。

> リアル「極道の妻たち」、妻では済まないです。「女極道」、おっかない女性も数多くいらっしゃるようですねw

マルサの関心ごとは約180億円の金の流れとグッドウィル・プレミア株の扱いだった。コリンシアンパートナーズは、この約180億円を原資に様々な投資事業を行った。コリンシアンパートナーズが行った投資は、大きく分けると、上場会社への投資と、未上場会社への投資の2つがあった。まず、上場企業への投資は単純に大口投資家からまとめて株式を購入し、その株を即日ヘッジファンドへ売却して利鞘を取る取引や、黒木正博案件のトランスデジタルやオックスホールディングスへの投融資のように3ヶ月くらいで1割の利益を確保する純投資と、東邦グローバルアソシエイツやビービーネットのように経営権を取得する2通りの形態で行われていた。経営権を取得するといっても明確な出口戦略があるわけでもなかったので、多額の資金を得た中澤が、自分の知人や私が紹介した知人を取締役に据えて、オーナーとして振舞うことを楽しむために投資したようなものだった。

だから、経営権を取得した会社の商号も、中澤が経営してきた会計事務所や監査法人にちなんだ名称に変更しようとした。千年の杜は東邦会計事務所にちなんで、東邦グローバルアソシエイツに、ビービーネットはユニバーサル監査法人にちなんで、ユニバーサル○○に変更予定だったがその前に資金が枯渇してしまった。未上場企業への投資は元シティバンクのプライベートバンカーだった竹山(仮名)という中澤の知人から持ち込まれたサイバーブレッドへの投資が起点となり、その子会社への投融資を中心に、その投融資の合計金額は20億円弱となったが、これもことごとく失敗した。サイバーブレッドは平成16年3月に設立させ、インターネット上でのファンクラブ運営などのWebエンタテインメントコンテンツ供給サービス、口コミマーケティング、フリーペーパー作成など総合的なプロモーション事業を手掛けていた会社だった。ベンチャーキャピタルの出資を受けるなどして資金基盤の充実を図りながら業容を短期間で急速に拡大させ、22億円の売上高の計上するまでになっていたが、オーナーの伊藤和訓に問題があり、上場できずにいるとの事だった。竹山は、この伊藤の株式の購入を斡旋しにきたのだった。中澤は興味を示したようで、手付金3億円を支払ったがすぐに循環取引が発覚し、サイバーブレッドは平成19年7月に破産となった。

「澤田三帆子がすごい話持ってきたで」と中澤が言った。表紙には山田洋行と日本ミライズの対立の記事が載っていた。この対立は軍需専門商社の山田洋行元専務の宮崎元伸が部下40数人を引き抜いて同業の日本ミライズを設立し、航空自衛隊時期輸送機(CX)のエンジン製造会社であったゼネラルエレクトリック(GE)と代理店契約を結んでしまったために起こったものだった。
「澤田が駒栄さんという人を紹介してくれたんや。駒栄さんは衆議院の久間先生の私設秘書をしているからこの話はカタいで」 翌日中澤と会談場所のグルジア大使館が入っているビルの1階に行くとすでに横田(東邦グローバルアソシエイツ)が来ていた。その後、澤田と駒栄博志と紙屋道雄が入ってきた。グルジア大使館の中には大沢という50代後半の紳士風の風貌だが話す内容は頗る大きかった人物がいた。

「グルジア(georgia)を英語読みするとジョージアって言うんですよ。ユダヤ人と非常に関係が深いんですよ。そして、私の古くからの友人にプライベートジェットで世界中を飛び回って投資しているジョージというユダヤ人がいるんですが、ジョージは1兆円くらいのファンドを持っていて、ユダヤ人つながりでGEとも非常に仲良くしているから代理店の件もジョージに頼めば簡単ですよ」

この件は、結局、「ジョージに契約成立前に1億円支払って欲しい」と澤田が中澤に依頼したものの、そのことを聞いた私が「千年は上場会社だから契約が成立したら、仲介手数料として支払うことはできると思いますが、ただGEと仲良しだと言っているジョージに、1億円も支払うことができるわけないじゃないですか」と言ったことで、中澤も思いとどまって、そのまま立ち消えとなった。駒栄は、平成15年の福岡県の若宮町長汚職事件で、公共工事受注の賄賂を渡した容疑で逮捕され、実刑判決を受けていた。紙屋も丸石自転車を巡る架空増資事件で、電磁的公正証書原本不実記録、同共用容疑での逮捕歴があった。

> 紙屋さん、有名ですねw で、大澤さんって誰? 笑っちゃうくらい詐欺のレベルが低いw プライベートジェットと1兆円のファンドとユダヤって何だ? この次元の詐欺師は、俺には近寄ってこないよ。

【メンヘラ・破壊的な女】
2014.06.06 別海から来た女 木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判
2013.11.22 バンファイパヤナーク観測計画 3/11 ~水上マーケットとハーレムナイトinバンコク
2013.08.19 ハプスブルク家の悲劇 4/8 ~正妻ステファニーvs愛人マリー
2013.07.08 春のタイ 後編 ソンクランのはしご 4/8 ~水をかけられない女inパタヤ
2013.05.15 春のタイ 前編 ソンクラン前 5/9 ~シラチャのネーさんの謀略
2013.02.21 タイ全土落下傘計画 9/17 ~シラチャのアツい夜
2012.07.19 この前の土日、プールサイドで超アグレッシブな女の子とイチャイチャしちゃった
2012.02.09|東電OL殺人事件 1/2 ~その人
2011.08.09: 金賢姫全告白 いま、女として4/6 ~軍事訓練
2011.06.08: 歴史を騒がせた悪女たち5/7 ~ロシアより愛を込めて
2011.03.11: 永田洋子追悼記念 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
2010.10.28: 破壊工作 金賢姫Forcus
2010.03.18: 海外のヤンデレ ヤンデレの研究 
2009.08.31: Madoff's Other Secret 愛、金、バーニー そして わ・た・し
2009.07.06: 職業Investment Banker? 男と女のM&Aで100mil
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償
2008.05.08: サロメ




中澤秀夫の所得税法違反で一斉査察なんですが、いまどちらですか?」 まずい、私がいたマンションはマルサが狙っている中澤が経営するコリンシアンパートナーズ株式会社が事務所を構えていたマンションと同じマンションだった。コリンシアンパートナーズの事務所は1801号室。私の部屋は1601号室で、部屋の作りも同じだった。
「いまマカオに来ているんですよ」口から嘘が突いて出た。「それは困りましたね、いつ戻られますか」

nakazawa-hideo.jpg

ほっとしたのもつかの間、落ち着くまもなくピンポンと呼び鈴が鳴る。マルサだと思い、確認のため覗き窓から覗いてみる。やはりマルサと思われる見知らぬ男の人が2,3人通路をウロウロしている。早く立ち去ってくれることを願うばかりだった。幸い3,4回呼び鈴が鳴るがその後は止まった。ガサの場合、マルサがいきなり踏み込んでいく強制捜査を行うためには捜索する場所および押収するものを明示した裁判官による捜査差押許可状が必要となる。1601号室にまさか私が住んでいるとも思っていなかったので事前準備がなされていなかったらしい。

マルサは当然コリンシアンパートナーズの元代表取締役であった私の海外渡航に関しても事前に調査済みだったが、東京国税局を管轄している財務省とパスポートを管轄している外務省では担当が違うため、マルサがリアルタイムに出入国を知る事ができるわけも無く、私がマカオにいることを前提に交渉を進めなければならなかった。ただ、その後私が初めて東京国税局へ行った時には、東京国税局は海外渡航の最新履歴を照会済みで、この日、私が日本にいたことは判明していた

> 国税は最高権力を持っていますから、縦割り行政の縄張りすらも乗り越えてしまうのですね。くわばらくわばら。

続きを読む

私の父親は株の売買をやっていて、高校教師だったのに毎晩飲んで帰ってきていた。当時は高度経済成長期でほとんどの株式が値上がりしていた。そして父親は株式を私に生前贈与してくれていて、私は社会人になってからその株の売却益を元に株の売買を始めた。のちのことだが、リクルート本体でも日興証券から山路正徳を迎え、グループの企業年金の自主運用と余資を運用し、値上がりしそうな株を買い、値下がりしそうな株を信用売りしていた。このような取引を裁定取引(アービトラージュ)という。理屈の上では利益が上がるように見えるが、ニューヨーク株式市場のダウ平均株価(わずか30銘柄の工業株によって構成されている)が上昇すれば、値上がりしそうな株も値下がりしそうな株もそれに連動して値上がりする。ダウ平均が下がれば連動して値下がりするため、必ずしも利益が得られるわけではない。ただ、いくつかの銘柄を長期間売りと買いを建てていれば、長期的には利ざやが取れるケースが多い。私は、私個人の株売買の利ざやで、私のスキー、ゴルフ、そして家族連れの海外旅行の費用、さらにグループ企業の損失の穴埋めもしていた。立花証券の石井久さんから「兜町では"売り"が悪いこととされるんですよ。私も業界紙に"売り"と書いて同業者から批判されたことがあります」と言われた事があったが確かに証券市場にはそのような風潮があるようだ。私自身もかつて足踏みミシンのシンガーミシンが日本から撤退したので、同じ足踏みミシンメーカーであるリッカーの株を売り、電動ミシンのJUKIの株を買ったのだが、リッカー株の売却だけが朝日に報道されたということがあった。

まず空売りと言わず、信用売りと言っているのは、アマなのに感心な正しい言葉遣いだ。ただ、この戦略は単なるロング・ショートでアービトラージュとは言わない。ついた先生が悪かったのかな。それから社長として社員教育のためによくない発言、

「理屈の上では利益が上がるように見える」と「長期的には利ざやが取れるケースが多い」

は卓越した売買のセンスと実績を持つ江副さんのみが許される結果論です。

続きを読む

アメリカの裁判は戦いの文化だが、日本の裁判は謝罪の文化だよ。認めて謝れば情状が酌量される。弁護士の先生は真実に反する調書に署名をするなと言っているだろうが、その姿勢を貫くとかえってまずい結果になる。僕を弁護士と思い、僕の言うことを信じてくれよ」

総理公邸訪問の経緯

中曽根総理はご自信の発案で臨教審を設けて、教育改革に取り組んでいた。臨教審のテーマは「学歴社会の是正」だった。私は公邸訪問の1ヵ月半前、臨教審第四支部会に講師として招かれ「学歴と雇用」のテーマで、日本生産性本部の『学歴別生涯賃金表』を元に次のような要旨の話をしている。

大学の生涯賃金と高卒の生涯賃金の差は、日本生産性本部の調査では、大卒を100とすると高卒は81で、学歴による所得格差は諸外国に比べて格段に小さい。また、大学進学率が高くなったことで、大卒は高卒よりも就職が難しくなっていて、警察官や消防士などに、大卒が就職するようになった。大卒で大蔵次官になった人と、高卒で税務署に生涯努めた人の生涯賃金の差は2倍半ほど。民間でも高卒の銀行員と大卒で頭取になった人との生涯賃金の差は4~6倍ほどで欧米と比べてきわめて差が少ない

大企業はどの大学・高校にも就職の門戸を開いている。とくに関西の住友銀行、三和銀行、松下電器、三洋電機、シャープなどでは高校卒業の役員も多い。諸外国に比べて、日本は是正すべき学歴による差別は無く、これ以上均一性を求める必要はないと思う。差別があるとすれば中央官庁のキャリア組とノンキャリア組との仕事や職務権限の差別である。"学歴社会の是正"より"大学改革"が、今日の産業界、ひいては社会の要請だと思う。

私が「学歴社会の是正」の議論に否定的な話をしたためか「江副さんの話がウチの部会でも話題になりました。同じ趣旨の話で結構です。第二部会でも話してもらえませんか」と言われ、翌2月27日、私は第二部会でも同様の話をした。そのすぐあとの総理秘書官からの電話であった。

頭取と一兵卒で6倍か。ほんと、一生ヒラでも大差ない共産社会だなw さすがに今は10倍以上はつけたかな?

続きを読む

カンカン踊り

拘置所の建物に入ると、関所のようなところがあった。そこで財布、鍵、時計などの所持品は、「領置する」(拘置所で預かる)と取り上げられた。丸裸にされて、10人ほどの看守が見ているところを歩かされた。その後、四つんばいの姿勢にされた。そして突然肛門にガラスの棒を突っ込まれて、棒を前後に動かされた。大変な不快感と痛み。大勢の看守が見ている中、言葉にできない屈辱感。私は人権侵害だと思った。後に弁護士に聞いたところ、「それは俗に"カンカン踊り"と呼ばれていて、昔から行われている拘置所に入る際の"儀式"なんですよ。私の依頼人でも、『先生、頑張ってきますよ』と言って逮捕された人が"カンカン踊り"でショックを受けて、その後接見に行くと別人のように落ち込んでいることがあります。表向きは痔の検査と説明されていますが、昔から人道上問題があると言われていて、弁護士会でも問題にしているところです」と言われた。

『刑事裁判の光と陰』の裏表紙には「日本の刑事裁判の有罪率は99.86%に達する。まさしくジャパン・アズ・ナンバーワンであり、我が国刑事司法の光である。しかし、死刑囚の再審無罪の事例にも見られるように刑事司法には陰の部分も存在している。そしてその多くは十分に社会に報道されていない。本書は元裁判官と弁護士による、刑事裁判に潜む陰の部分に光を当てた現状報告書である」と書かれている。本文では4つのケースを紹介しているが、そのなかでとくに私の印象に残っているのが特捜事件の「芸大バイオリン事件」で「壁に向って長いこと立たされた」「大声で怒鳴られたり、人格を侮辱する発言を受けた」「椅子を突然足で蹴り付けられ、椅子から床に落ちて尻餅をつかされた」など、取り調べの様子が事細かに書かれている。

この事件は著名なバイオリニストで東京藝術大学教授の海野義雄氏が芸大でバイオリンを購入するにあたっての鑑定で、演奏家としてバイオリンの名器ガダニーニを弾き、購入決定後に楽器商から時価80万円相当の弓一本を謝礼として受け取ったことと、芸大生のバイオリン購入に際し、演奏した謝礼として楽器商から100万円受け取ったことが「賄賂」とされたもので、当時朝日新聞で大きく報道されて事件になったものである。ガダニーニは良いもので1億円以上する名器である。バイオリンは手作りで250年ほど前に作られたもの。その間の保存状態、誰が演奏したのかによって価値が変わる。そしてその価値は、演奏してみなければ分からない。文部省は芸大に第一級の演奏家を教授として招聘することを特例として認めている。海野氏が演奏家として演奏し鑑定したのであれば無罪、芸大教授の地位を利用して演奏し鑑定料を受取ったのであれば有罪というケースであった。このような事件では本人の"賄賂性の認識"が有・無罪の決め手になる。そのため検察側は海野氏が受取ったものが謝礼であったと認識していたことを調書で明らかにしなければならない。このため強引な取調べが行われたのだろう。

続きを読む

宗像検事は40~50枚ほどの証取法に関する調書を書いて持ってきていた。読むと私が5社から株を買い戻して譲受人に売却したと書かれている。コスモスの株式公開の幹事会社である大和証券の山中一郎専務から「公開直前になると創業者は自分の株を知人や友人に譲りたくなるものです。ですが、それは禁じられていますので止めてください」と言われていた。案の定、公開近くなってコスモスの役員や幹部、友人や外部の有力者にコスモス株を持ってもらいたくなった。幹部社員も株を持てば業績と株価を上げるよう頑張るだろう。有力者が株主なればコスモスの社格も上がる。そんな気持ちを抱くようになった。だが、山中専務に釘を刺されていて、私のコスモス株を譲渡するわけには行かない。そこで、公開1年10ヶ月前の昭和59年12月の増資の時、1株2500円でコスモスの増資を受けてもらった会社のうち、親しい友人が経営する会社5社にお願いして、コスモスの幹部社員や外部の有力者に1株3500円で株式を譲渡してもらった。それらの会社から譲受人への譲渡だから私は仲介者にすぎない。5社と譲受人との間で売買約定書が結ばれ、有価証券取引税も納付している。資金が私の口座を通っているわけでもない。そのことを話、これは事実に反していますので署名はできません」と私が署名を拒否すると宗像検事はそれまでとは一転、語調を強めた。「そうですか。せっかく使った調書に署名してもらえないのは残念ですね。検察庁に来てもらうとマスコミに囲まれて気の毒だと思い、リクルートの施設に来ているのに。そういう態度だと、本庁にきてもらうことになるよ。それでもいいの」

未公開株の取得は"値上がり確実、濡れ手に粟"と新聞に書いてありますよ
「株式は値上がりすることもあれば、値下がりすることもある性格のものです」
「じゃあ、あなたは値下がりすると思ってコスモス株を持ってもらったと言うの!」
「いえ、コスモスは第二次オイルショックが収まり地価が下落した時期にマンション用地を取得しているため業績が今後向上していく、だから株価も値上がりしていくと思っていました」
「そうでしょう。相手に利益を得てもらおうという気持ちがあなたにはあったでしょう」
「それはありましたが、株の譲受人に何か便宜を図ってもらおうとの気持ちはありませんでした」
「すぐ売れば利益が得られたじゃないですか」
「『すぐ売ってください』と言って持っていただいたものではありません。私も友人のオーナー社長に株を持たないかと言われ、7,8社の株式を公開前に買って、今も持っています」
「あなたはお金持ちだから売らなくても良かったでしょう。ファーストファイナンス(以下FF)から資金を借りて買った人の中にはすぐ売った人も居ますよ」

株価は動くもので証券市場の動向によって公開日の初値が払込価格を大幅に上回ることもあれば下回るケースもある。例えば平成19年10月5日の日経金融新聞には「IPO『全敗』9月、全銘柄公募価格割れ」と報じられている。だが当時は払込価格より初値が高いケースがほとんどだった。また、株の譲渡元の5社と譲受人との間で売買約定書が交わされているものの、多くのケースでFFが購入資金を融資している。銀行より1%高い7%の金利を受取っていたとはいえ、そのことが印象を悪くしていた
「FFはあなたの財布でしょう。だから、あなたの売買ということになるんですよ」
FFの資本金は500億円で、リクルートの資本金より大きい。当初は小林宏が社長だったが、FFの株式公開に向けて自身は副社長になり、東洋信託銀行から白熊衛氏を社長に迎えていた。
「FFは私の財布ではありません。押収された資料には、株式公開に向けてFFが日本証券業協会に提出する資料が大量に入っていたはずです」
「えっ、そうなの?こちらは手が足りなくて、押収した資料全部に目を通せてないからなぁ」
FFを私の個人会社と思い、小林を私の指示で私のお金の出し入れをしている人物と思っていたようで、宗像検事は拍子抜けした様子だった。

続きを読む

本書は私が書いたものであるから、私にとって都合のよいように書いて言うところも少なくない。本件がもし検察側から「リクルート事件・検察の真実」として書かれれば、別の内容の読みものになるであろうこともお断りしたい。

衆議院証人喚問

「ロッキード事件では『記憶にございません』と言って偽証罪で逮捕された人もいます。今回のケースの証取法違反は最高刑が1年、偽証罪が10年と、偽証の方が罪は重い。偽証は絶対にしないでください。しかし、クレイ社のスパコンの購入の件を、『NTTが買い、リクルートへ転売した、単なる"素通し"だった』と証言されると日米貿易摩擦が再燃するので、ご配慮いただきたいと、NTTの弁護士から申し入れがありました。」と弁護士から言われた。リクルートはクレイ社製のスーパーコンピューターを、日本クレイからでは直接ではなくNTT経由で購入していた。それは次のような事情からだった。

当時、都市銀行各行は第3次オンラインシステムの開発中で、コンピューターの大量需要があった。開発用の大型汎用機はシステム開発が完了すれば不要になる。この事業はそのようなニーズに応えるものだった。同時にニューヨークと東京の昼と夜の時差を利用しようと、未使用となっていたニュージャージーの穀物倉庫の跡を借りてインテリジェントビルに改装し、KDDの回線を利用し、日本企業と接続してサービスを提供した。その頃ニューヨークのスタッフから「ボーイング社が自社の計算センターを別会社として独立させ、そこではクレイ社のスパコンを飛行機や自動車の風洞実験用に他社に転貸している」というレポートが届き、「我々もメニューにスパコンを加えよう」ということになった。さっそく富士通、NEC、クレイ社に見積もりを取ったところ、先発のクレイ社のスパコンに比べるといずれもソフトの面では劣っていたが、価格帯性能の面では富士通のVPシリーズが優れていた。最終的にリクルートは富士通のスパコンVP400一号機の導入を決めた。ところがここでクレイ社のオーティス社長がNTTを通じて巻き返しを図ってきた。

続きを読む

雅叙園観光ホテルグループ、日本ドリーム観光の創業者一族の内紛につけこんだ、池田保次

松尾波濤江は、元警視総監の秦野章に相談しました。秦野章は私大卒で初めて警視総監にまでなった警察官僚の立志伝中の人物である。警視庁退職後、参議院議員に転出し、法務大臣まで務めた。そして、創業者松尾の未亡人から相談を受けた秦野は、日本ドリーム観光の社長と副社長に、警察OBの側近を送り込んだ。雅叙園観光株問題は、元山口組系組長対元警視総監の対決だと評判を呼ぶ。このとき日本ドリーム観光の副社長に就任した警視庁OB寺尾文孝は、今も多くの経済事件の裏でその名が取り沙汰される人物である。現在、「リスクコントロール」という企業危機コンサルティング会社を経営する。女性スキャンダルで失脚した元東京高検検事長の則定衛や元東京地検特捜部長の河上和雄を最高顧問に据え、自社の広告塔にしていると斯界では勇名だ。安室奈美恵の所属事務所、ライジングプロダクション(現ヴィジョンファクトリー)の脱税事件(2001年)や福岡で起きたエンジェルファンドの投資詐欺などでも、日本リスクコントロールの名前が見え隠れしていた。

京都新聞グループの創業者の3代目、44歳でグループの後を引き継いだ白石英司は生前不動産開発に熱意を注いだ。そして白石英司の急死から1年後。京都新聞及びKBS京都の簿外債務処理に窮したKBS京都社長の内田は、河原町二条を名鉄から買い戻し、再開発することにより、100億とも言われた簿外債務を帳消しにしよう、と計画する。そうして設立されたのがシティセンター京都である。再開発のためにまずは名鉄から土地を買い戻す工作が必要だった。そこで重要な役回りを演じたのが、金丸信だったのである。金丸信は、問題のシティセンター京都やその所有地の取引をめぐり、ゼネコン最大手の一角である「鹿島建設」まで巻き込んだ。シティセンター京都は、発行済株式2000株、1億円の資本金でスタートした。株は多方面に配られたが、最終的に許のCTCグループが約70%を所有するようになる。

続きを読む

東邦生命は1999年に破綻し、アメリカの最大手ノンバンク、GEキャピタルに買収される。太田は経営者として会社の清算人から損害賠償請求され、2004年には7億円近い賠償を命じられた。東邦生命そのものは2003年、GEエジソン生命保険となっていたのをアメリカのAIGが買収。また千代田生命も2000年に破綻した後、AIGに吸収されAIGスター生命となった。

京都の観光名所、円山公園、国の土地を京都市が借りて管理しているこの桜の名所の一角に、純和風の数寄屋造りの邸宅がある。小さな4メートル道路を隔てた屋敷のすぐ隣は知恩院。すっかり古都の景勝に溶け込んでいる。円山公園の敷地内にある豪華な邸宅だ。実はなぜかそこだけが民間人の住まいになっているのである。屋敷の主は安田英全。本名を鄭英全という。同志社大学卒業後、ソープランドや焼肉店などを経営し、成功した。

大阪国際フェリーとバブル

大阪国際フェリーは、下関と釜山を結ぶ関釜フェリーにならったものといわれる。関釜フェリーの定期航路を事実上運営していたのは、許にとって在日の大先輩に当たる町井久之だった。町井は戦後東京の闇市を牛耳って「東声会」という暴力団組織を結成した人物としてその名を知られる。町井や東声会は2007年に東京地検特捜部によって逮捕された元公安調査庁長官、緒方重威ともかかわりがある。広島・仙台の両高検検事長を歴任してきたヤメ検の大物弁護士である。そんな法曹界の大物が、前代未聞の北朝鮮系の在日団体「朝鮮総聯」本部ビルの詐取容疑で摘発され、注目された。その傍ら、緒方らが取り組んでいたのが、町井久之死後の資産処理だった。町井が六本木の一等地に残した「TSK・CCCターミナルビル」という物件の再開発プロジェクトだ。結果、再開発事業の資金繰りに行き詰まり朝鮮総聯不動産詐欺を引き起こした、と東京地検が緒方らに狙いを定め、事件化したのである。

sandan-yoshiharu.jpg

続きを読む

第6章 第三者割当ビジネスの隆盛と衰退

第1節

MSCBとはMoving Strike Convertible Bondの略で、日本では2000年頃にはすでに発行されていました。株価2桁(100円未満)の企業がMSCBを発行し、すでに投資の了解をもらっている特定の投資家(海外ファンド)に割当をして資金調達をしていたのです。北の家族、シントム、昭和ゴム、イタリヤードなどいくつもの企業が発行しました。資金繰りが苦しく、資金調達手段が他に無い企業がラストリゾートとして利用していたため、ほとんどの発行企業は、発行後、努力むなしく倒産しました。その後、2004年にいすゞ自動車が300億円発行したのを皮切りに、日本でMSCBの大ブームが巻き起こりました。MSCBを発行する企業は以前のような瀕死の企業ではなかったのです。またMSCBの買い手となったのは海外ファンドではなく、国内の証券会社でした。


続きを読む

このページの上部へ

Ad

LINEスタンプ「カバコ」公開されました!

top

プロフィール

投資一族の長


サイト内検索

Twitter Updates